踊り場の王室
学生としての義務から一時解放される時間帯、ようは昼休みに俺は内なる疑念を確信へと変えるため帝羅のクラスへ向かっていた。
「なぁ、焔」
俺は歩みを止めることなく後ろの虚空に話しかける。
「何でございましょうか」
足音も衣擦れの囁きもなく、凛と澄んだ声のみが聞こえる。
焔は晴れた日の影のように、付かず離れず一定の距離を保ちながら俺の後ろをついて来ていた。
「この際お前が当たり前のように、俺の後ろにいることについては何も言わないが…俺の情報を調べたのはお前なんだよな?」
「はい、アリス様のご命令により青葉様の趣味嗜好からPCの隠しフォルダの場所に至るまで、全て調べさせていただきました」
悪びれる様子もなく、むしろ誇らしげに聞こえる声で答える。少しぐらいは申し訳なさそうにしてくれ。
「…まぁいいや。そんだけ詳細に調べられるんだったら、俺じゃなくてお前が帝羅の調査をしたらいいんじゃないか?」
「私にできるのは情報の収集だけでございます。それにまつわる人の心までは踏み込む事ができません」
「そういうものなのか」
「そういうもの、でございます。それに、もし私の方が今回の情報収集に適任であれば既にアリス様がご命令されているかと思われます」
私情のカケラも感じられない一人の従者としての焔の言葉に、俺は納得せざるを得なかった。
実際、ここ数日でアリスの先を見通す力は嫌というほど体感しているワン。
頭の片隅で情けない鳴き声を響かせながら雑踏の中を進む。ふと後ろを見やると、いつもとは全く違う装いの焔の姿があった。
「今はメイド服を着てないのか。制服姿は初めて見るな」
奉仕人としての面影はあるもののどこか儚げで、気を抜けば見失ってしまいそうである。しかしその存在感の明滅により、かえって際立った印象を残す。
時代が時代なら、性別が性別なら傾国の美女として名をはせていたのかもしれない。性別が性別なら…
「さすがに私も四六時中メイド姿でいるわけではありません。まして放課後でもありませんので、制服を着ていなければ風紀委員に目をつけられてしまいます」
「やっぱ怖いのな、風紀委員って」
「帝羅様が風紀委員長になってから、より一層取り締まりが厳しくなったように感じます」
「そうか…にしても騒がしいなここ」
あまりに賑やかなものだから風紀委員でもすっ飛んで来ないかとヒヤヒヤしていたが、それも杞憂に終わった。
既に俺の視線の先には、目的地である事を示す1年A組のプレートが垂れ下がっている。
俺は取り敢えず開いていた引き戸の間から教室を見渡してみた。
何の変哲もない少し豪勢な教室。普段は整列されている机たちも多少の乱れを見せ、昼休み特有の気だるさと緩慢さが室内に充満していた。全くもって普通の、むしろだらしないと言ってもいいような雰囲気である。
だからこそ違和感を感じた。
「ここって本当に帝羅の教室なんだよな」
そんな当たり前のようなことを確認せざるを得なかった。
「間違いなく帝羅様の所属する教室だと思われます」
焔は呆れるでもなく淡々と答える。
「それにしては…」
風紀の権化たる帝羅が、『小さな暴君』が所属する教室。だが、この場所から圧政の残滓すら感じない。
その根本の原因は帝羅の不在にあった。
教室を見渡してもあの特徴的なツインテールはどこにもなかった。中に入って這うように机の下を探してみたが見つからない。
「青葉様は消しゴムでも探されているのでしょうか?」
「いや、ほら帝羅って小柄だろ」
「おかしな事をおっしゃられますね」
「至って真面目だ。生まれてこの方ふざけた事なんてない」
「おかしな事をおっしゃられますね」
表情ひとつ変えずに焔はそう言った。呆れの念も感じたが、まぁいい。
「なら帝羅はどこにいるんだ?」
俺は率直な疑問を口にした。
