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ポートレートは金の檻  作者: 弥湖 夕來
捕らわれの小鳥
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- 2 -

 翌日、暗い廊下の先でわたしはひとつのドアをノックした。


「トム。ありがと、もういいから仕事に戻って」


 返事を待つ間に、足元に纏わりついていた仔犬を抱き上げ、付き添ってきてくれたトムに声をかける。


 あれ以来、城内でも個室のある一角以外に出向くときには必ず誰かが付き添ってくれる。


 正直息が詰まるところだけど…… 


 そんな思いが頭をよぎり軽くため息をつくと、同時にドアが開いた。


「アデルちゃん、どうしたの? 」


 絵の具だらけのエプロンをかけたフランツさんが顔を出す。


「あのね、お願いがあって来たの」


 わたしはフランツさんの顔を見上げる。


「とりあえず、どうぞ」


 絵筆とパレットを持ったまま、招き入れてくれる。


 わたしは戸口にトムを残したまま部屋に足を踏み入れた。

 室内は今日は一段と絵の具の匂いが強い。


「ごめん、今日はちょっと寒かったから…… 」


 わたしが鼻をひくつかせているのを目に、フランツさんは窓を開けた。


 一気に吹き込んだ冷たい風にわたしは肩をすくめる。


 その風が部屋の中に充満した絵の具の匂いを拭い去ってくれた。


「フランツさん、もしかして忙しい? 」


 手にしたままの道具、描きかけの絵や散らかった絵の具を目にわたしは訊いた。


 タイミングが悪い時に来ちゃったかもしれない。

 少し申し訳なく思う。


「まぁね、忙しいって言うか、忙しくないって言うか…… 」


 曖昧な返事をしながらあたりに散らかった物を片付け、わたしに椅子を勧めてくれる。


 突然窓辺に置かれた小鳥が甲高い声をあげて囀り始める。


 そのかわいらしい声に興味を持ったのか、わたしの腕の中から仔犬が飛び出し、鳥かご間近に駆け寄った。


「トト、駄目よ! 」


 わたしはあわてて追いかけて仔犬を抱き上げる。


「猫じゃないから、大丈夫だよ」


 フランツさんは持っていた道具を置くと、仔犬に目を向けた。


「その犬? グラニール夫人からの贈り物って? 」


「うん。トトって言うの」


 わたしは腕の中の仔犬がよく見えるように差し出す。


「そっか、いいものをもらってよかったね」


 何を思ったのかフランツさんは少し遠くへ視線を泳がせた。


「それで? わたしに頼みたいことって何かな? 」


「あのね…… 」


 いかにも忙しそうな部屋の散らかりようを目にわたしは口ごもる。


「いいよ、言って」


 それを目にやんわりとした笑みを浮かべてフランツさんは言ってくれる。


「あのね、この子の絵を描いてもらいたいの」


 その笑顔に、わたしはやや緊張しながら思い切って口にする。


「グラニール夫人にお礼をしたいの。

 でも忙しかったら断ってくれてかまわないんだけど…… 」


 フランツさんはふっと笑みをこぼしてそっとわたしの頭に触れる。


 わたしの体の力が解けた。


「アデルちゃんのお願いをわたしが断るわけないだろう」


 耳元で小さく囁いた。

 不思議とフランツさんの手はいつでもわたしを安心させてくれる。


「いいよ。

 そんなに大きなものでなくてもかまわないよね? 」


 わたしに訊きながら、部屋の端に向かうと積み上げたキャンバスを繰り始めた。


「三日くらいで仕上がると思うから、楽しみにしておいて」


 その中から引っ張り出した小ぶりのキャンバスを手に言ってくれる。


「じゃぁ、お願いします」


 わたしはぺこりと頭を下げて部屋を出た。

 

 


 フランツさんにお願いを済ませ、わたしは自室へ急ぐ。


 陽の当たらない奥向きの城内はそこここに影ができ色濃い闇が広がっている。


「トムを帰さなきゃよかったかな…… 」


 わたしは腕の中の仔犬に話しかけた。


 壁を隔てた向こう側を使用人が立ち働いている音が響く。

 それが人の姿が見えないだけに余計不気味だった。


 早足で角を曲がり、表向きに面したギャラリーにでる。


 ほっと一息つくと、突然腕の中の仔犬がもがき、緩んだわたしの腕から飛び出した。


「トト! 」


 わたしは床を走り出した仔犬を慌てて追いかける。


 何か目的があるかのように仔犬は真っ直ぐに廊下を走り開け放たれていた窓から庭へ駆け出していってしまう。


「トト、何処? 」


 植え込みに飛び込まれてしまった子犬の姿を名前を呼びながら探すと、刈り込まれた低木の後ろに仔犬のまだらの尻尾が見えた。


「トト。何してるの? 」

 

