12 落ちて灯に入る初夏ねずみ
――どうしてこんな事に……。
地面にしゃがみ、顔を両手で覆い、どんよりしたオーラを漂わせながら、知結は心中で嘆く。
このフレーズもすっかり口癖めいてきてしまった。それがまた気分を沈ませる。
ただしこの嘆きは、今までと少々理由が違う。
「ほら、ちゃんと顔見せて!」
ちなみにスマホ撮影を解禁した唐行が存分にはしゃいでいるが、これではない。
男子の試合が終わったのだからふざけていてもどうでもいいし、もしかしたら負けたショックを隠す空元気なのかもしれないし、恥ずかしくても止める気力がない。もう勝手にすればいいと自棄になっていた。
「さ、チューちゃん。いよいよデビュー戦だな。糸コンがウゼエのは分かるが切り替えてこーぜ」
「……いえ、先輩……やっぱり止めません? 私なんかじゃ……」
堂々とした光利に、弱々しい声音で言い返す。そこに反感や非難の感情はない。むしろ自嘲、自虐、己に対する反省や後悔の色があった。
激しかった試合が終わり、熱が去った後。いざ知結自身の番となった時に、再び思い出してしまったのだ。
忘れようとした無力感。ベンチから眺めているだけの、夢見て、破れた、苦い思い出。トラウマとも言える過去を。
思い入れが違う。レベルが違う。覚悟が違う。
中学時代のように、向いていないスポーツを無理矢理やったところで自分も周りも誰も幸せにならない。そんな思い、強迫観念に心を占められかけてしまっていた。
そこに、声色の変わった光利の声が聞こえてくる。
「おいおい、急にどうした。野郎共が試合する前はそんなじゃなかったろ」
戸惑いと、ほんの少しだけの心配が窺える表情。これは
劣等感とは無縁そうな先輩だからと言うべきか、意外に優しいと言うべきか。
どちらだろうと見たところで知結に変化はない。顔を伏せ、聞こえるかどうかの小声でポツリと答える。
「……どうもなにも、私じゃ足引っ張りますし……」
「あーはいはい。あの試合見てレベルの違い思い知ったってワケね。で、それが? お前、ロクに練習もしてないのに今まで足引っ張らない気でいたのか? どっから来たんだその自信」
「え、いや、そういう訳じゃ」
「全員分かってんだよ、んな事。それこそ泉刻だってわざわざ一年出してんだろが」
光利の言う通りである。つい先程女子キャプテンの巴自らが出場メンバーを報告してきたのだ。
泉刻のベンチには遠目でも見るからに緊張している事が分かる、いかにもそれらしい女子がいる。戦力を合わせてくれたのは確かだ。
だが、だからといって前向きな気分にはなれない。
「……私なんかが入ったら相手の方にも失礼ですよ」
「何言ってんだ。練習試合自体が無くなる方が失礼だろ」
「それは先輩の陰謀のせいですよね? 最初から他の部員も連れて来てれば……」
「なんの事だかさっぱりだ」
爽やかな笑顔ですっとぼける光利。いっそ清々しい程の確信犯だった。
「で? まだ何かあるか? やらない言い訳」
「言い訳って、そんな」
「失礼じゃない。邪魔じゃない。あとはなんだ? 恥ずかしいとかか? それなら安心しろケイドロ仲間しか見てねえ」
「……別に、恥ずかしいなんて事はないですけど」
「じゃあいいだろ」
「ですから他の問題がですね」
双方がしつこく食い下がる。説得する側も拒否する側も、どちらも譲らない平行線。
話し合いは成立しない。時間の無駄なようだ。
そこで知結は一縷の望みに全力ですがる。
「……房野先輩……なんとかしてくれませんか」
「わたしからもお願いするのです。今日のこの試合だけは我慢して欲しいのですよ」
「え、でも……」
「知結ちゃんの言う通り、これはミィちゃんの陰謀で、ワガママなのですよ。だから皆、どんな結果になっても知結ちゃんを責めたりしないのです」
「……それは、そうかもしれませんけど」
「それに、この試合さえ終わったら、もうミィちゃんに迷惑な勧誘はさせないのです。約束するのです」
蒔愛は自らもしゃがんで座る知結と目を合わせると、人の良い、陰りの一切無い微笑みで話した。
彼女はそれ以上の催促はせず、じっと待っていてくれている。
