推理(7)
「契約書を書く時なんかに、拇印を使いますよね? つまり、指のこの溝、この模様は人によって固有であって、これで個人を特定することができるわけです。これを犯罪捜査に活かせないか、これがキリオの論文の趣旨です」
無論、俺が遠回しにヒントを出したのだが。
元の世界では、指紋は犯罪捜査の基本中の基本だ。
「馬鹿馬鹿しい。犯罪者が、拇印みたいに、しっかりと指の模様を付けることなんてないだろお」
ため息をついて肩をすくめるダイゼン。
そのあまりのオーバーリアクションに、俺は動揺を見る。
「そこがキリオの凄いところでして。まあ、身内みたいな存在を褒めまくるのもどうかと思いますけど、中々面白い方法を思いついたんです。これです」
俺は、論文を横に置いて、今度は懐から瓶を取り出す。液体の入った小瓶と、同程度の大きさの白っぽい粉の入った小瓶だ。
「この粉はメタルクラブというモンスターの甲殻を削って挽いたものです。指紋、指の模様のことですが、それが残っていそうなところにこれを振りかけて、息を吹いて余分な部分を飛ばして、そしてこの液体、スライムジェルをゆっくりと丁寧に上からかける。ごく少量です。すぐにジェルは固まり、そうして指紋が採取できるというわけです」
「ああ、つまり、どういうことだ?」
いまいちイメージが掴めないのか、ウーヘイはしきりに首を捻る。
「要するにですね、例えば、これ」
俺は壁にぺたぺたと指をくっつける。
「目には見えないけど、実は俺の指の模様が壁についているわけです。さっき言った方法を使えば、その模様を採ることができる。後は、俺の指と照合すれば、俺がこの壁に触れたことが証明されるわけです」
しばらくの沈黙。誰もが、俺の言った意味を考えているようだ。
「それが、本当なら画期的ね。けど」
考えながらライカがゆっくりと言う。
「あの道場、いえ、剣聖の部屋の戸に指の模様があったとしても、それは犯人だってことにはならないでしょう? 事件の時にそれがついたって証明できないんだから」
「そうか、凶器っ」
ばっとアオイがその場で飛び上がる。
「あの短刀っすね。あの指紋を確認すれば、犯人だっていう証拠になるっす」
「残念だが、期待薄だな」
だがその熱を、マサカドが冷ます。
「あの事件は、俺の更迭と共に強引に終わらされた。一応の犯人までできあがっているくらいだ。剣聖を殺されたなんて威信に関わる事件、もう掘り起こされたくはないだろうよ。師匠の死体も、あの凶器も、既に処分されている。いや、もし保管されていたとしても、だ。俺達の要請でそれを出してくれることはないだろうな。証拠品についている指の模様とやらで真犯人が分かるというなら、なおさらだ」
「そもそも、その指の模様とやらが信用に足る証拠なのかという点が疑問だけどなあ。論文が出てるってだけだろお。その論文が実際に提出されたシャーク国なら、まだしも。イスウ国で通用するとは思えないなあ」
余裕を取り戻したダイゼンが、間延びした口調に嘲りを滲ませる。
「でしょうね」
特に気にすることもなく、俺はそれらの反論を全肯定する。
俺以外の人間が全て、ぽかんとした顔をする。
「ど、どういう意味ですかな? だとしたら、指の模様についての話は一体?」
ヒエイは困惑を隠さない、いや隠せていない。
「剣聖殺害に関しての証拠品は全て利用できません。かといって、部屋の壁、あるいは鏡に指紋が付いていたからといって、それは証拠にはならない。つまり、剣聖殺害について、証拠はありません。ですが」
指を、ダイゼンに向けて突きつける。
「アルルさんの殺害に関しては、別です」
「凶器は、犬の胃袋の中で消化されちゃってるんじゃないのか?」
不審そうにヘンヤは自分の腹を撫でる。骨が消化されたというジェスチャーか。
「凶器に関しては、そうです。しかし」
自信たっぷりに、そう、まるで一変の疑問の余地もないかのように振舞う。
名探偵のように、事件を終わらせる。もう、少し。もう少しだ。
「アルルさんの遺体については、違います」
俺がそう言った瞬間、びくりとダイゼンの片眉が動く。
