私には、資格がない
十五年前。
一緒にいようと交わした約束。
……でも。
今の私に、そんな資格はない。
価値のなくなった私は、
親に捨てられ、この地で最後を迎えると思っていた。
なのに──
「どうして、ここにいるわけ!」
私は勢いよくアルに詰め寄る。
驚き過ぎてか、自分の心臓まで悲鳴を上げていた。
「もちろん、約束を果たしに来たんだよ!」
アルは私の前に跪き、
懐からあるものを取り出す。
小さな小箱を、
両手で包むように差し出される。
そして、
目の前で箱の蓋が開けられた。
現れたのは、
淡い輝きを宿した指輪。
「セレスティア、僕と結婚してくれ!」
頬を紅潮させながらも、アルの目は真剣だった。
「けっ……こん?」
私は目をぱちくりさせ、アルをじっと見つめる。
「……だれが、だれと?」
……どうしよう、頭が回らない。
だがアルは、
嬉しそうな顔を向け、元気な声で言い放った。
「それはもちろん!
君と僕が結婚するんだよ」
ご丁寧な説明で、
ようやく状況が飲み込めてきた。
……けど、
強すぎる衝撃に、私の身体は限界だった。
「もう、むり……」
私の身体が膝から崩れ落ちる。
「危ない!」
目の前にいたアルが、
全身を使って受けとめ、倒れないよう支えてくれた。
がっしりとしたアルの身体。
布越しにアルの体温が伝わり、自然と瞼が下がってきた。
「セレスティア!」
アルに顔をのぞき込まれるが、
視界がぼやけて、彼の表情が分からない。
……そんなに、呼ばなくても、聞こ……え……
遠のいていく声を聞きながら、
私は深い眠りへと落ちていった。
気がつくと、
見知らぬ天井が最初に飛び込んできた。
「ここは……?」
私が暮らしていた小屋とは違う。
真っ白で、
汚れすら知らないような美しさ。
寝ぼけた頭で、
朧気な記憶を呼び起こそうとする。
倒れる直前。
最後に見たのは……ぼんやりとしたアルの姿。
「そうだ、アル!」
全てを思い出し、
反射的に飛び起きる。
「……っ、ごほっ!」
急に動いたせいか、
胸の奥からヒリつき、咳が出はじめた。
「セレスティア!」
私は咳き込んでいると、
ノックもせずに、アルが部屋に飛び込んできた。
その背後には、
白衣を着た見知らぬ男性がついてきている。
「大丈夫かい、セレスティア」
アルは私に目線を合わせ、
大きな手で、背中を摩ってくれた。
大丈夫。
そう言いたいのに、
咳が止まらず、声を絞り出すことすらままならない。
「公爵さま、早くお薬を……」
医者はアルに、
紙に包まれた薬を差し出した。
アルは頷いて受け取ると、
すぐに飲めるよう水を用意した。
「セレスティア、粉薬なんだが飲めそうかい?」
アルは縋るような眼差しで尋ねる。
……楽になれるなら飲みたい。
けど、粉薬では絶え間なく続く咳の間に、
吐き出してしまう心配があった。
私が返答に困っていると、
アルは私と薬を交互に見てから、医者の方を向いた。
「先生。この薬に即効性はありますか」
アルは医者へ確認するように尋ねた。
「ええ。ですが、今の状態で一気に飲ませれば、咳と一緒に吐き出してしまうでしょう」
医者は私の様子を見てから、静かに続ける。
「少量ずつ口に含ませる必要があります。
……まずは、匙で一口飲ませてからの方がいいでしょう」
その言葉を聞いて、
アルは粉薬を少量の水に溶かし、匙で混ぜはじめた。
私はその姿を、
ぼんやりとした頭で見ていることしかできなかった。
「公爵さま、ご令嬢が!」
医者の叫びに、
アルは勢いよく振り返る。
私は薄目を開けたまま、
ベッドに倒れ込んでおり、力なく咳き込んでいた。
「セレスティア!」
アルに抱き起こされるが、
私の視界は遠のいてき、もう何も考えることができない。
「嘘だろ……死んじゃだめだセレスティア!」
……アルが泣いている。
やっぱり、泣き虫なのは変わらないのね。
そこで意識が闇に落ちかけた。
──その時。
私の頬にそっと触れる温もり。
そして、唇に柔らかな何かが触れた。
「……んっ」
口の中に、
冷たくて苦い液体が流れ込んできた。
舌に刺さるような苦味に、思わず顔をしかめる。
一口飲んでも、
次々に流れてくる液体。
息ができず、
苦しくなってきた私は、空気を求めて必死に飲み込んだ。
「……っ、は……」
ようやく息を吸えた。
「にが、い」
呟きとともに、
私は力が抜け、そのままアルの胸へと倒れ込む。
「よく頑張ったね、セレスティア」
耳元で聞こえた声は、
ひどく優しかった。
「もう大丈夫。眠っていいよ」
瞼が重い。
けれど眠りに落ちる直前、
真っ赤になったアルの耳だけが見えた気がした。
……懐かしい。
あの時も、真っ赤に……なって、たっけ……
