不穏な糸
噂が本当になる街で、呪いの噂に「一行」書き足して無害にする男の話です。
金曜の放課後、時計屋へ向かう途中の商店街で、湊さんと結を見つけた。
結は、八百屋の葱を一本ずつ手に取って、根元を見て、葉先を見て、また戻していた。眉間に、ちょっとだけしわを寄せている。
湊さんは、その後ろで、両手に買い物袋を提げて、退屈そうに立っていた。
「湊さん、これは?」
結が、一本、湊さんの方に掲げた。
「青い」
「これは?」
「青い」
「全部青いって言ってない?」
「全部青いんだよ」
「じゃあ、湊さんが選んでよ」
「俺が選ぶと、お前が文句を言う」
「言わないよ」
「先週、言った」
「先週は、ほんとに青かったもん」
八百屋のおばさんが、腹を抱えて笑っていた。
「あんたら、いっつもそれやってるねえ。夫婦漫才みたいだよ」
「違うが」
湊さんが、即答した。
「え、違うの?」
結が、きょとんとして、湊さんを見上げた。湊さんは、何も言わずに、袋を持ち直す。
声をかけようと、一歩、踏み出した時だった。
二人の横に、知らない男の人が立った。大学生くらい。両手で、花束を握っていた。値札が、まだ付いたままだった。
「あ、あの」
男の人は、顔を真っ赤にして、花束を結に突き出した。
「これ、もらってください。それで、あの、よかったら、僕と付き合ってください」
「えっ……?」
結は、葱を持ったまま、きょとんとした。
あまりに突然のことに、八百屋のおばさんも、通りすがりの人も、固まっていた。
それでも結は、葱を抱えたまま少し困った顔で、でも、ちゃんと相手の目を見た。
「ありがとうございます。きれい。……でも、ごめんなさい」
結は、ぺこりと頭を下げた。
「この人がいるので」
結は、後ろにいた湊さんの袖を、ぎゅっと引っぱっる。
男の人は、結の後ろの湊さんを見た。上から下まで。着古したシャツ。左にだけ跳ねた寝癖。両手の買い物袋。
「そう……ですか……」
男の人は、二人の間には割り込めないと踏んだのか、そのまま人混みの中へ消えていった。
「……知り合いか?」
「ううん? 初めて」
八百屋のおばさんが、ようやく息を吹き返したみたいに、笑い出した。
「はは、二人が付き合ってるなんて、この辺じゃ有名なのにねえ……」
「あはは、違いますよ!」
結が、手をぶんぶん振った。
「本当かい? 湊、あんた、こんなめんこい子といっつも一緒にいるのに……まさか!?」
「違いますからね。ノーマルですよ。結は、ただの親戚の子です」
湊さんは、真顔で言った。
わたしはそこでようやく、二人のところへ駆け寄った。
「結!」
「あ、澪!」
結は、わたしを見るなり、ぎゅっと抱きついてきた。
「ちょ、結、葱。葱が刺さる…ていうか……さっきの、どうしたの?」
結は、わたしから離れて、困った顔で葱を見下ろした。
「わかんない。最近、多いんだよね。今週、これで三人目」
「……三人目?」
わたしの声が、裏返った。
「月曜が、コンビニのレジの人。水曜が、バスで隣に座った人。で、今日」
「コンビニの人は、レシートの裏に電話番号書いてくれて、バスの人は、降りる時に、なんか手紙くれた」
わたしと湊さんの目が合った。
「あぁ……明らかにおかしい」
湊さんが、言った。さっきまでの、だるそうな
「でも、湊さんって、わたしの何なんだろうね」
結は、花束と葱を一緒に抱えて、指を折った。
「お兄さんじゃないし、お父さんでもないし。雇い主? 同居人? ……あ、大家さん?」
「大家ではない」
「じゃあ、何?」
湊さんは、答えなかった。袋を持ち直して、次の店の方へ、一歩だけ歩いた。
結は、首を傾げて、それから、にこっと笑った。空いた指先で、湊さんのシャツの袖を、ちょいと引っぱった。次の店へ行こう、の合図だった。湊さんは、何も言わずに、引っぱられる方へ歩き出した。
その時、だった。
袖をつまむ結の左手の、小指のあたりから。湊さんの方へ。赤く細い何かが、すうっと伸びていた。
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