幕間「何でもない7月11日」
――キーンコーンカーンコーン……
チャイムが鳴り響き、みんなが帰っていく。人がまばらになった二年二組の教室で、私は机の上の山盛りのトランプカードをかき混ぜた。山盛りっていっても、トランプカードは半分だけ。スペードとハートしかない。
「ふんふん、ふふん」
「何してんの?」
「うそつきと正直者の準備。いかに嘘をつくか、騙されずにすむか……みたいな」
「へぇ」
「プレイ時間はなんと五分。トランプの意味はあんまりない。まあ軽い暇つぶしというか。みっちゃんと一緒に――ってなに!? なぜ私の前の席!?」
思わぬことに椅子ごと後ろにバッグすると、私の前の席に座った宇都宮くんが、当然のように言った。
「対人ゲームなら、相手が必要じゃない?」
「暇なんだな、宇都宮くん」
「君が暇そうにしてるからね」
「おあいこじゃん!」
「で、ルールは?」
相変わらず、こっちの話は、聞いているようで聞いてなくて、聞いていないようで聞いてる!
でも、せっかくの遊び相手だ。私は、兄さんと作ったルールを記憶の引き出しから引き出して、宇都宮くんに伝えた。小さい頃、兄さんと作ったこのゲームは、実に大味だ。トランプカードをスペードとハートだけにする。後は、裏を表にしてがしゃがしゃとかき混ぜ、対戦相手と同時に引くのだ。
スペードを引いた人は、うそつき。ハートを引いた人は、正直者。どっちも同じ柄を引いたら、二人が違う柄を引くまでやり直し。肝心のゲーム内容は、「嘘をつく」のだ。「うそつき」がついた嘘に、「正直者」が騙されたら負け。この時、「正直者」は嘘をついたらいけない。「正直だから」。
制限時間は五分。五分以内に「うそつき」が「正直者」を騙せたら「うそつき」の勝ち、騙されなかったら、「正直者」の勝ち……なんだけど。
「うぐ、うぐぐぐぐぅ!」
「で、次の嘘は?」
「や、やっぱり、これうそつきが不利じゃないかな!?」
「坂川が素直すぎると思うんだけど。あ、あと30秒」
机の真ん中に置いたスマホを、宇都宮くんがチラッと見る。
「待って、今考えるから! いま、考えてるから!」
「15、14、13……」
「カウントダウン禁止ー!」
「そんなルールあったっけ?」
宇都宮くんがそらっととぼける。ピピピ!とスマホのアラームが鳴った。5時47分。
「俺の勝ち」
「うえぇぇ……負けたぁぁ……」
「で、なんでも言うこと聞いてくれるんだっけ?」
青い瞳を細めて、宇都宮くんがにんまりと笑う。小さい子供が作ったゲームだ。当然のように、負けた時のペナルティ、勝った時のご褒美は決まっている。『負けた人が、勝った人の言うことを一つだけ聞く』。
私は観念して、両手を上げた。
「一つ。一つだけだから!」
「じゃ、明日の掃除当番変わって」
「はい、喜んでー!」
がばっと頭を下げると、上からくつくつと低い笑い声が聞こえてくる。宇都宮くんは、どうも私のリアクションがなにがしかのツボに入るらしく、時折こうして笑うのだ。
――べつに、宇都宮くんに笑われる為にリアクションしてるわけじゃないんだけど!
だけど、それを言ったことはない。彼の反応が、バカにするような感じじゃなくて、面白い漫才を見た時に近いのもある。
「ちょっと笑うの長くない?」
「や、さっきの……始める前に、ガッ!て仰け反ってたのも思い出して、くっ……」
「始める前にも笑うポイントがあったってこと!?」
それから、宇都宮くんは五分くらいクツクツ笑っていた。同じく教室に残っていた加賀見委員長が日誌をめくりながら、私たちをチラッと見て目を丸くする。宇都宮くんよかったね、人の少ない放課後で……いや私が良かったのかも。
普段は気にしないようにしてるけど、……宇都宮くんってかっこいいもんな。
「夏休み、もうすぐだな」
やっと笑いが収まった宇都宮くんがそうポツリと言った。今日は、7月11日。夏休みは21日からだから、もう二週間を切った。
「宇都宮くんは夏休み、どっか行く?」
「山」
「へー。うちは湖!」
「そこは海じゃないの」
6時になってみっちゃんが教室に戻ってくるまで、私と宇都宮くんは他愛ない話をした。夏祭りではぜったいたこ焼き食べるとか、課題は七月中に終わらせるか、毎日コツコツやるとか、そういうの。
私にとっての2016年7月11日は、たったそれだけの当たり前の日常だった。