36話 魔人カルナ
帝都中央区画。
崩れた建物の間で、第二師団と冒険者たちによる混成部隊が、オラス兵の一団と激しく交戦していた。
剣戟が幾重にも重なり、魔法の爆発が街路を震わせる。
「押し返せ!」
「第二列、前へ!」
「左翼が崩れるぞ!」
互いに声を掛け合いながら、どうにか戦線を維持しているものの、敵の数は多い。
その時だった。
「――邪魔だァッ!」
怒声とともに、一人のオラス兵が吹き飛んだ。
続いて、その隣にいた兵士が地面へ叩き伏せられる。
何が起きたのか理解するより早く、さらに二人、三人と兵士たちが宙を舞った。
その中心に立っていたのは、一人の男だった。
「……グレン様!」
誰かが叫んだ。
その声に反応するように、戦場のあちこちから声が上がる。
「グレン様だ!」
「嘘だろ……!」
「グレン様が来てくださったぞ!」
冒険者たちの顔に、明らかな安堵と興奮が浮かんだ。
かつて冒険者ギルドでは、最高位であるアダマンタイト級まで上り詰めた男。
その後、帝国軍へ転じ、今では戦闘集団、第二師団を率いる存在。
ギルドを去った今なお、冒険者たちにとって憧れの存在であり、最凶の名を知らぬ者はほとんどいない。
そんな男が、今、自分たちの目の前にいる。
だが、グレンは周囲の歓声など意に介さなかった。
「お前ら」
短く呼びかける。
冒険者たちが、一斉にグレンへ視線を向けた。
「ここは俺がやる。別の部隊に加勢してこい」
「しかし……!」
グレンがオラス兵を睨みつける。
「こんな雑魚相手に、全員で固まってる場合じゃねぇ」
その言葉に、冒険者たちは顔を見合わせる。
やがて一人が拳を握った。
「……了解しました、グレン様!」
「行くぞ! 別区画へ向かう!」
混成部隊の一部が、グレンに戦場を託して走り出す。
残ったオラス兵が、グレンを取り囲んだ。
「一人になったぞ!」
「囲め!」
一斉に襲いかかる。
グレンは、口元を吊り上げた。
「――遅ぇよ」
次の瞬間、男の姿が敵陣へ消えた。
拳が一人の兵士を捉え、身体ごと吹き飛ばす。
振り向きざまに肘を叩き込み、横から迫った剣を身を捻って躱す。そのまま懐へ潜り込み、拳を叩き込んだ。
一人。また一人。
数の有利など、もはや意味を成していなかった。
魔法を放とうとした兵士には詠唱する暇すら与えず、その懐へ踏み込み、拳の一撃で沈める。
剣を構える者には、その刃が振り下ろされるより早く間合いを潰し、身体ごと叩き飛ばす。
一人を倒せば、次の敵へ。
振り返ることすらない。
グレンは最短の動きだけで戦場を駆け抜けていった。
オラス兵の剣が空を切る。
その直後には、拳が鳩尾へ沈む。
魔法陣が浮かび上がれば、その術者が魔法を放つより先に拳が届く。
数十人いた兵士たちは、瞬く間にその数を減らしていった。
「これが……グレン様……」
遠巻きに見ていた冒険者が、息を呑む。
褐色の肌に、青みがかった髪。
鋭く吊り上がった目には獣じみた光が宿り、口元には常に不敵な笑みが浮かんでいた。
身長は高く、鍛え抜かれた身体は分厚い。
軍服の上からでも、その身体がただ者ではないことが分かる。
首元や腕には、古い傷跡がいくつも残っている。
そして何より――その男が立っているだけで、周囲の空気が僅かに張り詰める。
帝国最凶。
それでも、実際に目にする光景は想像を遥かに超えていた。
「俺たちが束になっても、あんな戦い方は……」
誰かが呟く。
グレンは最後の一人を地面へ叩き伏せると、ゆっくりと拳を開いた。
「……つまんねぇな」
その時だった。
――空気が、震えた。
微かな異変だった。
グレンが顔を上げる。
遠くの街路で、瓦礫が一つ、二つと跳ねた。
次の瞬間。
轟音。
地面を抉りながら、何かがこちらへ向かってくる。
速い。
あまりにも速い。
空気が圧縮され、衝撃波となって周囲へ広がっていく。
建物の壁に亀裂が走り、路上に転がっていた瓦礫が吹き飛ばされた。
「……なんだ?」
グレンが身構える。
だが、その判断は僅かに遅かった。
一瞬。
それだけだった。
視界の彼方にあった影が、次の瞬間には目の前まで迫っていた。
人影。
それを認識した時には、すでに右手が伸びている。
「――失せろ」
低い声が響いた。
右手がグレンの頭を掴む。
「な――」
ドゴォンッ!!
凄まじい衝撃が街路を揺らした。
グレンの身体が壁へ叩きつけられる。
石壁が大きく陥没し、亀裂が走った。
周囲にいた者たちは、言葉を失った。
つい先ほどまで、数十人の兵士を一方的に蹴散らしていた男が。
帝国内でも指折りの戦士が。
たった一撃で、壁に叩き込まれた。
「……グレン、様……?」
誰かの声が震える。
カルナは壁にめり込んだグレンを見つめる。
その表情には、興奮もなければ怒りもない。
ただ、観察するような静かな眼差しだけがあった。
「なるほど」
カルナが呟く。
「これが、帝国最凶か」
グレンは答えない。
カルナはそのまま空中へ視線を移した。
漆黒の魔力が、周囲へ静かに広がっていく。
一つ。
また一つ。
闇の中から、黒い剣が姿を現した。
一本ではない。
十。
二十。
やがて数えることすら馬鹿らしくなるほどの数が、カルナの頭上を埋め尽くしていく。
すべての切っ先が、同じ場所を向いていた。
壁にめり込んだグレンへ。
「――死ね」
カルナが手を振り下ろす。
無数の闇の剣が、一斉に降り注いだ。
ズドドドドドドドッ!!
漆黒の刃が壁を貫き、石造りの建物を震わせる。
一撃ごとに瓦礫が弾け、土煙が周囲を覆っていく。
「グレン様!」
冒険者の一人が叫ぶ。
だが、誰も近づけない。
あまりにも凄まじい魔力。
そして――あの一撃をまともに受けて、無事である保証などどこにもなかった。
やがて、剣の雨が止む。
静寂が戻る。
カルナはゆっくりと腕を下ろした。
「……終わりか」
そう呟いた、その時。
瓦礫の奥から。
「……はっ」
小さな笑い声が響いた。
カルナの目が細くなる。
「……?」
瓦礫が動く。
一つ。
二つ。
そして――。
「――面白れぇ」
瓦礫を押し退け、グレンが立ち上がった。
衣服は裂け、額から血が流れている。
それでも。
その口元には、笑みが浮かんでいた。
「ようやく出てきやがったか」
グレンが首を鳴らす。
「魔人ってのは……こんなに面白ぇ奴なのかよ」
カルナは初めて、僅かに目を見開いた。
「……今ので殺したと思っていたが…頑丈な奴だ」
二人の視線が交差する。
瓦礫の向こうで、再び魔力が膨れ上がる。
帝都中央区画。
帝国最凶グレンと悪魔憑きの魔人カルナの戦いの幕が上がる。




