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支給品のステッキ、型落ちのノートパソコン


午前二時四十五分。

湿気を帯びた夜風が、換気扇の唸り声と共に路地裏を通り抜けていく。

工藤圭介は、積み上げられたビールの空きケースを机代わりにし、薄暗い街灯の下でノートパソコンを開いていた。画面のブルーライトが、眼下のどす黒いクマをより一層際立たせている。


「……なんでこの期に及んで、根幹の仕様変更が飛んでくるんだよ」


エンターキーを乱暴に叩き、工藤は深く息を吐き出した。会社から支給されているこのノートパソコンは、五年前の型落ちモデルだ。バッテリーは抜けば三十分で切れ、「A」のキーは親の仇のように強く押し込まないと反応しない。こんなポンコツで、明日の朝までに修正パッチを作れというのだから、もはや拷問に近い。

苛立ちを誤魔化すようにセブンスターを取り出し、火をつけようとした——その時だった。


ズリッ……ズザザザ……。


路地裏の入り口から、何か重いものを引きずるような不快な音が近づいてきた。

工藤が視線を向けると、そこには先日と同じエンジ色のジャージを着た少女、七瀬宵が立っていた。だが、今日の彼女は空から降ってきたわけではない。右手に、彼女の身長ほどもある巨大なステッキ——『魔法の杖』を握りしめ、それをアスファルトに引きずりながら、幽鬼のように歩いてきたのだ。

先端に付いているはずのハート型のクリスタルは無惨にひび割れ、柄の部分はくの字にひしゃげている。そこから時折、バチバチと漏電のような火花が散っていた。


「……よ。おっさん、また残業?」

「お前こそ。なんだその鉄屑は。粗大ゴミの回収日は明日だぞ」

「これ? ……あたしの、愛と希望のプリズムバトン」


感情の抜け落ちた声で呟くと、宵はズルズルとステッキを引きずったまま、工藤の隣にある空きケースにドサリと腰を下ろした。限界まで疲労したその顔は、ステッキ以上にボロボロだった。

ポンッ、と気の抜けた破裂音が鳴り、宵のポケットから光の球が飛び出す。無機質な目をしたウサギ型マスコット、キュウだ。


『もう、ヨォイちゃん! 備品の管理は基本中の基本だヨ? プリズムバトンの修理費、今月のポイントから天引きだからネ!』

「……は? ふざけんな、クソウサギ。お前が『魔力がもったいないから、物理で殴れ』って指示した結果でしょ。鉄筋コンクリートの塊みたいなゴーレムを、こんなプラスチックみたいな杖で殴ったらどうなるか、バカでもわかる」

『魔力回復アイテム(経費)の削減は現場の努力義務でショ! 気合と根性でカバーするのが、選ばれし魔法少女の役目なんだから!』


甲高い声でまくしたてるキュウの言葉に、工藤はピタッとタイピングの手を止めた。


「……おい、女子高生」

「なに、おっさん」

「そのマスコット、一回壁に叩きつけていいか? うちのクソ営業と同じこと言ってて、吐き気がしてきた」


工藤の冷え切った殺意のこもった目に、キュウは『ヒッ』と短いノイズを発して宵の背後に隠れた。

工藤はため息をつき、ノートパソコンの横に置いていた未開封の『ホットレモン』のペットボトルを宵に向かって放り投げた。


「……あっつ。ありがと」

「経費削減、気合、根性。どこの業界も、現場を知らない上の人間が吐く言葉は同じだな」

「……ホント、それ。あたしたちの命より、ステッキの修理費の方が大事なんだもん。バカみたい。いっそこのままゴーレムに踏み潰されて、労災で一生遊んで暮らしたい……」


ホットレモンを両手で包み込みながら、宵は虚ろな目で宙を見つめた。

工藤は手元のノートパソコンに視線を落とす。メモリは常にカツカツで、コンパイルには信じられないほどの時間がかかる。道具への投資を渋り、現場の『気合』という名のサービス残業で全てを補わせようとするシステム。


「……これを使え」


工藤は自分のカバンを漁り、給電ケーブル補強用の黒いビニールテープ(絶縁テープ)の束を取り出すと、宵の膝の上にポイと落とした。


「ひび割れてる部分を巻いとけ。とりあえず、すっぽ抜けることくらいは防げるだろ」


宵は膝の上のテープと、自分のひしゃげたステッキ、そして工藤の顔を交互に見る。


「……おっさん、優しいんだね」

「勘違いするな。ポンコツな道具のせいで余計な仕事が増えるのは、見ていて腹が立つだけだ」

「ふっ……なにそれ」


宵は小さく、本当に小さく息を吐いて笑うと、ホットレモンを一口飲み、不器用な手つきでステッキの柄にビニールテープを巻き始めた。黒いテープでぐるぐる巻きにされたハートのステッキは、もはや魔法少女のアイテムというより、ヤンキーの鉄パイプに近い禍々しさを放っている。

「……うん、悪くない。これならもう一回くらい、あのコンクリート野郎を殴れそう」

『ヨォイちゃん! 早くしないと、次の発生ポイントに……』

「うるさい。今行く」


宵はテープで補強されたステッキを肩に担ぎ上げ、よろよろと立ち上がった。


「ごちそうさま、おっさん。……そのポンコツパソコンも、早くぶっ壊れるといいね」

「ああ。いっそお前のそのステッキで、粉々に粉砕してほしいくらいだ」


二度目の短い笑みを残し、宵の姿が路地裏の闇に溶けていく。

後に残されたのは、甘ったるいレモンの香りと、タバコの紫煙。

工藤は短くなったセブンスターを携帯灰皿に押し込み、再び画面に向き直る。親の仇のように「A」のキーを叩きながら、彼は深夜三時の路地裏で、誰にも聞こえない声で呟いた。


「……さて。俺も、俺のゴーレムを殴り倒すか」


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