第1話『その様な理不尽。受け入れられるワケがない!』
多くの人類がひしめく、超大陸ウォラルの南方。
命を育まない、砂漠という砂ばかりの大地に国土の半数以上が犯されているコベイル王国にて、一人の男が悲鳴の様な声を上げていた。
男の名は、ユーグ・リュイル・コベイル。
ここ、コベイル王国の第三王子にして、王族の中で最も優美であり、華麗であり、煌びやかの極みに居る様な男だった。
腰まで届く長い黒髪は、日々専門の者達によって整えられているし、傷一つない爪も、指も、しなやかな手足も、全て完璧に整えられている。
王族の証と呼ばれる紫水晶の様な瞳は、彼の自信を示す様に光り輝いており、彼が身に着けている数々の装飾品は陽の光によって輝きを放っているが、彼自身の輝きには数段劣る物であった。
そんな、美を極限まで追求した男が、兄であるオロス・サーフ・コベイルの言葉に噛みつく様な言葉を振りかざす。
「兄上! その様な理不尽。受け入れられるワケがない!」
「ユーグ!」
「その様に叫ばれたとしても、その要求が理不尽な事は変わらぬ! 美容チームを解散しろだと!? バカな! 彼らが居るから、私はこうして国の至宝たる姿を示せているのだ! それは兄上も分かっているだろう!」
「聞け、ユーグ。民は飢え、北方にあるオンドモス帝国は、戦の準備をしている。美容などに国の予算を割いている余裕はないのだ」
「美容など! だと!? 今、美容などと言ったか!? あり得ん! あぁ! あり得てはいけない事だ!! コレは!」
「ユーグ!」
「我が身を飾る為に使った金銭など微々たるものだ! 国庫の一部に過ぎん! それを無駄だと!? 兄上の方が無駄をしているのではないか!」
「私がどの様な無駄をしているというのだ」
「……! そ、それは……! そ、そう! 軍に使う金だ! 以前その予算を見たが、戦をしているワケでも無いのに、驚愕し、腰を抜かす様な額であったぞ!」
「オンドモス帝国との関係が悪化している。軍事予算を多く使い、国家を護る為の軍に力を入れる事は重要だ」
「バカな! 兄上は戦争を始めるつもりなのか!?」
「そうなっても良いように準備をしているのだ」
「戦争になれば、私はどうなる!? 私は戦う事など出来ない!」
「……お前を戦わせることなど考えてはいない。だから……!」
「やかましい! 兄上の理屈など知った事か! 私はこれまで通りにさせて貰う!」
「ユーグ!!」
オロスの声は届かず、ユーグはオロスが立っていた方とは逆方向に歩き始めた。
交渉決裂。
そういう言葉が良く似合うこの場において、オロスは一つの決断を下す。
「……仕方のない事か」
ユーグはオロスの呟きには気づかず、オロスが呼んだ軍人たちが彼の前に立ちはだかった事で驚愕に足を止める。
そして、軍人たちの向こう側に立っている男を睨みつけた。
「マティハム!」
「兄を呼び捨てにするのか? ユーグ」
「黙れ! 貴様などは兄ではない! 汚い娼婦の子である貴様が、高貴な血を受け継ぐ私を呼び捨てにするな!」
「相変わらずか。オロス兄。どうする?」
「っ! 兄上! この男を王宮から追い出してくれ! この男はこの王宮に相応しくない!!」
ユーグは、強大な魔物との戦いで片目が斬られ、更には戦士である為、髪を短く切りそろえているマティハム・セイク・コベイルを指差し、王族の一員とは認めぬ潔癖さで彼を糾弾した。
どちらかと言えば、ユーグに似た姿をしていたオロスであり、今まで何度かあった二人のぶつかり合いでユーグの味方をしていたオロスであったが、今回は違う。
今まで通りとはいかなかった。
「その者を連れて行ってくれ。王都の東方。遥か遠方。死の大地へ」
「おぉ! 兄上! 遂に、この男を王宮から排除するのだな!? しかし、死の大地は少々行き過ぎか……」
「了解した」
「っ! なんだ、何故、私に触れる! 兄上は、その男を排除せよと命じたのだ! 離せ!」
ユーグの周りに立っていた男たちは、ユーグを捕まえ地面に倒す。
その暴虐にユーグは抗議の声を上げるが、この場に居る誰もがその声に耳を貸す事は無かった。
「ユーグが身に着けている装飾品は全て外せ。売ればいくらか金になる」
「貴様ァ!! 価値も分からず、我が宝に触れるとは! 万死に値するぞ!」