 仔犬を驚かせてまた逃げられたら厄介なので、できるだけそっと足音を忍ばせて側に歩み寄った途端、何かに足を引っかけた。


「きゃっ…… 」

 

 かすかに上がりそうになった声をかろうじて抑え、体制を立て直して足元を見ると、地面に投げ出された男もののブーツが一足目に入った。

 それも、誰かの足に履かれたままの。


「ごめんなさい、大丈夫でしたか? 」

 

 慌てて声を掛ける。


「ん…… 」


 茂みに隠れていた足の持ち主の上半身がかすかに動く。


 その動きに反応するようにトトが尻尾を振ってじゃれついた。


「あぁ、お前か…… 」


 少し寝ぼけたような声がつぶやくと、トトの頭に手が伸び、わしゃわしゃと少し乱暴に仔犬の頭をなでる。

 そして、仔犬を抱き上げながら起き上がった。


 豪華な金茶の巻き毛がわたしの目に飛び込んでくる。


「……君、もしかしてまた犬を探してた? 」


 起き上がると同時にわたしの顔を目に入れてか、その男性は訊いてきた。


「……うん」


 わたしは小さく頷いた。


「繋いでおけばいいのに」


 座り直すと仔犬を膝に抱えいれじゃれ始める。


「それは、ちょっと、ね…… 」


 頭上に広がる抜けるような青空を見上げてわたしは呟いた。


 繋がれて閉じ込められるのなんてわたしだけで沢山だ。


「こんなところで何をしてるの? 」


 ここはわたしのパーラーに隣接した中庭で、お庭の手入れをしてくれる庭師さんと、わたし付きの使用人以外めったに誰も来ない。


「俺? 昼寝」


「こんなところで? 」


「建物の中より気持ちいいからさ。

 それに誰にも邪魔されない。

 案外中だと、誰かどうかの目があるからね。ここは昼寝の穴場なんだ。

 これだけの広さがあれば、植え込みの影にもぐってしまえば結構わからないし」


「じゃ、ごめんなさい。

 お邪魔してしまって」


 わたしは仔犬を受け取ろうと手を伸ばしながら謝る。


「大丈夫、そろそろ起きなきゃって思っていた時間だし。

 起こしてもらって助かった」


 わたしに向けられた微笑む顔は本当に華やかだ。


「グレース? 」


 どこかで誰かを呼ぶような呟くような声が聞こえた気がしてわたしは振り返った。

 庭の片隅、城の窓のすぐ傍に立つ老人の姿が目に入る。


 あれは…… 


「おじい様! 」


 わたしは老人の傍に駆け寄った。


「どうなさったの? こんなところまで」


 片手に杖を突き、背後からおつきの若い従者に支えられて、おじい様はゆっくりこちらを向く。


「いや、やっと医者の許可が下りてな…… 

 少し外の空気でも吸おうかと思ってでてきたのだが。

 おかげでいいことがあった」


 おじい様はふっ幸せそうに微笑んだ。

「なぁに? 」


「そなたの顔が見られたからの」


 満足そうな顔を向けられてわたしもうれしくなって微笑み返す。


「……まったく、頭の固い奴らはかわいい孫と食事も一緒にさせてくれぬ」


 大きく息をつく。

 そこへトトが駆け寄ってきて陛下の足にじゃれ付いた。


「その犬は? 」


 足元で盛んに尻尾を振る犬を目に、陛下が訊いた。


「ごめんなさい! 」


 リヒャルト卿に言われたことを思い出し、わたしは仔犬をあわてて抱き上げる。


「先日、大叔母様にいただいたんです」


「ゾフィーにか。

 まさか回ってそなたの手に戻ってくるとはな…… 」


 遠くへ視線を泳がせて陛下は呟く。


「おじい様? 」


 わたしはその顔を覗き込んだ。


「ああ…… 

 昔、それとよく似た犬をゾフィーに贈ったのはグレースなんだよ。

 もしかすると、その仔犬はそのときの子孫かも知れぬな…… 」


 そういえば…… 

 おじい様の部屋にある女神の絵。

 トトをはじめて見た時、どこかで見たことがあるような気がした。

 あの女神の足元に描かれていた犬だったんだ。


「どうかしたかの? 」


「ううん、なんでもないの」


 わたしは首を横に振る。


「姫君、そんなところにいらしたのですか」


 城の中から声がする。


「呼んでおるようだ」


 わずかに視線を向けておじい様は言う。


「お時間はとっくに過ぎておりますよ! 」


 続く言葉。

 あの声は紛れもなくリヒャルト卿。

 

