攫われました
「よう来たね。事情は聞いとるよ、大変やったね」
祖母ちゃんが玄関口で優しく微笑みながら出迎えてくれた。
俺と美優は母親の実家である田舎に来ていた。
もちろん、遊びに来た訳ではない。
紅紐様の件があった後、俺は爺ちゃんに霊視してもらった。
結果、わかった事が一つある。
それは俺の祖母が信仰している山の神様が力を貸してくれるだろうという事。
出来る限り早く祖母ちゃんの所に行くように、と爺ちゃんに言われたのだ。
そこで、俺達は美優の課題が終わるのを待って、祖母ちゃんの家に来た。
いや、大変だった。
俺はあっさりと終わらせたのだが、美優の課題が終わらない。
俺が教えながら、何とか一昨日終わらせたのだ。
「しばらくお世話になります」
「あんたが美優ちゃんね。大変やろうけど、庄助を頼むけんね」
当の本人は祖母ちゃんに、ピョコンと頭を下げていた。
祖母ちゃんも美優に深々と頭を下げていた。
これだけ聞いていると、まるで俺が嫁を連れてきたみたいだ。
「それより祖母ちゃん、例の山は何処にあるんだ?」
「焦らんでも、すぐ連れて行くったい。やけど、あんたは留守番よ」
「はぁ?」
世間話を始めそうな祖母ちゃんに、俺は慌てた様子で訴えかける。
祖母ちゃんはチラリと俺を一瞥すると、意外な言葉を口にした。
「この九物村の里山は男子禁制。男は入れん」
「留守番……」
理由を聞かされ、俺は思わず呟いた。
これでは、俺が来る意味はなかったのではなかろうか?
そんな事を思わずにはいられなかった。
「じゃあ、先輩、行ってきます」
「昼は適当に用意しとったから」
手を振りながら美優と祖母ちゃんは出掛けていった。
一人残された俺は仕方なく居間に行き、二人が帰るのをボーっと待っていた。
………。
……。
…。
「……ん……」
気が付けば、俺は寝ていたようで暗くなっていた。
辺りを見回すが、二人が帰ってきた様子はない。
俺は居間の電気を点けて、食べなかった昼ご飯をパクついた。
それにしても、こんなに暗くなるまで帰って来ないなんて、何かあったのだろうか?
「探しに行くか?」
トラブルがあったかもしれない、と俺は立ち上がった。
懐中電灯を見つけ出して、玄関を開けると目の前に女性が立っていてギョッとしてしまう。
「うわっ!」
「昌代さん、いらっしゃいますか?」
「いや、今出払っていて……」
思わず声を出してしまって、バツが悪かった。
女性は気にした様子もなく、祖母ちゃんの名前を口にする。
いない事を伝え終わる前に、腕をガシッと握られた。
「非常事態で人手が必要なの。付いて来て」
「ち、ちょっと」
グイグイと引っ張られて、俺は戸惑っていたが、非常事態で人手がいるなら仕方ない。
真っ暗闇の中、懐中電灯一つ持って、女性の後ろを追い掛ける。
女性は地元の人間だろうか、この暗闇を迷う事なくズンズン進んでいく。
「一体、何があったんですか?」
「……」
「何処に向かってるんですか?」
「……」
俺が投げ掛ける疑問は悉くスルーされてしまった。
折角、手伝おうというのに、これではテンションが落ちてしまう。
女性は山の中に入っていった。
何だか、マズい事になってる気がする。
「あのぉ、ちょっと用事を思い出しまして……」
「……ない」
「え……?」
俺は適当に理由をつけて、前を歩く女性から後退りで離れようとした。
すると、ピタリと立ち止まり、女性は何かをボソッと呟く。
良く聞こえなくて、つい聞き返す。
「逃がさない」
今度はハッキリと聞こえた。
女性に懐中電灯を向けると、背後にいるはずの、あの赤い着物の女性になっていた。
「嘘……だろ」
俺は愕然として、その場に立ち尽くす。
こればマズい。
一刻も早くこの場から逃げなければ。
しかし、身体は動かない。
それどころか、足が勝手に前に進む。
恐怖に硬直したまま、前をまた歩き出した女性の後をついていく。
気が付けば、開けた場所に着いていた。
そこは山の中でありながら、激しい異臭がしていた。
『末裔……来タ』
そこに一匹の獣が存在していた。
猿のような姿に真っ赤な目、そして何より異様な存在感がこの世のモノではない事を物語っている。
俺は魂の奥底で、これが祖先が生贄を渡していた邪悪な山神である事を理解した。
「俺を……どうする気だよ」
『喰ウ』
「……ッ!」
恐怖に震えながらも、俺は必死に強がって見せた。
そんな俺を嘲笑うように、山神はニタリといやらしい笑みを浮かべる。
圧倒的な支配者の雰囲気に、俺の強がりなど吹き飛ぶ。
『死ニタクナイカ?』
「……死にたくない」
ボロボロと涙をこぼしながら、山神の問いに俺は必死で懇願する。
このまま死ぬなんて嫌だ!
どんな事をしても生き続けたい。
『巫女ヲ差シ出セ』
「……ッ!」
衝撃の言葉だった。
巫女とは美優の事に違いない。
そんな事出来るはずなかった。
でも……本当に死なずにすむのか?
何だか、頭がボーっとしてくる。
『差シ出セ』
俺が……助かるなら。
ゆっくりと意識が遠のいていく。
俺の瞳には、山神の赤い目だけが虚ろに映っていた。