豊の力
~豊の客間~
「え!?」
豊は驚いた。
鶴の使用人から客人とは聞いていたけど、まさか本当に芙蓉が来るなんて!?
芙蓉と一緒にきたのは、竜礼、龍リョクと、象族領で出会った水人の孫だ。
龍希の顔をはっきり覚えた今になって孫を見ると、父親の龍希によく似ている。
ケープが異様なほど、この孫に怯えていた訳だ。
「豊さん、お久しぶりです。ごめんなさい、私のせいで何日も留めおいてしまって。」
芙蓉が話しかけてきたけど、龍希はいいのか?
いや、そういえば龍希がいない!?
ワニ族領からの帰りにはあんなに豊を目の敵にしていたのに!?
「・・・夫は外出してるの。ごめんなさい。私のことになると夫は過保護になるから。」
龍希を探してキョロキョロしてしまった豊を見て、芙蓉が謝るけど、あれは過保護なんてものじゃない。
妻に近寄る男は問答無用で威嚇していた、嫉妬の塊だった。
幸いなのは、龍希は芙蓉の言うことは素直に聞くことだ。
気持ち悪いほど素直に。
おそらく妻に嫌われたくない一心なのだろう。
そう思えば、少し可愛い・・・いや、やっぱり龍希の威圧感は無理だ。
怖すぎる!
「豊さん?大丈夫?」
「え!?あ、はい。すみません。なんとお答えしようか考えてました。」
豊は慌てて返事した。
「いいの。私にも話せないことはたくさんあるから無理はしないで下さいね。
今日は、これのことで豊さんとお話したくて。」
芙蓉がそう言って隣に座る息子を見ると、息子は左手を豊の方に差し出して、握った拳を開いた。
手のひらには小刀・・・
「うわ!?」
豊は思わず悲鳴をあげて椅子から立ち上がった。
なんであの藍色の小刀を息子が!?
豊は昨日から向こうのテーブルの上に・・・ある。
豊が昨日、アイキという男亀から受け取った小刀は変わらずテーブルの上にある。
「芙蓉さんも口封じの呪いを?」
豊ははっとなって尋ねた。
「おい!奥様の名前を気やすく呼ぶな。」
龍リョクが立ち上がって怒ってきた。
こいつが龍希の代わりのようだ。
「いいの。私は気にしないわ。」
芙蓉が宥めると、龍リョクは困った顔になったが、何も言わずに座った。
龍希は言い訳を始めるのに、龍リョクは引き際がいい。
「ついさっき、呪いをお願いしたの。でも自分で心臓に、と言われて怖くなってしまって。」
「・・・僕もです。」
豊はほっとしたというか、なんというか・・・昨日から情けない自分に嫌悪していたので、芙蓉の話を聞いて、救われた気分になってしまった。
解放軍の活動で死を覚悟したことは何度もあったけど、それとは別の恐怖だ。
いや、死を覚悟したと思っていただけで、覚悟なんて出来ていなかったのかもしれない。
「豊さんは、藍亀族のことはご存知でした?」
「いえ。昨日初めて知りました。」
「私も詳しいことは知らないの。私たちとは別の世界というか、想像を越えた不思議な力をお持ちの方々だから。
その方がナイフを心臓に刺しても命に別状はないと仰るなら、そのとおりなんだろうけど、私は勇気が持てなくて・・・」
芙蓉の言うとおりだ。
豊だってアイキを疑っている訳ではない。いや、本来はこんな呪いなんて疑うべきだけど、豊は本能的に理解していた。
アイキは嘘をついていない。
豊の想像をはるかに越えた、嘘のような呪いは本物なのだ。
だから、恐ろしい。
自分の命を奪うかもしれない呪いを自分の身体に受け入れることが
「・・・僕は、アイキから記憶を奪う呪いもあると伺いましたが・・・」
「私も夫から聞いたわ。夫はこっちにして欲しいって言ったけど、私が拒否したの。記憶が全部なくなるのは・・・それは・・・」
やはり芙蓉も聞いていたらしいけど、龍希が記憶を奪う呪いを希望したのは意外すぎる。
芙蓉がそれを受ければ、龍希のことも完全に忘れるということだ。
そうなれば、芙蓉が再び龍希を受け入れるとは限らないのに。
「私はどうしたらいいのかしら?
勝手だけど、豊さんはどうするのか聞きたいと思って・・・」
芙蓉はこのために来てくれたらしい。
豊の方こそ聞きたい。
自分はどうしたらいいのか?と。
早く解放軍に、人の世界に帰りたい
だけど、記憶は失いたくない
ならば、呪いのナイフを心臓に刺すしかないのに、できない。
「恥ずかしながら僕も途方にくれています。芙蓉さんがどんな選択をするのかお聞きしたいと思ってました。」
豊は素直に答えた。
「・・・そうですよね。豊さんは巻き込まれただけなのに、本当はとっくに人の世界に帰っていたはずなのに・・・ごめんなさい」
芙蓉は申し訳なさそうな顔になっているけど、豊は芙蓉のせいだとは思ってない。
これは全て龍希のせいだ。
「芙蓉さんのせいだなんて思ってませんよ。こんなことを尋ねたら失礼かもしれませんが、どうして記憶を失いたくないんですか?」
「・・・カモミールさんとの約束・・・ううん、私が一人で決意しただけなの。
カモミールさんが命がけで持ち出してくれた資料だから、解毒剤を絶対につくりたい」
「え!?」
豊は驚いていた。
てっきり、芙蓉も家族を忘れたくないという理由だと思っていたのに!?