「この状態でお前が俺に食らいつく根性でもあれば、こうはなってなかったんだろうがな」
「何ィ!?」
「あえて言ってやろうか。ユーグ。『やれるものなら、やってみろ』」
「ぐぅぅううううう!!! 貴様ぁぁああああああ」
ユーグは沸騰しそうな怒りをマティハムへと向けたが、指一つ動かす事が出来ぬまま全ての装飾品が外され、体は麻袋の中に詰め込まれ、王宮から運び出された。
麻袋に入れられたユーグは道中ひたすらに文句を言い続けたが、その言葉が誰かに届く事はなかった。
そして、文句を言う事にも疲れ果てたユーグが次に目を覚ましたのは、自分がどこかに投げ出される衝撃であった。
「っ……! な、なんだ……!?」
ユーグは砂ばかりの地面を転がりながら、痛む体を起こして、周囲を見る。
だが、ユーグの目に映るのは砂ばかりの大地であり、今しがた自分を捨てて行ったであろう馬車が視界の向こう側に消えていく所であった。
「どこだ! ここは!」
「ここはどこなんだ! 兄上!」
「この様な事をして、どうなるか分かっているんだろうな!?」
「私は! ユーグ・リュイル・コベイルだぞ!」
ユーグは誰に聞かせるでもなく叫び続け、どこかに兄が用意した密偵が居るのではないかと声を上げ続けた。
しかし、当然ながらその様な者はおらず、ユーグはトボトボと砂漠を歩き続ける。
砂漠には小さいながら丘の様な起伏と、谷の様な窪地がある。
ユーグは初めて歩く砂漠に体力を奪われながら、天頂から降りて来る陽の光に体を焼きながら、歩き続けた。
何処へ向かっているかは、分からない。
今どこに居るのかも、分からない。
自分がどうなっているかも、分からない。
何も分からない中、彼はただ、はぁはぁと細かく小さな呼吸を繰り返しながら強い日差しの中を歩き続けた。
歩いている間、彼は少しずつ過去の事を思い出していた。
王宮での日々。
優しかった母や、厳しかったがおおらかであった父。
そして、父に憧れ研鑽を続ける兄。
全てが満たされていた。
母はユーグが宝石を身に着け、煌びやかである事に喜んでいた。
ここには全てがあった。
だというのに、ユーグには今、何もない。
かつてあった全ては、遠い何処かに消えてしまって、今のユーグには自分の体くらいしか無かった。
それが、悲しくて、悔しくて。
辛くて。
ユーグはいつの間にか流れ始めた涙を熱い砂に落としながら、ゆっくりと足を進めてゆく。
だが、王宮の中で一日の殆どを過ごしていたユーグは遂に力尽きて、地面に倒れる事になった。
うつ伏せになりながら、何かを求めるように右手を出して、顔だけ砂の地面に触れない様に横を向きながら、倒れた。
ここで死ぬのか?
父や母の様に。
誰も居ないこの場所で?
嫌だ。
けれど……どうしようもない。
ユーグは荒れ狂う感情の中、一点。
心の中にあった静かな場所へ落ちてゆき、その場所で膝を抱え込んで、このまま消えて行こうとして……。
「……?」
「だい……ですか?」
「……? だれだ」
「良かった。まだ息がある。これを飲んでください」
ユーグは口に付けられた何かから、水が零れ落ちてくる事に気づいて、流れ落ちて来るそれを受け止めるだけでなく、それを飲み始める。
水を飲む事で回復し始めた体で自分から水の飲み口より水を吸い出し、それを自分の体に与えた。
「っ! はぁ! はぁ、はぁ、はぁ……!」
ユーグは数時間ぶりに、『生きている』という感覚を全身で抱きしめて、倒れていた上半身を起こした。
そして、まだ動く自分の右手を握りしめて、広げて……また握りしめる。
「……私は、まだ、生きているのか?」
砂だらけの服をそのままに、ユーグは呆然と呟いて。
「いきなり動いては危ないですよ」
夜に聞こえる精霊の囁きの様な麗しい声に顔を上げた。
瞬間。
ユーグの中にあったのは一つの衝撃であった。
いつの間に陽が沈んでいたのだろう。
分からない。
分からないが、月明かりに照らされて、微笑む少女が。
長い黒髪を風に靡かせて、黄金に輝く瞳を僅かに細め、ユーグに笑いかける少女が、ユーグの心を貫く様に美しくて、可愛らしくて。
ユーグは思わず、口を開けてしまった。
「……砂漠の、女神」
ユーグは呆然としたまま少女に言葉を掛けて、胸の奥で早くなっていく鼓動の音を抱きしめながら、少女を静かに見つめるのだった。




