第2話『……美しいな』
死の大地と呼ばれる砂漠の果てで死にかけていたコベイル王国の第三王子ユーグ・リュイル・コベイルは、不思議な少女に助けられ一命をとりとめた。
だが、ユーグは少女に心奪われながらも、どこか冷静な頭で周囲を見渡しながら少女に、ある意味でごく当たり前な質問を投げる。
「君は、一人か? 他に誰か居ないのか?」
「ここには私しか居ませんよ」
「君一人でこんな場所に?」
「はい。呼ばれましたから」
「……」
理解の難しい言葉を呟きながら微笑む少女を見て、ユーグは最初にあった救われた気持ちを奥に引っ込め、服の砂を払いながら立ち上がる。
そして、自身が倒れていた丘の中腹から上に上がり、周囲を見渡した。
しかし、どこを見ても、建造物は愚か、人が居る気配すらない。
「人の気配は、無いか……今は夜だから良いが、また陽が昇ったらマズいな」
「……」
ユーグは自身のすぐ隣で少女が立つ気配を感じて、そちらに軽く視線を送る。
本来であれば王族である自身の隣に立つなど兄以外では許される行為ではないが、少女は命の恩人である為、その罪を飲み込んだ。
そして……。
「少女よ」
「はい」
「この近くに集落はあるか? もしくは水場でも良いが」
「集落はここより人の足で三日程歩いた場所にあります。水源は数刻歩いた場所にありますね」
「……そうか」
ユーグは少女の言葉にしばし考え込み、このまま集落を目指してもまた行き倒れてしまう可能性が高い為、ひとまず少女の言う水場へと向かう事にする。
少女の指さす地平の向こうへ。
それが確かな場所なのかユーグには分からないが、自身を救った少女の善性に賭けるしか今は無かった。
そして、こんな歩きにくい砂の大地だというのに、少女はまるでその影響を感じさせないように進み、ユーグは少女の後ろを必死に歩く。
命の水を飲んで、元気になったというのに、全身汗だくで、呼吸も荒くなっており、一歩だって歩きたくない程の疲れがユーグに襲い掛かっていた。
正直な所を言うのであれば、今すぐ大地に飛び込んで寝てしまいたい。
このまま何もかもを忘れて、全てを投げ出してしまいたい。
そんな気持ちがユーグを襲うが、つい先ほど命の危機にあったユーグにとって、今ここで歩くのを止めて諦めてしまうというのは、死を受け入れる行為に外ならず。
あの憎き男。
マティハムに受けた屈辱を晴らす為には、こんな所で無様に終わりたくは無かった。
故に。
ユーグはひたすらに目標の見えぬ道を歩き、歩き、歩き続け。
数時間にわたる移動の後、歩き続けたユーグに一つの変化が訪れる。
自分よりも先を進んでいた少女がユーグの近くまでやってきて、汗でシワシワになってしまった袖を引っ張り、ユーグを前へ、前へと連れて行こうとしていたのだ、
「わ、わたし、は……それほど、はやく、は……っ、すすめん」
「すぐそこですよ」
「はぁ……はぁ……なに、が、すぐそこだと、いうのだ……!」
ユーグはぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返しながら少女の方へと顔を上げて……地平の向こう側から世界を照らす様な淡い光が広がり始めている中。
砂しかない大地に、蒼い塊があるのを発見した。
「っ!!」
ユーグはそれを見た瞬間、前に居た少女を押しのけて、転びそうになる足を必死に前へ、前へと押し上げて一目散に水場へと急ぐ。
水! 水!! 水!!!