沈んでいく意識の中。
浮かび上がったのは、
今よりずっと小さく、細かった頃のアルだった。
幼い頃、公爵家では毎年、
春になるとお茶会が開かれていた。
私はそこで、
病弱な公爵令息のアルフレッドと出会った。
毎年参加する度に、
いじめっ子を追い払い、私たちは仲良くなっていった。
けれど、いつしかお茶会は開かれなくなり、
アルに会う機会もなくなってしまった。
だから私は、会いたくなるたびに、
こっそり公爵家へ潜り込むようになった。
人目につかない庭で少しだけ遊び、
日が暮れる前には何事もなかったように帰る。
そんな日々を送っていた、ある日のことだった。
いつもの場所へ向かうと、
アルは石垣のそばで膝を抱えていた。
小さな肩を震わせながら、
声を殺して泣いていた。
「アル!」
私が駆け寄ると、
アルは涙に濡れた顔を上げた。
「……セレスティア」
「どうしたの。誰にいじめられたの?」
慌てて尋ねると、
アルは力なく首を横に振った。
「僕ね……一生、このままだって言われたんだ」
一瞬、
その言葉の意味が分からなかった。
「……なに、それ。どういうこと?」
アルはぐっと唇を噛みしめ、
乱暴に腕で目元を擦る。
「お医者様が言ったんだ」
震える声だった。
「僕の身体は、大きくなってもずっとこのままだって」
細くて、小さな身体。
少し走っただけで息を切らし、
何度も咳き込んでいたアル。
「だから……セレスティアとの約束も、果たせなくなっちゃう」
そこまで言うと、
アルはまた声を上げて泣き出した。
私は呆然と、
泣きじゃくるアルを見つめていた。
でも、
すぐに、その両肩をぎゅっと掴む。
「大丈夫よ! 大丈夫、アル!」
「何が大丈夫なんだよ!」
アルは私の手を振り払った。
「お医者様が言ったんだ! 僕の病気は、ずっとこのままだって……っ、ごほっ、ごほっ!」
言い切る前に、
アルは激しく咳き込み始めた。
「アル!?」
私は慌てて背中をさするが、
アルの咳はなかなか止まらなかった。
このまま庭にいれば、
誰かに見つかってしまう。
「こっち!」
私はアルの手を掴み、
庭に面した彼の部屋へと連れて入った。
いつも私がこっそり忍び込んでいた、
誰にも見つかりにくい場所。
けれど。
コン、コン。
扉の向こうから、
控えめなノック音が響いた。
「坊ちゃま。お加減はいかがですか?」
使用人の声に、
私はびくりと肩を跳ねさせる。
「入りますよ」
私はすぐに窓へ駆け寄った。
窓枠に手をかけたところで、
すぐに振り返って、咳き込むアルの手を握りしめた。
「アル。私が何とかするから」
アルが、
不安そうにこちらを見上げる。
「だからあなたは、信じて待っていて」
それだけを言い残して。
引き止めようとするアルの手を振り切り、
私は窓の外へ飛び出した。
そして、
ある場所を目指し、ひたすら走り続けた。
──教会。
たどり着いた時には、
息は上がっており、滝のような汗が全身から流れていた。
それでも私の足は、
休むことを知らずに前へと進む。
中に入って、神の像の前に移動すると、
私は両手を握りしめ、祈りを捧げた。
「どうか神さま。
私の加護でアルを助けてください」
真剣に祈ったが、返事はない。
「……っ、加護もいりません。
アルのために何でもします。だから……」
私は固く目を瞑り、必死にお願いした。
『そなたの加護を、とりあげることはできない』
──!?
突然、
頭の中に知らない声が響いた。
「だれ!」
一瞬で恐怖心に襲われ、
思わず叫び声を上げるが、何故か動かそうとした身体は、ぴくりとも反応しない。
『だが、そなたが願うなら──彼の痛みを、そなたの身に移すことは許そう』
そこで声は途切れ、
身体は自由を取り戻した。
私は祀られている象を見上げる。
いつもと変わらない姿。
だけど私の胸に、
妙な確信があった。
家に帰った私が、
自室で休み、次の日の朝を迎えた時。
「……ごほっ」
私の体調は、
生まれて初めて、味わったことのない不調を経験した。
それからの両親は、
手を尽くして治そうとしたが、難しいと知った途端に妹を作った。
新しい家族の誕生と同時に、私は辺境の地に捨てられた。
ここで一生を終えて、
家族にも、アルにも看取られずに、死んでいくと思ったのに。
そこで、私は目が覚めた。
見覚えのある天井。
ぼーっと見つめていると、自分の右手に違和感を感じる。
視線だけを動かすと、
アルが私の右手を握ったまま、ベッドに寄りかかって寝ていた。
手から伝わってくる温もりに、
胸の奥が、ずきりと痛む。
……あの頃の私は、あなたを助けられた。
でも今の私は。
あなたに、何もしてあげられない。




