Beginning
四月初旬、夜の東京の街は雨に降られている。少し肌寒い中、タクシーの座席へ沈み込む様に体重を預けていた、気の緩みからか自然と欠伸が出てくる。出張先での仕事を終えた俺は、揺れる車に身を任せながら、夕食に何を食べるかに思考を馳せているところだ。時間は午後八時過ぎ、外の雨は一月前ほど冷たくはないが、出掛ける気にはなれないぐらいの冷たさは残している。適当に済ましてさっさとアルコールの摂取に勤しみたいものだ。そんな事を考えている内に、窓の奥からお誂え向きの牛丼チェーン店が見えて来る。そこで腹の虫を黙らせる事にした。
「そこで止めてくれ。」
運転手を促し、店の前の路肩に停車させる。運賃を支払って、俺は店に向かい、店員に牛丼と生卵を注文した。こういった食べ方は海外の人からすれば、理解出来ない行動に見えるらしいが、それこそ理解に苦しむ。美味い物を美味い物と食えば、当たり前の様に美味いと言うのに。まぁ国によって衛生面の問題もあるだろうし、食いたく無い物を無理に食べる必要など無いのだから、余計なお世話だと言われればなにも言い返す事は出来ないだろう。そんな些細なカルチャーショックについて考えながら箸を進めた。
今まで幾度となく味わってきた牛丼で腹を満たし、安定の満足感に包まれる。これからちょいと酒をやれば、心地よい睡眠は保障されたも同然だろう。そう確信を得ながら、周辺にバーが無いかスマホを弄る。外を歩き回らずとも、座ったままで店をさがせるとはいい時代に産まれたもんだ。こいつ無くして生きていける自信は無い。皆無といっても差し支えないだろう。それほどに頼りきり、依存している。便利過ぎるが故の弊害だ。いつか痛い目に合う気がしてならないが、今のところ自制する予定は無い。
ここから歩いて五分程度の距離に御目当ての店があるようだ。徒歩で向かうのは面倒だが、かといってタクシーを使ってまで移動する距離でも無い。雨は相変わらず降ってはいるが、傘もあることだ。食後の運動がてら向かうのも悪くは無い。思考はそこで完結し、重いケツを上げるに至る。
俺はバーに着いてドアを開けると、金属製のドアチャイムがなる。薄暗い店内で、見渡す限り他に客はいない。カウンター奥の酒棚は淡い黄金色で仄かにライトアップされていて、カウンターテーブルは赤みが混じった木製、高級感のある雰囲気を出している。この店の店主であろう、首元を緩めたワイシャツに黒のジャケットを羽織り。少し癖っ毛の長髪をかき上げ、顎髭を生やしたダンディチックな男が、グラスを磨いている姿はそれらに良く溶け込んでいた。
俺は勝手にカウンターへ座る。
「注文は?」
無愛想な対応だが、落ち着いた店内のムードに合っている。そう思うと嫌な気はしない。
「ウィスキーをロックで、種類は何でもいい。」
そう注文すると、店主は相槌を挟み仕事にかかった。慣れた手つきで、お待ちかねの逸品が目の前に置かれる。こいつをちびちび舐めれば、そのうち悩み事や悪い記憶など頭から抜け落ちる。そのままどうでも良い事に考えを巡らせ、現実逃避が出来るって寸法だ。その時間がサラリーマンの俺にとって精神的な薬になる。毒で毒を制すのだ。まったく百薬の長とはよく言った物だ、アルコールを作り出した悪魔的天才には頭が上がらない。だがデメリットも多くあるのも事実。飲みすぎた次の日は絶望的だし、長期的に大量摂取し続けると、主に肝臓が壊れだす。そうなれば目も当てられない。程よく付き合って行くのが肝心で、後悔は先に立たない事を忘れてはならない。しかしそんな自身にとって都合の良い時間はあっと言う間に過ぎ去って行くものだ。
良い感じに出来上がった俺は、腕時計で時間を確認する。もう夜中の十二時前。明日の仕事の為に、この至福のひと時を切り上げなければならない状況に、どうしようもない不快感を覚えた。時間はいつだって付き纏う問題だ。この束縛から逃れる事は神にでもならない限り不可能だろう。もしそんな人間がいるのであれば、是非とも教えて頂きたい。そんな憂鬱な気持ちで葉っぱに火を付け、チリチリと煙を吸い込む。そしてそれを咥えながら、財布から金を取り出しカウンターに置き、重い足取りで扉に向かい店から出た。その時だった。