「帝羅様は昼休みになると、離れの校舎の外階段に行かれるようです」
その疑問はあっさりと解消された。
「…そういう事は早く言ってくれよ」
「聞かれませんでしたので」
「ふん、現代っ子め」
「それは青葉様も同じです」
***
俺たちは離れの校舎、その外階段に向かっていた。本校舎の喧騒も既に聞こえない。それどころか人の影さえ見つけられない。
「本当に帝羅はいるのか?」
焔の言葉を鵜呑みにした俺だったか、周囲から人の気配が薄らいでいくにつれ胸の中で疑念が芽吹いていった。
「間違いありません」
その自信の出所は定かではないが、今は焔を信じるしかない。そうこう考えているうちに目的の外階段へと到着した。
辺りは眠ったように静かで、校舎は忘れ去られたように古びている。降り積もったようにそびえる外階段に陽は当たらず、肺を刺すような冷たさばかりが漂っていた。
一段、また一段と氷山のクレバスを探すように階段を踏み締める。二人分の足音はひと足先に上へと登っていく。
一階二階と上がっていくが、帝羅の姿はない。残るは三階のみ。
最上階へと通じる階段の広場を曲がる。視界が開け、見上げた先に帝羅小鞠の姿があった。踊り場近くの階段に腰を下ろし、一人弁当を食べている。
ただでさえ小柄なのに、暗く冷たい空間に鎮座する帝羅はひどく小さく映った。それはまるで暴君の成れの果てを見たようで、名前のない罪悪感が俺を襲った。
そんな俺をよそに、こちらに気づいた帝羅は不機嫌そうな眼差しを向けた。
「何の用、青葉。風紀規定を変えろっていう伝言でも伝えに来たの?」
帝羅はぶっきらぼうに問いかける。
「いや、その…」
俺は言葉に詰まった。今からやろうとしている事に正義はあるのか、俺にその権利があるのか自問自答する。
俺はただ流されるまま、脅されるまま今ここにいる。とても褒められた理由ではない。
「用がないなら、今すぐここからいなくなってくれると嬉しいわ」
帝羅の声はこの場の空気よりも冷たく、そしてハリネズミのように鋭かった。
これが正義の体現者の姿か?間違っているのはこの世界か?これはくだらない同情か?
わからない。ただ…
「少し確認したいことがある」
この場所を壊してしまいたくなった。その為だったら悪役になったっていい。
「新しく作った風紀規定の中に、なぜ決闘権を使わせなくする一文を入れたんだ?」
俺がそう告げた瞬間、帝羅の長いまつ毛が微かに揺れた。拒絶と嫌悪が階段を這って俺の足元に絡みつく。
「何が言いたいの…」
帝羅は静かな怒りを滲ませる。それは暴君としての理不尽ではなく、王室を土足で汚される事への正当な反応だった。
「おかしいじゃないか、決闘においてほぼ無敗のお前があんな規則を作るだなんて。まるで負ける事を恐れているみたいで…」
「うるさい!アンタに何が…」
帝羅は叫んだ。明らかに逆鱗に触れたようだ。
「なんだ、図星か。『小さな暴君』も怖いものがあるのか」
俺は彼女の激情を煽るように言葉を続ける。
「それもそうだよな。お前の無敗伝説に傷をつけたメイド部ともう一度戦うなんて出来るはずもない。負けたら何を奪われるかわかったものでもないし」
「それ以上喋らないで。アンタ諸共潰すわよ」
帝羅は立ち上がり、見下すように俺を睨んだ。その瞳には、もはや孤独な少女のものではない。学園の秩序を暴力で支配せんとする、苛烈な『暴君』の光が宿っていた。
「あぁ結構だ、俺としてもそっちの方が都合がいい…だが、お前がメイド部との決闘を受けるならな」
最後の仕上げ、この挑発に乗るかは時の運。人事は尽くした、後は天命を待つのみ。
「いいわ、やってやろうじゃない。後悔する気も起きないほど叩き潰してあげる」
その宣言は、冷え切ったこの場に蜃気楼が見えるほど熱烈であった。