と、一目散に水を求めて、不格好な姿のまま走り続けた。
そして、まるで頭から飛び込む様な勢いで水場に頭を入れ、溺れる様な勢いで水場の水を飲み干す。
今まで歩く死体の様であったというのに、今は獲物を見つけて走り出す魔物と何ら変わらない。
必死に水を飲み、呼吸が出来なくなって顔を上げてから、べしょべしょの顔をまた水の中に突っ込んで水を飲んだ。
あれだけ自身を着飾っていた男の何たる無様な姿であるが、ユーグは他人にどう思われるかよりも、今、この場で命を繋いでいるという喜びに体を委ねていた。
そして……。
十分に。
いや、十分すぎる程に水を飲んだユーグは水のある場所のすぐ近くに生えていた木の陰にヨロヨロと向かい、幹のすぐ傍に倒れ込んだ。
仰向けのまま、飲み過ぎてどこか吐き気のする体を抑えながら、ユーグは天を仰ぐ。
生きている。
自分は生きている。
たった一日でまさか二度も死ぬような想いをするとは思わなかったユーグは、今ある生を抱きしめて瞳を閉じた。
陽があがり始めている為、冷たい空気の中に、暖かな風が混じり始めているが、ユーグにとっては酷く心地の良い時間であった。
そして、ユーグがゆっくりと生を謳歌していると、何やら水をバシャバシャと弾けさせている水音が聞こえて、ユーグはよろよろと顔を上げた。
ユーグが視線を送る水場では、先ほどまでユーグと一緒に居た少女が身に着けていた服を脱ぎ、生まれたままの姿で水を全身で浴びている。
水場はここにしかなく、やっとの想いでここにたどり着いたユーグにとって、水は何よりも大切で、命を繋ぐ貴重な物であった。
その様な貴重な物を使って水浴びをするなど、ユーグの怒りを買ってもおかしくはない光景であったが。
ユーグは無邪気に水浴びをする少女をジッと無感動のまま見つめていた。
「……美しいな」
それどころか、ユーグは少女の姿に目を細め、置き上げた体をすぐ近くにあった木の幹に預け。
喜びも、怒りも、悲しみも。
何も感じさせない瞳で静かに少女を見つめる。
無邪気に遊ぶ少女をいつまでも見つめていたいと願うように。
ユーグはいつまでも、いつまでも少女を見つめ続けた。
そして。
登り始めていた陽が、天頂に向けて移動し始める頃。
ユーグはその陽から逃れるように木の傍によって、目を閉じながらジッとしていた。
やはり昼間は暑い。
動きたくはない。
と、全身で示しているユーグであったが、そんなユーグにどこか涼し気な風が当たる。
「……ぁぁ」
「どうですか?」
「……お前か」
ユーグは閉じていた目を片目だけ開いて、どこから見つけて来たのか大きな葉を揺らして風を作っている少女を見やる。
今まで王宮で何度か人にやらせた事はあったが、ここまで救われた様な気持ちになったのは初めてか、とユーグは僅かに口を緩めた。
「良い。良い心地だ」
「それは良かったです」
ニッコリと、暑い日差しを受けながら大きな葉を仰ぐ少女を見て、ユーグは僅かに思考を巡らせる。
そして……。
「なぁ、お前」
「はい? なんでしょうか」
「貴様、名は何という。名乗っていいぞ」
「名前、ですか。私はティーアと呼ばれています」
「ティーア、か。覚えておこう」
「はい」
「私に名を覚えられるなど、光栄なことだ」
「はい」
「これ以上ない喜びなのだぞ」
「はい」
同じ言葉を繰り返しながらも、その言葉遣いが少しずつ変化している事から、適当に返事をしているワケじゃない事は分かる。
むしろ、王族に名を覚えて貰えるなど、庶民にとってはこれ以上ない喜びだろうに。
ユーグは、そう思えなかった。
そう思ってしまえば。
少女が喜んでいるのだと思ってしまえば。
自分は命を救われ、こうして癒しを与えてくれる少女の想いに報いる事が出来た。
そう。だから、そう思っていれば楽なのに、ユーグはそう思えなかった。
「……なぁ、ティーアよ」
「はい? なんでしょうか」
「お前は今、何を考えている?」
「ユーグ様が暑くないかなー? と考えています!」
「……そうか」
ユーグは片手で目を覆いながら、唇をかみしめた。
それを見て、少女が焦った様な声を出す。
「ユーグ様。暑かったですか?」
「いや、違う。違うよ。ティーア。私は、君のお陰で涼しい。涼しいんだ」
「そうですか! それは良かったです!」
輝く様な少女の言葉を受けて、ユーグは一筋目尻から涙が落ちるのを感じるのだった。