「――は?」
素っ頓狂でだらしない声が口から漏れ、咥えていた煙草が地面に落ちる。何故か外は日が差していて明るいのだ。俺は確かに夜中に飲んでいたはず、いくらアルコールに思考能力を奪われていようと、二十六年間自然と培われた体内時計がそこまで狂う事は無い。そもそもさっき時間を確認したばかりだろう。まさか神にでもなったと言うのか?そんなはずは無い。それに街並みが、どう見てもおかしいのだ。高層ビルが建ち並んでいるのが見えた筈だが、なぜか見当たらない。東京のアーバンな雰囲気など綺麗さっぱり無くなった少しローカルな街並みは、まるでタイのバンコク旧市街だ。その所為で、さっきまであった酩酊感は吹き飛ばされ、高くなっていた体温も一気に冷却される。
「いったいどうなってんだ、、?」
某アニメの何処にでも繋がるドアを使って、ドッキリを仕掛けられたんだと言われても納得できる有様だ。もはやそうであって欲しいと願うばかりだが、バラエティ御用達のあの看板が出てくる事は期待しない方がいいだろう。そんな懐疑的な状況に、驚愕は次第に薄れ、強い不安と焦りに変わる。とにかくバーに戻ろうと身体を振り向かせ、今しがた自分が出てきた扉を開け、中に入る。そこにはさっきまで居た空間と店主がいて、少し安心感を覚えた。これが吊橋効果と言うやつなのだろうか、いや今はそんな事はどうでも良い。
「なんだ?二度目の来店はありがたいが、それにしちゃ少し早すぎないか?」
勢いよくドアを開けた俺に、驚いた様子の店主が冗談混じりにそう話しかけてくる。
「いや、そうじゃない!外を見てくれ!なにがどうなりゃこんな真っ昼間になるんだ!」
「……何言ってんだ?お前さんが来た時から、昼間だったじゃねぇか。」
「――は?俺は夜中に此処へ来ただろう?!」
「わからねぇな、どこにどう頭をぶつけりゃそうなるんだ?」
その返答に、妙な疎外感を覚える。俺の頭がおかしくなったと、本気で思っているみたいだが、こっちのセリフだ。
「俺の頭は正常だ!外を良く見てくれ!どう見てもいつもと違うだろ!?」
「……いつも通りの景色だが?さっきから何を興奮してるんだ?確かにお前さんがクスリをやって無いのは近くにいたから知っているが、それしにちゃヤク中のそれと何ら変わりねぇ。」
それを聞いて背筋に冷たいものが走る。
「どこがいつも通りになるんだ!?何なんだよいったい!さっきまで絶対に夜だったじゃないか!それに入った時と同じ所から出たのに、見覚えのない街並ときた!本当に訳がわからない!」
「訳がわからねぇのはこっちだ!そんな与太話に付き合ってやる義理はねぇぞ!さっさと帰りな!」
「与太話なんかじゃない!まるで東京とは思えない有り様じゃないか!それどころか日本かどうかも怪しいだろ!帰れるならとっくにそうしてる!」
「……トウキョウ?ニホン?――あーもうめんどくせぇ。それ以上訳のわからねぇ戯言を抜かすんなら後悔する羽目になるぞ?いいからさっさと店から出ていきな!このイカレ野郎が!」
そう痺れを切らした様に、ジャケットの内側から銃を取り出し俺に向けた。その予想だにしない店主の行動に、俺の身体は硬直し、銃口から浴びせられる恐怖に怯える。
「おい、嘘だろ、、!?何でそんな物もってるんだ!?やめてくれ!こっちに向けるな!」
「お前が頭のいかれた奴なのはよくわかった。いいかよく聞け、お前の遊びに付き合ってやれる程俺は寛容じゃねぇ。この辺で冗談だでしたと言って店から出ていけば、お前のケツの穴がもう一個増える事は無いだろうよ。――それで、お前はどうするべきだ?」
タチの悪い脅しに、今すぐ逃げ出したい気持ちに駆られるが、脚が言う事を聞かない。
「やめてくれ!何ひとつ冗談なんて言ってない!それを下ろしてくれ!」
「そーかよ。そこまで言うなら下ろしてやる。銃声の後でな。」