 せっかくおじい様の元気そうなお顔が見られてよかった機嫌が一気に下がる。


「行きなさい、あやつはうるさくてその上融通がきかなくていかん」


 そっと、愛おしむようにわたしの頭をなでてくれる。


「おじい様、今度はお食事一緒にしましょうね」


 わたしは仔犬を抱えたまま駆け出した。

 

 


「……確か、『少しの時間』と言いましたよね? 」


 学習室へ戻ると、リヒャルト卿が眉間に皺を寄せ唸るように言うと厳しい視線を向けてくる。


 さっきのあの人の華やかな顔とは正反対だ。


 机の上におかれた分厚い本を広げながらわたしは思う。


 リヒャルト卿だってそもそものつくりは悪くない。

 若い頃はきっとその見てくれだけで熱を上げたお嬢さん方がたくさんいたんじゃないかって容易に想像できるんだけど。

 なんていうか、いつも難しい顔をしているせいで絶対損していると思う。


 と、わたしは、その人物に挨拶もなくきてしまったことを思い出す。


 失礼なことをしちゃったな。


 無作法な子だって思われなきゃいいな。


 かすかな不安がわたしの胸に広がる。


「そうそう、シルバ卿から姫君が学習中だけでかまわないので、しばらくその犬を貸してほしいといっていましたよ」


 わたしの足元におとなしく寝そべる仔犬を目にリヒャルト卿はやんわりと微笑んだ。

 

 

 昼食後の学習室に広がるけだるい空気にわたしはうっかり欠伸をこぼす。


「……お疲れのご様子ですね」


 リヒャルト卿にぎろりと睨まれ、わたしはあわてて口元を押さえた。


 またはしたないとか、言われてしまう。


 そう思って身構える。


「少し休みましょうか? 

 私は少し所用があるのでて参りますから、その間お昼寝でもなさったらいかがですか? 」


 今まで聞いたことのない言葉を残し、リヒャルト卿は足早に部屋を出てゆく。


 予想外の反応に呆然としていると、部屋のドアが軽くノックされる。


「はい? 」


 返事をするとフランツさんの顔があった。


「アデルちゃん、時間いい? 」


 小さなキャンバスを片手に入ってくる。


「うん、大丈夫」


 両手の指を逆さに組んで頭上に上げ伸びをしながらわたしは答えた。


「それ、また君の教育係に何か言われるよ? 」


 フランツさんはわずかに笑う。


「いいの。今は見てないし」


 少しふくれっつらをしてわたしは応える。

 いちいち行動を見張られているんだもの、確実に目がないところでくらい、少し羽目を外すくらいいいわよね。


「相変わらずだね」


 苦笑いをしながらフランツさんは抱えてきたキャンバスをわたしに差し出した。


「できたよ。

 こんな感じでよかったかな? 」


 キャンバスの上で薔薇に囲まれた斑の犬が真っ黒な目を輝かせてこちらを見ている。


「かわいい…… 」


 思わず声がこぼれた。


「お気に召してくれた? 」


 フランツさんがわたしの顔を覗き込む。


「うん、とっても! 

