#9 うそつきだーれだ
とっさに私は、手を伸ばした。
届く距離じゃない。宇都宮くんもそういう事態は重々、承知している。だから。伸ばした手が空を切らず、宇都宮くんに届いた時。
宇都宮くんだけじゃなくて、私もあんぐりと口を開けた。
「加納……」
うめくように、宇都宮くんがその名を口にする。よく分かんないけど、感謝! 両目つむってる系美少年に敬礼!
私はそのまま、宇都宮くんの手にしがみついた。意地でも離れんぞ。
「聞いて」
「聞かない。……聞く必要が、ない」
「考えを変えろなんて言わない。だって、君がこんなことをしでかしているなら、よっぽどの理由があるんだから」
ぴくり。小さく眉が揺れた。
ここから先は分からない。そもそも、……そうだ。問いただすとか、あてもなく探すとか、自分の気持ちをぶつけて対話に持ち込もうとか、もう散々やったではないか。だから、別の切り口が必要だ。
浜田くんがくれた言葉。佐伯さんや戸田さんの態度。……触れてはいけないものがある。それに触れれば、取り返しのつかないような、そんなものが。
「理由も聞かない。経緯も聞かないよ。ただ、教えて欲しい。……君はいつまで、この時間を繰り返す?」
校庭は静かだった。
生徒の声はもちろんのこと、風の音や鳥の鳴き声も聞こえない。校舎の中に居るクラスメイトたちが、窓から顔を出すことも、なかった。
宇都宮有住。彼はこの世界の支配者なのだ。
「……永遠に」
その秀麗な横顔を、私はまじまじと眺めてしまう。
宇都宮有住と、永遠。
実に滑稽な組み合わせだと思う。かぐや姫だって覚えてないようなやつなのだ、宇都宮くんは。始皇帝だって、吸血鬼にだって、興味ない。輪廻転生とかの宗教系もなかなかに怪しい。それくらい、変わらないものを信じていない。永久に損なわれないものなど、この世にはないと知っているのに。
だからだろうか。
それだけの理由があるんだ、とストンと素直に胸に落ちてきた。
「わかった」
「……え」
正面に向き直って、宇都宮くんの両手を握る。いつも人を喰ったように輝く双眸が、きょとんと丸くなっていた。
「私も永遠に付き合う! だから、必要なら記憶も消しちゃっていいよ!」
「……」
「待って。やっぱり怖いから、目を瞑っていいかな? 私が目を瞑ったあと、一、二、三で記憶を消してくれたら……」
く、と低い声が、漏れた。疑問の声を上げる間もなく、目の前の美少年がくつくつと笑い始める。しまいには目尻に涙を浮かべ、お腹をよじるように動きも見せた。
「今、どこに笑うところあった!?」
「君って、ほんと……」
「な、なに」
「バカだなって思って」
「は、は……は――!!?」
これにはさすがの私も激怒である。腹の底から声を出し、宇都宮くんの両手を上下に振る。けれど、彼にはそれも面白いようで、けらけらと声をあげて笑い出した。ほんっとうに、ほんっとうにそれはそれでどうかと思うのだけど、この笑い声も嫌味な感じじゃないんだよなぁ。……だから私は、いつも通り黙るしかない。
ひとしきり笑い終えた宇都宮くんは、俯いた。私と彼の身長差はそれなりにあるから、彼が俯くと見上げている私とは必然的に見つめ合うことになってしまう。なに、この状況。顔をしかめる私に、彼はまた笑って……ちいさく。ほんとうに、小さく、呟くように言った。
「……探すよ」
「なにを?」
「そんな方法があるなんて、俺自身が信じられない。見つからないかもしれない。骨折り損ってのも、大いにある。……けれど、思ったんだ。本当はそれを、望んでいたんじゃないかって」
暗夜の砂漠で、針を探すようなものだと宇都宮くんは言った。不可能の例えがひどすぎる。せめて砂漠でダイヤモンドにしたらといえば、ダイヤモンドじゃないからねとしか返ってこない。まったく、なんなのかさっぱり分かんない。分かんないけど……
宇都宮くんの意思が、変わった。
胸の奥に、じりじりとした熱が灯る。
つまりそれって、このタイムリープ&ループは……
乾いた土を踏む音がする。宇都宮くんはかすかに目を細めた。
「は? それってどういうこと? アリスはこのループ、降りるってことなん?」
よく知った声に、愕然としながら振り返る。
みっちゃん――宮島鹿乃子が、宇都宮有住を鋭く睨み付けていた。
ぽかーんと口を開ける私をチラとも見ずに、みっちゃんは宇都宮くんを睨み付けている。たしかに……たしかに、その可能性を考えてしかるべきだったのだ。宇都宮くんと加納くんは友人、佐伯さんは幼馴染。事情を知っている風なクラスメイトは、明らかにみっちゃんの関係者が多い。
――でも、みっちゃんは嘘とか、苦手だし。
――あれだよね。長女だから、弟妹の見本はムリにしても、信頼される姉でいたいって……だから、「悪い嘘」は……
「みっちゃん、どういう……」
「律は黙ってて」
ぴしゃりと言われて、口を噤む。……つぐまざるをえない。みっちゃんが怖いっていうより、何も分からなくて怖い。
どういうことなんだ? なんでみっちゃんは反対してる? みっちゃんもううんそれだ
けじゃない。もしかしたら、私以外全員――
宇都宮くんの方を振り返る。彼は目を眇めて、みっちゃんを見てから、チラッと学校の方を一瞥した。
「アリス!」
「今までご協力どうもありがとう。でも、黙るのはそっちだろ?」
「……っ。わかってないのは、アリスの方じゃん!」
みっちゃんは、パッと両手を広げる。
「ずっと、ずっと続けようって、言った! みんな納得してる!満足してる!……なのになんで、アリスがやめんの!? ズルイ、ズルイ、ずるいじゃん!!」
絶叫のような、悲痛な叫び声だった。それが真正面から、直に叩きつけられる。痛い。痛いよ、みっちゃん。いますぐ、耳を塞いで、目を閉じていたい。
でも、そんなことはできない。私の体は、でくの棒みたいに突っ立ってるだけだ。ふいにとんっと肩を叩かれた。けれど振り返る前に、ぐいっと手首を引かれて、宇都宮くんの後ろに回される。
「律!」
「そうだね。君の言う通りだ。でも」
ちらっと宇都宮くんが、こっちを見た。
……。もしかすると、か、庇ってくれたのかな、コレ。へ、へぇ。そんなこともあるやん……あるやんねぇ!?