やっぱり冗談でしたと言いたくなるが、もう遅い。目を瞑り顔を腕で覆い、死にたくない一心で身を守り、身体を射線から逸らした。
ドン、と銃声が響き渡ると同時に、右肩に激痛が走り、地面と激突する。
「がぁぁぁ、、!」
肩を押さえながら痛みに耐える。衝撃で視界が揺れる中、撃たれた箇所を確認しようとした。その時だった。自分の手が獣の様になっている事に気がつく。
「お前、、!」
「っなんだぁ?!くそっ、痛ぇ、、なにが起こってる、、?」
思わず掌を顔に向ける。爪は鋭く伸びて、灰色の毛に覆われている。これは自分の手ではない、そう思わせるには簡単なほど凶悪な見た目だ。だが思い通りに動く事が自分の手であると証明していた。
「お前、異能者か!?」
男は驚いた様にそう言った。
「、、知らない、こんなもの、、痛みでどうにかなりそうだ、くそったれ、、」
自分の手が変わり果てた姿になっているが、痛みでこの状態について考える余裕が無い。
「……気が変わった、お前を殺すのは無しだ。」
「、、っそうかよ、、、ありがてぇこった。ならさっさと助けてくれ、、肩がとれそうだ。」
俺はジャケットとワイシャツを脱ぎ、傷口を確認しようとするが、全身灰色の毛に覆われていてよく見えない。
「こりゃ難儀だな。」
「くそっ、夢でも見てる気分だ。」
「……ごもっともだ。まぁしっかり治療はしてやる。」
「ああ、」
いったいどの口が言っているんだと、ふつふつと怒りが湧いてくるが、今は怒る気になれない。
なんとか応急処置を終えた。弾が貫通していて良かった。もし体内に残っていた時の事を考えると、ぞっとする。あとの問題は、この作り話みたいな変貌を遂げた俺の体だ。
「ここに鏡は無いのか?」
「あるぜ。」
俺は受け取った手鏡で、自分の顔を反射させる。
「…………はぁ。何となく分かっちゃいたが、夢なら早く覚めてくれ。」
そう言った俺の口は狼の様に大きく、顔も灰色で覆われ、瞳は青く染まり、耳はピンと立って、その内側は銀色に近い白い毛が生えていた。何となく予想はついていたが、実際に見ると精神に負担がかかる。
「……お前が喚いていた理由が、なんとなく理解出来たぜ。別の世界から飛ばされてきた奴は、決まってなにか妙な力を持ってるからな。その姿が何よりの証拠だ。」
聞き捨てならない言葉に、疑問が浮かぶ。
「別の世界?どうゆう事だ?」
男はカウンターに置かれた紙幣に視線を移す。
「どこの国の金かと疑問だったが、恐らくお前さんは、別の世界の人間だ。俺はそんな奴を知ってる。」
それを聞いて、問い詰めなければならない事がでてくる。
「それを知っていて、なんでさっき聞く耳を持たなかった!!」
「いきなりあーだこーだ言われても理解出来る訳ないだろ!良く考えてみやがれ!まさかこの店に飛ばされて来るとは思わねぇんだよ!それにー、なんだ、死ななかったんだから別にいいじゃねぇか。」
死ななければ何をしてもいいのか?この男の楽観的思考には尊敬の念さえ湧いてくる、殺してやりたいぐらいに。
「ま、まぁ待て、そう睨むな。お前さんの肩にあいた穴の埋め合わせは、勿論するつもりだ。」
「……どうやって?」
「行く当てがねぇだろ?当分の間、うちで面倒みるってのはどうだ?」
ここが別の世界と言うならば、俺に頼れる人など居るはずもない。この負い目がある一人の男を除いて。
「はぁ、殺してやろうかと思ったが、やめとくよ。あんた、名前は?」
「賢明な判断だ、助かるぜ。俺はジークだ。そう呼ばれてる。お前さんは?」
「神田晴人だ。」
「変わった名前だな。」
「そうかよ。ジーク、ひとつ疑問なんだが、日本語で会話しているのは何故だ?」
「ニホン語?そんなもん分かる訳ないだろ。俺が使ってんのはイリア語だ。」
「……違う言語なのになんで会話が成り立つんだ?」
現実は小説より奇なりと言うが、限度ってもんがある。
「知らねぇよそんな事、考えるだけ無駄だろ。」
同感だ。いくら考えたって分からないものは分からない。
「……そうだな。とりあえず酒をくれ、とびきり強いやつだ。」
そんな俺の発言に、ジークは目を丸くしてから笑った。