 ありがとうフランツさん」


 わたしは笑顔を向けた。


「でも…… 」


「ん? 」


「もう、嫌になっちゃう。

 グラニール夫人にトトのお返しに贈ろうと思ってお願いしたのに、こんなにかわいく描いてもらったら、手放すのが惜しくなっちゃう」


 わたしは呟いた。


「じゃぁ、さ。

 もう一枚描こうか? 」


 フランツさんが言った。


「え? でも、フランツさん忙しいし…… 」


 本当はウンってうなずきたかったけど、わたしは言いよどむ。


「この絵だって無理して描いてもらったのに、これ以上お願いしたら申し訳ないもの」


 先日訪れたあのアトリエの中の様子だけでもそれはひとわかりだったから。


「いいよ。心配しないで。

 ただし、少し時間をくれるとうれしいんだけどな」


 そう言ってくれる。


「本当にいいの? 」


「もちろん」


 満面の笑みを向けてくれた。


 犬は本当に生きていて今にもキャンバスを飛び出してきそうに見えた。


「この犬…… 」


 キャンバスに描かれた子犬の姿をもう一度見つめていたわたしはふと、同じような絵を思い出して呟いた。


「何か? 」


「うん、あのね。

 陛下のお部屋に掛かっていた女神の絵。

 あの足元にいた犬にトトってそっくりだなって、トトをはじめてみた時に思ったんだけど。

 でね、おじい様がグラニール夫人の犬は最初はグレースおばあちゃんが飼ってたみたいなことを言ってたの。

 あの女神の絵って、フランツさんが描いたっていつか言ってたわよね? 」


「ん? それがどうかした? 」


「あの女神のモデルって、もしかしてグレースおばあちゃんなのかな? 

 って思ったの」


「そう。グレース夫人の若い頃」


 フランツさんはふっと息をこぼした。


「とはいっても私はその当時の夫人の姿を知らないからね。

 他人が描いた絵を模写したような形だから、本当にあの顔だったかは定かじゃないけど…… 」


「人の描いた絵の模写? 」


「あれはね、陛下が唯一持っていたミニアチュールの肖像を元にしたんだ。

 陛下の手元にはグレース夫人の肖像はそれだけしかなかったからね。

 それがどうかした? 」


「うん、おじいさまね、お部屋に伺うと何時もあの絵を不思議な顔で眺めていらっしゃるから。

 どうして女神の絵をあんな懐かしいような愛しいような視線で見ているのかなって、今までずっと不思議だったの。

 それにほら、あの絵。

 一般的に言われている女神の姿と少し違っていたでしょ? 髪の色とか。

 それがすっごく不思議だったの。

 これで理由がわかってすっきりしたわ」


「ああ、亡き王妃に遠慮していたんだろうね。

 王妃が亡くなった年だったんだよ、あの絵を依頼されたのは。

 だから余計に愛おしいんじゃないのかな? 」


「絵が? 」


「じゃなくて、グレース夫人が。

 国の為に意に沿わない結婚を余儀なくされたけど、一番に愛していたのはグレース夫人だったんじゃないかって、わたしは思っているよ。

 なんて、陛下の気持ちはわからないけどね。

 少なくともわたしはそんな気持ちで描かせてもらったんだよ。

 グレース夫人のことを本当に愛していたから、だから陛下は、君のことも誰よりも大事に思っている」


「……そう、なのかな? 」


 わたしはぼんやりと呟く。


 確かにここでは皆がよくしてくれる。でも…… 


 ここにきてからずっと籠の中の小鳥の気分のわたしには、どうしてもそうは思えなかった。


「君が今使っているあの部屋はね。

 夭折した王子が使っていた部屋なんだ。

 天使の絵はね、生まれてからずっと病弱だった王子の護りの為に描かせたものなんだそうだ。

 王子が亡くなった後、陛下はあの部屋を誰にも使わせなかったどころかドアを閉ざして開けることすら許さなかったって話だよ。

 城の中で一番陽が当たって一番風がとおる条件のいい部屋なのに、だ。

 その部屋を開いて君に与えたんだ。

 君への期待と愛情がどれほどのものか想像が付くだろう? 

 ああ、君が使うことに決まった時、家具調度はもちろん全部入れ替えたけどね。

 天井画はそのままだ。

 君の幸福を願っている証拠だろう? 」


 ……言われてもなんかピンとこない。


「ほら、そんな顔しないで」


 励ますように言って、フランツさんはそっとわたしの額に唇を落とした。


「じゃ、そろそろわたしは行くね」


 人の気配のしたドアを振り返り、フランツさんは部屋をでる。


「……シルバ殿は何を? 」


 入れ替わりに入ってきたリヒャルト卿はその背中を見ながら苦い顔をした。


「うん、グラニール夫人に犬のお返しに贈ろうと思ってお願いした絵を、仕上がったからって、届けてくれたの」


 わたしはさっき受け取ったキャンバスを、リヒャルト卿の前に差し出した。


「では、早速額装して贈る手配をいたしますね」


 そう言ってくれた。

 

 




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