「アルルさんに関しては、未だにどこの墓に入れるかで争っているくらいですからね。なにせ、元々はシャーク国の宮廷医師です。ごたごたの末に、今はシャーク国で保管されています」
「それが、どうかしたのかあ? アルルが絞め殺されたんならともかく、刺し殺されたアルルに俺の指の跡があったところで、犯人とは何の関係もないだろお。ちょっと触ってしまったのかもしれないしよお」
「犯人は、アルルさんを絞め殺したりはしませんでした。けれど、アルルさんの指を引き離したはずです。ここから」
ダイゼンに向けていた指を、ゆっくりと自分の目尻に触れさせる。
「あの傷、覚えていますね?」
「そうか」
スライスが多少目を見開く。
「死に際のメッセージ、それを消し去るために指を引きはがした、その時の触れた跡か」
「ええ。偶然指がぶつかったのとは違う、明らかに掴んだような指の跡が見つかるはずです。さて、ダイゼンさん」
にっこりと笑って、俺は手を差し出す。
「あなたの指の模様、採取させてくれますか?」
沈黙。
部屋がしんと静まり返り、誰もが俺とダイゼンを見守る。
「ふっ」
そうして、沈黙はダイゼンの笑いで破られる。
「あほらしいなあ。さっきも言ったけど、その指の跡が本当にちゃんとした証拠になるのかどうか、まず分からないだろお。というか、まずイスウ国は認めないと思うけどなあ。更に、いくらおいらがアルルの手を握ったような跡が見つかったとしても、それで犯人って言えるのかあ? ひょっとしたら、おいらとアルルが密かにできてたってだけかもしれないじゃないかあ。恋人同士だったら、手を繋ぐくらい当然だろお?」
憎たらしいくらいに、余裕に溢れている。
「恋人だったんですか?」
「例えばの話だよ、例えば。別に、恋人じゃあなくても、何かの拍子に手を握った時の跡かもしれない。だから、とにかく、おいらが思うにアルルの手においらが手を握った跡があったとして、それは証拠にならないよお。それでもいいなら、ほおら」
平然と、ダイゼンは左手を差し出してくる。
「どおぞ」
そうして、俺はゆっくりと目を閉じる。息を吐く。
ようやく、終わった。
「ダイゼンさん、あなたが犯人です」
宣言してから、俺は目を開く。
そうして、アルルを殺した憎むべき犯人の顔を、初めて敵意を込めて睨みつける。
そんなものでは、ダイゼンは動じない。
だが、その顔から笑みと余裕は消える。
「どういうことだあ?」
「左手」
いつ襲ってきても対処できるように、俺は重心を低くする。
「どうして、左手を差し出してきたんですか?」
「はあ?」
まだ意味が分かっていないのか、ダイゼンは眉を寄せる。
「おいらの指の模様を採るって言ったのは、お前だろお?」
「そうです。ああ、言い方を変えましょうか。どうして、犯人が左手でアルルさんの指を動かしたと知っているんですか?」
ようやく、ダイゼンの表情が揺れる。だが、それも一瞬。
「そりゃあ、右手には凶器を持ってるはずだろお。だから、左手で動かす。わざわざ凶器をどこかに置くかあ?」
もっともらしい言い訳だ。だが、既に泥沼。
「犯人が右利きだと、どうして知っているんです?」
「は」
虚を突かれたようになるダイゼン。しかし目は死んでいない。
「ああ、そりゃあ、そうかなと思っただけだよお。大体、右利きが多いだろお。今、この場にいる連中も全員右利きだしよお」
「なるほど。それはいいとしましょう。けれど、それでも腑に落ちませんね。凶器の骨を握ったままだと、どうして分かるんですか?」
「はあ? いったん、その凶器をどこかに置くって言うのかあ?」
「置くというか、アルルさんに刺さったままかもしれないじゃないですか」
俺のセリフにダイゼンは咄嗟に返せず、黙る。目尻が痙攣している。
「アルルさんから凶器を引き抜いた後で指を動かした前提で話をしているようですが、どうしてですか? 引き抜く前に指を動かしたのなら、さっきまで凶器を握っていた方の手でも動かせるでしょう」
それに、と俺は追い込む。
「凶器の骨を握っていたとして、その右手で指を動かしたのかもしれないじゃないですか」
「いい加減にしろよ!」
突然ダイゼンが激昂する。いや、実際には突然ではなく、必死にうわべを取り繕っていたのが、追い詰められて破れただけか。