温かく柔らかい懇願は無下にしたくない、出来ないとさえ思える。
「…………」
それでも、知結は承諾出来なかった。
唇は固く閉じ、視線は地面へ。
抗えない無意識の回想に閉じ籠められて抜け出せない。泥沼に沈んでいくように。
そんな暗い世界に、大きな大きな溜め息が入り込む。
「あーやだやだ。後輩の癖して年食いやがって。年寄りはハングリー精神を忘れていけねえ」
「は? 年? 何言ってるんですか?」
「お前の事に決まってんだろーが。精神年増。他人の凄技見た時、負けられねえ越えてやる、ってんじゃなく諦めるようになったらもう年寄りなんだよ」
挑発的で過激で、格言めいてもいる、いかにも彼女らしい発言。
僅かにムッとする知結だが、今更それ以上の反発心は起きない。弱々しい顔のまま答える。
「……それでもいいですよ。私は別に」
「アタシがよくない。糸コンから聞き出してんだぜ? 昔は目を輝かせてた、ってな。取り戻せよ、それ」
「それは! ……でも昔は……」
「んな事言ってるから年寄りなんだよ。そりゃアタシの真似なんか簡単に出来る訳ゃねえが、だからって何も思わねえなんてねえだろ? 凄えとかテンション上がったはずだ。なんせ、このアタシだからな!」
自らを親指で指し示し、光利は自信満々に言い切った。
あまりに過剰で、押し付けがましい。説得する気が本当にあるのか疑わしい態度。
だが、こういう、自分という存在を強烈にアピールする姿を、知結は羨ましいと思う。憧れる。
ふと、知結は思い出す。
直前の試合での男子達の奮闘。
真剣で厳しい日々の練習。
初日の光利との追いかけっこ。
――ああ、確かに。
知結は素直に認める。
凄い。信じられない。と、心が感じて動いていた。
たから実際にここ最近、彼ら彼女らに未練を刺激され、悩んでいたのだ。決して枯れてはいない。
だがあくまで悩む、その段階。
やってみたいと迷った事は幾度もあるが、諦めの気持ちの方が常により大きかった。
足りないのは理由でなく、踏ん切り。そういうところが自己嫌悪に拍車をかける要因でもあった。
ただ、今は。
改めて憧れる姿を見せられて、心の天秤が傾きつつある。手が、目が、揺れている。
その変化に気付いてか、攻め時と判断してか、光利は距離を詰めてきた。
「そろそろやらない言い訳潰すのも面倒臭くなってきたな。だからとびっきりのやる理由を一つ、聞かせてやろう。いいか? 試合に出ればな」
胸を張って、威風堂々。妙な威厳を纏って。
憧れの先生の姿が重なる。
しかし、彼女は別人。優しさの感じられない、自身が人の上に立って当然の存在であるかのような調子で言い放つ。
「アタシの勇姿を特等席で見れるぞ!」
一瞬時が止まった。
知結はポカンとなった。
は? と素の反応で固まった。
そして、思わず笑いが込み上げてくる。
ずるい。
先生を思い出させる見た目をしていて、なのにそんな滅茶苦茶な事を言うなんて。傲岸不遜にも程がある。あまりに自信過剰過ぎて流石にこうなりたいとは思えない。
だが代わりに、端から見ていてみたいと思った。
中学時代とは違うし、試合をしても誰も大して不利益は無い。
知結も頭では理解していた。
全て言い訳だ。やらない理由を探していた。
怖いから。諦めているから。傷つきたくないから。
それが、嘘のようにどうでもよくなった。
分厚いコートは北風でもなく、太陽でもなく、野蛮なアマゾネスに直接引き剥がされてしまった。
だからその仕返しに、この先輩を仕方なく試合に出る言い訳にしてやろうと思う。
「……分かりましたよ、先輩。出来るだけはやってみます」
「よっし、部員確保ぉ!」
威厳は何処へやら。光利は大袈裟にガッツポーズを決めた。
早速後悔した知結は三白眼でジトッと見つめ、更に蒔愛の声もたしなめる。
「ミィちゃん、いくら恥ずかしいからって茶化すのは良くないのです」
口ごもり目を泳がせる光利。その反応からすると、どうやら正しい指摘らしかった。早くも立場が揺らいでいる。
趣味は悪いが、知結は少しだけ笑みが浮かんたのだった。




