カクメイ部
俺は帝羅との会話の後メイド部の部室に来ていた。俺は生徒会の犬であると同時に、この学園奉仕メイド部の犬でもあった。
あいも変わらず部室内は荒れ果てている。そんな光景を気にも止めず、アリスは焔が入れた紅茶を優雅に飲んでいた。
その紅茶が一滴でもこぼれてしまえば、この場は豪勢な宮殿の一室に変貌してしまいそうだ。しかし、彼女がそんな粗相をするはずもない。
ティーカップに注がれた高貴さの一切を、自らの中へと取り込んでいく。
奉仕の象徴たるメイド服を着ているにも関わらず、人の上に立つ者のそれを纏っていた。
住んでいる世界の違いをまざまざと見せつけられ、一瞬彼女に話しかけるのを躊躇してしまう。
それでも俺は、紅茶に絞るレモン果汁ほどの勇気を捻り出す。
この瞬間において、俺は彼女より優位に立てる物を持ち合わせていた。
「九条先輩、いい情報があるんですけど聞きたいですか?」
俺は飼い犬らしく、精一杯の愛想を振りまいてご主人様に尻尾を振る。
「…どうしたの青葉君、随分とご機嫌みたいじゃない」
アリスはティーカップをソーサーに戻し、視線をこちらへ向けた。
先程までの高貴さにバラの棘が纏わりつくような気配がした。
このぐらいでは今の俺は動じない。むしろアリスが言うように、俺はご機嫌なのかもしれない。
決してご主人様に構ってもらえたからではない。俺を繋ぎ止める鎖に、微かな、だが確かなひびが入る音が聞こえたからだ。
「ええ、俺もこの部のために微力ながら役に立つかもしれないからです」
歯が浮くような純情さを持って、アリスの向かい側に許可もなく座る。
途端、この部屋はその本質を交渉の場へと変容させる。
「ただし、条件があります」
俺の言葉に、アリスは可笑しそうに口元に手を添え目を伏せた。
一瞬、窓から入る光が陰り、彼女の表情が見えなくなる。
その陰りを晴らすような風が、俺たちの間を通り抜けた。
「私相手に取引をしようというのかしら。いいわ、ティータイムの余興として付き合ってあげる」
アリスは嫌に陽気な笑みを浮かべていた。
「それで、その条件とは何かしら青葉君?」
アリスは首を少しだけ傾け、俺に発言するよう促す。
その所作はやけに優雅で、気持ちの良いほどに傲慢だ。
俺は唾を飲み込み、丁寧にゆっくりと口を開く。
「「字園奉仕メイド部」というあのプレートと、あなたが言っていた「カクメイ部」について教えてください」
俺は風紀委員がメイド部を潰そうとしていることを知っている。その通りになってくれれば、俺は晴れて自由の身となる。
こんな閉塞感のある環境ともおさらばできる。
だが、本当にそうなってしまうと、解きかけのパズルを放置するような不快感に苛まれる予感がした。
初めてここに来た時に生じた疑問。
それが、「字園奉仕メイド部」と書かれたプレートの謎と、「カクメイ部」という言葉の意味。
この交渉は、それらの真相を知りたいがための私的なものであった。
「青葉君、そういうものは一つずつ聞くものよ。じゃないと女の子に嫌われるわ」
アリスは少し呆れたように微笑む。それは、無作法な子供を嗜めるようでもあり、子猫の悪戯を見守っているようでもあった。
「…まぁいいわ。二つとも同じ根から生えた話ですもの」
アリスはそう言って、ティーカップの縁を人差し指でなぞった。陶器の擦れる小さな音が、俺の乾いた喉元に響く。
「まず初めに、部室の扉にかかっているあのプレートについて話すわね。といっても、そう改まって話すようなことではないけれどー」
彼女はそこで言葉を切り、俺を焦らすようにゆっくりと足を組む。
俺は、チラとリズムを刻むスカートを遮る机を心底恨んだ。
そんな俺の煩悩にも気づかず、再びアリスは語りだす。
「あれはただの『言葉遊び』よ」
「言葉遊び、ですか?」
「それも、とびっきりくだらない」
アリスはくすぐったそうに笑う。その笑顔は年頃の少女のそれだった。
「『学』から点を2つ消すと『字』になるわね。『学』つまり『ガク』から点を2つ消すと…」
アリスは指先で空中に文字を描きながら説明する。
「『字』は『カク』へと変換される。そうすると、『字園奉仕メイド部』は『カク園奉仕メイド部』と読めるようになるわ。…いい? 最後に、これを略してみて」
不明瞭だった文字列が熱を帯び始める。
その熱がどこまで広がるのかはわからない。
「『カクメイ部』」
だが既に、この場所は轟々と燃えていた。
「そして、この『カクメイ部』の目的は― ―」
その火の中心にいる彼女は静かに宣言する。
「この私を縛る全てを破壊すること」
それは、この世界への宣戦布告でもあった。
***
彼女の熱に当てられてか、俺はしばらくの間何も話せずにいた。
「私の話はここまで。今度は青葉君の番よ」
アリスの言葉で、俺の止まった時間が動き出す。
「…あぁ、そうでしたね。では―」
「まさかだとは思うけれど―」
そんな前置きとともにアリスは俺の言葉を遮る。
そして、机に両肘をつき、顔の前でゆっくりと指を組む。
この時の俺は気づかなかった―
「『風紀委員がメイド部を潰そうとしている』なんていう情報だけで、こんなに私に喋らせた訳ではないわよね?」
彼女から伸びた薔薇のツタが、身動きが取れないほど俺に絡みついていたことを―
アリスは貼り付けたような笑顔で俺を見ていた。
「…え」
「ね?」
「…いや」
「ね?」
「…その」
アリスの瞳が、獲物を追い詰めた獣のように妖しく光る。
俺は叱られた犬のように情けなく喉を鳴らすことしかできなかった。
ク〜ン……