「普通に考えてそんなわけがないだろおがあ。一体、どこの誰が、骨なんて握ったまま、更に手を握るんだよ!」
視線をダイゼンから外し、俺は全員を見回す。
誰もが、ダイゼンを執行間近な死刑囚を見るような目で見ている。
「な、何だ、どうしたんだよお」
その視線に気付き、もはやダイゼンは隠しようもなくうろたえる。
「さっきから、ずっと思ってたんだが」
全員の意見を代表するように、マサカドが一歩前に出る。
「手を握るとは、どういう意味だ?」
「は、え」
そうして、とうとうダイゼンが崩れる。自分の失言を理解したらしい。
「そうですね。先ほどからずっと、ダイゼンさんは手を握るという表現を使っていますが、どうしてですか?」
「ど、どうしてって」
「指を動かせばいいわけでしょう? 指を掴んだのかもしれないし、腕を握ったのかもしれない。握手した時に指の跡がついたのかもしれない、なんて例えを出していましたけど、そもそも握手した時のような形で手を握って動かしたなんて、どうして分かるんですか?」
「骨を握ったまま、指と指を絡めるようにして動かしたのかもしれませんし、袖を摘んで動かした可能性すらありますね」
冷たい声を出すトウコの視線が、刃のようにダイゼンを刺している。
「アルルさんから骨を抜き取った後、左手で手を握るような形で指が動かされた。それは、キリオの死体検分の結果、どうやら確かなようです。問題は、ダイゼンさん、どうしてあなたがそれを知」
喋っている途中で、考えるよりも先に俺は後ろへ飛んでいる。
それでもかわしきれない速度の斬撃は、しかし俺に触れる直前で軌道を逸らされている。
「危ない危ない、ひひ」
いつの間にか俺の横に寄り添うようにしているのは、ヘンヤだ。その手には刀が既に握られている。
「ヘンヤあ」
隠し持っていたのか、鎌のように刃が湾曲した短刀を両手に構えたダイゼンが、唸る。
その形相は、鬼そのものだ。
「執念は買ってやってもいいが、ひひ、駄目だな。自分で納得できないような勝利は、勝利じゃねえよ。敗北も勝利も失うなんて、可哀想にな」
意味不明なことを言って、ヘンヤは刀を最上段に構える。
「苦しそうだからな、介錯してやるよ。俺の『月無し』でな。ひひ、おい、全員動くなよ。本当の剣聖の後継者になるための通過儀礼としては、なかなかおあつらえ向きだろ、ひひ」
「おのれがあっ」
叫んだダイゼンの不自由な片脚が、地面に沈み込むようにして体が傾く。その傾きのまま、地面を這うように、あるいは滑るようにダイゼンがヘンヤに迫る。
何だ、あの動きは。
あれが、ダイゼンが数十年間、片脚を捨てた後で剣聖を倒すために密かに鍛錬し工夫し続けた、その結果か。
息を呑むのは俺だけでなく、おそらくはその場にいる全員。
そして。
「いくぞ、『月無し』」
妙に静かな、ヘンヤの声。
次の瞬間、ダイゼンはヘンヤと俺の間をすり抜けて行くように、その勢いのまま倒れこむ。
未だに最上段に構えたままのヘンヤの他は、誰もが無言で仰向けに倒れたダイゼンを唖然と見ている。
何が、起きた?
やがて、ゆっくりと、本当にゆっくりと、ダイゼンの体から血溜まりが広がっていく。
「お粗末な幕切れではあるが、ひひ、これで事件解決か」
ヘンヤはそう言うと刀を納めようとして、一旦動きを止めると、にやりとして布を取り出して刃を拭いてから、刀を納める。
「お見事。もう、お前が剣聖の後継者であることに、誰も文句は付けられないな。兄弟子殿」
落ち着いた様子のマサカドがそのまま部屋を出て行こうとする。
「あ、ちょっと」
思わずその動きを止めようとするが、言葉がうまく出てこない。
「ああ、ご苦労だった。ヴァン、ヘンヤ」
振り向きもせず、マサカドが語りかけてくる。
「大体、俺の予想通りの結末だ」
そうして、そのままマサカドは出て行って、興味を無くしたような顔をしたヘンヤが、それに続く。
こうして、部屋には、死体と、意味が分からず呆然とした俺達だけが残される。
「こりゃあ」
思わず、ため息。
「名探偵失格だな。意味が、分からない」
そうして、俺にとっての事件は幕を閉じる。