「ここは俺の舞台。
演出も、脚本も、美術も、音楽も……ぜんぶ俺が決められる」
「ハッ。だからキャストや裏方の意見はいらないってことかぁ。どこまでも王サマ気取りでほんっと……腹立つ!」
くつりとみっちゃんは、笑った。
喉に絡みつく、汚泥のような笑い声が、校庭に木霊する。
みっちゃんは、このループを止めたくない。永遠にループを続けていたい。でも、ループを続けるのも、終わらせるのも、宇都宮くんにしか決められな……ピシリと音を立てて、地面に亀裂が入った。
瞠目する宇都宮くんを後目に、みっちゃんが校舎の方を振り返り、ニコッと笑いかけた。
「ねえ、みんな。今の王サマのご高説、聞いてたっしょ? ほんっと腹立つよね~! あたしたちだって協力してんのにさぁ」
三階の窓が開いて、二つの影が見える。特徴的な姫カットの髪が揺れ、佐伯さんは手すりに手をかけた。佐伯さんの横にはもちろん戸田さんが、たぬきのぬいぐるみを抱いて立っている。
「でもあたしたちには、ケンリないんだって! 口をはさむ?だす?まあなんかそーいうの!」
次は校舎の入り口。走ってきた武藤さんが立ち止まった。慌てていたのか急いだためか、眼鏡がズレている。武藤さんの後ろから、宮本くんがその巨躯にふさわしくゆったりと現れた。
いつのまにか浜田くんが壁に背を預け、くぁと欠伸し。屋上では、加納くんがヒラヒラと手を振る。その横には、居心地悪そうなツンツン頭――井岡くんが立っていた。
「私以外、みんな、知ってたんだ……」
私の言葉に、みっちゃんがバツの悪そうな顔をした。たぶん宇都宮くんも、ちょっとはそんな顔をして……ると……
「り、律!? だいじょうぶなん!?」
「へ、平気……」
とは言ったものの、膝が笑ってしまって立っているのがやっとだ。
みんな、知ってた。知ってて、黙っていた。私以外――もしかして、私も知っていたのかな。けれどループに反対したから、宇都宮くんに記憶を消されて……。
「いま、供給ラインを四本切ったよ! このライン、どこに繋ぐか……」
「加納だろ。君の切り札は、いつも同じだ」
「切り札っていっつも強いもんっしょ!」
屋上を見上げてみる。校庭からでは、屋上の加納くんは豆粒みたいだ。辛うじて個人の判別は可能だけれども。
そんな加納くんが、またパタパタと手を振った。かと思えば、下を指す。なんだろ。
手を振って、下を指して。
それを何度も根気強く繰り返し……
宇都宮くんとみっちゃん。二人がバチバチやり合うのを、見守る他のクラスメイトたち。
私はそーっと自分を指さした。加納くんの両手が、丸を作る。
ど、どーいうこと? 私への合図? ……もう一回言うけど、どういうこと!?
「あたしもこういうコトは、できればしたくない。だから、聞いて。うんって言って。……ループ、まだ続けるよね?」
「……」
ちょっと考えてみよう。
加納くんの下にあるのは、校舎と校庭と考えていいだろう。校舎には加納くんの他に、井岡くんや佐伯さんたちや武藤たちが居るけれど、この五人は物理的なに遠すぎる。
それなら、校舎の外。校庭なら……浜田くんが居る。チラッと浜田くんの方を見てみる。
でもさー!浜田くんは、宇都宮くんだけの味方ってワケじゃなさそうなんだよなー!
それにやっぱり距離が遠い。私が近いのは、宇都宮くんとみっちゃんだけだ。他は――他、といえば……地面に亀裂がある。ちょうど足元にもあって、靴先を入れてみると微かな浮遊感がある。「開いてる」。ここ、開いてるんだ。
屋上を見上げると、加納くんがまた下を指さしてる。彼の表情は見えないけど、どんな顔をしているのかは分かる。あいかわらず目蓋を閉じたまま、モナ・リザみたいに笑っているのだ。
――下に行っておいでよ、律。
――なァに、チョットだけ。チョーットだけさ……。
――左足をチョイと横に動かして、右足を宙に浮かせるだけ。
耳元で低く掠れた声が、ざわざわとざわめく。うわああ!幻聴まで聞こえ出した!
「……信じるよ、加納くん!」
みっちゃんが目を剥く。宇都宮くんが振り返る。
その前に、私は謎の亀裂へと左足をちょっとだけ横に動かした。