「カモミールさん?とは仲がよかったのですか?失礼ながら象族と人は・・・」
「ええ。象族が人を嫌うようになったのも、きっと私のせい。でもカモミールさんは初めて会った時から、私のことを嫌ってなんかいなかった。
とても仲良くしてくれたの。」
『してくれた、か。』
豊は察した。
あの象妻は助からなかったのだ。
「芙蓉さんがまた解毒剤を作るんですか?前のワニ毒の解毒剤も・・・」
「前のワニの解毒剤は、私は手伝っただけなの。夫の一族が作ったのよ。」
「手伝わされたのではなく?」
豊の問いかけに芙蓉は一瞬だけ驚いた顔になったけど、
「私が手伝ったの。夫に隠れてね。夫は危険なことから私を守ろうとしてくれてるけど、それはとてもありがたいことだけど、私も、微力でも解毒剤を作る役に立てるならと思って。」
芙蓉ははっきりと言い切った。
虚勢ではなく、きっと芙蓉の本心だ。
「すごいですね」
豊は思わず呟いた。
「え?ううん、私は何も。誰かに助けてもらえないと一人では何もできないの・・・」
「紫竜と協力して解毒剤を作って、象の獣人と協力して毒のファイルを持ってワニの地下から脱出して・・・そんなことができるのは芙蓉さんだけですよ。
失礼ですけど、そんな活躍をしなくてもリュ・・・夫はあなたを見限ることはないのでしょう?」
「え?」
芙蓉は呆気にとられてるけど、豊はもっと呆気にとられていた。
アーストたちは、紫竜の妻の仕事は子どもを産むことのみだと言っていた。
紫竜の危機的な子不足の中、龍希の妻は3人の子を産んだ功績と、龍希の異常なほどの執着で、離婚される可能性もないだろうと。
豊も龍希と芙蓉の様子を見て、そのとおりだと思った。
芙蓉は生きるために、自分の居場所を確保し続けるために、危険な仕事をする必要はないのだ。
「芙蓉さんのことを知っている獣人が解放軍にも居ました。彼らは皆、芙蓉さんを警戒するか、敬意を持っていた。
僕はそのことをずっと疑問に思っていましたけど、今、分かりました。」
強い、気高い、すごい
豊にはそんなありきたりな言葉しか浮かんでこないけど、豊は目の前の女性に畏敬の念を抱いていた。
「・・・豊さんは、私のことを、変だとか、気持ち悪いと思わないの?」
芙蓉はまた意外な質問をしてきた。
いや、人ではない夫を持ち、人ではない子を産んだ彼女を嫌悪する人間はいるだろう。
「思いませんよ。お会いできて良かったです。あなたに出会えて、俺はまた自分の世界の小ささを知れました。」
豊の人生、世界の見え方を変えてくれるのはいつだって女性だ。
最初は、今は亡き妻が、
次は司令官をはじめとする解放軍の強い女たちが
今回は芙蓉が。
紫竜の花嫁とは、竜に拐われて囚われている憐れな娘なんかじゃなかった。
少なくとも芙蓉は、夫と対等な立場で話し、信念をもって自分の人生を生きている女性だ。
それが分かっていれば、紫竜に対峙して仲間が死んでいく必要はなかったけど・・・いや、自分の目で見て、芙蓉と話してみないと、誰も、豊だって信じられなかっただろう。
「不思議な人」
呟いた芙蓉は困ったような、それでいて嬉しそうな表情になっている。
「すみません。僕は口下手というか言葉選びが下手で・・・」
「ふふ。ウソ。豊さんは言葉だけで人の心を動かせるすごい人だわ。」
芙蓉は今度は笑っているけど、豊は思わず涙が出そうになった。
同じ言葉をかけてもらったことがある。
かつて、妻を失って自分も死のうとしていた時に、司令官が豊に同じことを言ってくれた。
その言葉の力は自分を呪うためでなく、人を救うために使いなさいと。
綺麗事だと笑い飛ばそうと思ったのに、あの時の豊は司令官の手をとって解放軍として生きることを選んだ。
「龍陽、小刀をちょうだい。」
芙蓉は隣の息子に向かって手を伸ばす。
「え?いいの?」
息子は戸惑いながらも小刀を芙蓉に手渡した。
「奥様?」
龍リョクと竜礼も戸惑った顔だ。
「ありがとう、豊さん」
芙蓉がそう言って立ち上がると、なんと芙蓉の持つ小刀が赤色の光に包まれた。
「なんだ!?」
豊も、紫竜たちも驚いて立ち上がったけど、芙蓉だけは動じなかった。
まるで、なんでもないことかのように、芙蓉は小刀を自分の左胸に突き立てた。
あまりにも動きに躊躇がなくて、芙蓉は平然とした顔だったので、豊も、誰も止められなかった。
「う・・・」
芙蓉が身体を折り曲げて、床にしゃがみこんだ。
「母上!?」
息子が駆け寄り、
「藍亀を呼んで!すぐに!」
竜礼が叫んで、龍リョクが走って部屋を出ていった。
「芙蓉さん!?」
豊も駆け寄ろうとしたが、竜礼に阻まれた。
「奥様には触らないで!族長が許さないわ!」
「だ、大丈夫・・・」
芙蓉の小さな声が聞こえた。
「母上!?大丈夫?」
「大丈夫よ。ちょっと痛かっただけ」
目に涙を浮かべたまま、芙蓉は立ち上がった。
そういえばアイキが言っていた。小刀は身体を傷つけることはないけど、心臓に届くと痛みが出ると。
芙蓉の手からは光る小刀はなくなっていた。




