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物語の始まりの始まり

 少年は深い森に迷い込んだ。

 

 万夜の森と称されるとおり、まるで夜のような闇がどこまでも続いている。

 ひんやりと冷たい風が木々をざわめかせる度に、少年は首を竦めてそれをやり過ごした。


 また、だ。また、聞こえる。


 歌うように軽やかな、この森には似つかわしくない笑い声。

 風の中に若い娘の笑い声に似た音を聞いてから、少年は一層この森が恐ろしく感じられた。

 森に立ち入る事は村の大人達から硬く禁じられていた。


 『この森には魔が住み着いているから』


 大人達が語る子供だましの脅しなんて、今この時まで欠片も信じていなかったけれど。

 思わず胸に抱いた空の桶をぎゅっと抱きしめた。

 

 大人の忠告を聞かなかったことをこれほど後悔するのも、

 年の割には肝も据わっていて小賢しいと大人たちから敬遠されている少年にしては珍しい。


 けれど。

 少年には固い決意があった。


 どうしても、どうしても、この空の桶に水を充たして帰らなければならない。


 日照り続きで干上がった井戸に大人たちは嘆くだけだった。

 右往左往する大人たちを後目に少年は意を決して森へと踏み込んだ。


 森の中には泉があるはずだった。

 ずいぶん昔には、狩人達はこの森に入っていた。どこかに水場があるはずだ。

 獣達だって飲まず喰わずでは生きていけないはずなのだから。

 

 ぎゅっと目を瞑れば瞼に浮かぶのは熱に喘ぐ弟の顔。

 額を冷やす水はない。飲ませてやれる水もほとんどない。

 このまま体の水分がどんどん出て行けば、それだけで死んでしまうかもしれないと

 医者は難しい顔をして言った。

 

 どうしても水が必要だった。だから、衝動的に桶を持って家を飛び出した。

 

 少年は決意を新にすると、風の吹いてくる方向へと機械的に足を動かした。

 風は湿り気を帯びていて、だからこそどこかに水場があるのだと少年に確信させた。

 

 

 少し開けた場所にぼんやりと浮かび上がった人影に驚き、少年は歩みを止めた。

 気配に気づいて振り返った人影は、少年の姿に驚いたように目を見張った。


 輝くような黄金色の長い髪に泉のような深い碧の瞳。

 肌の白さはこの闇の中に浮かび上がるようだった。


 彼女は少年の手にした空の桶に気づくと警戒心を解いてくすりと笑った。


 「水が欲しいのね」


 問いかけというよりは断定といった風に言い、彼女はくるりと少年に背を向けて歩き出した。

 少年は慌てて後を追う。



 彼女が歩みを止めたのは、森の奥深く。粗末な東屋の前だった。


 東屋の側にある古く粗末な井戸を彼女は無言で指差した。

 少年が井戸を覗き込むと、そこには水が滾々と湧き出ていた。


 井戸の淵に手をついたまま、少年は彼女を振り仰いだ。


 「水、貰ってもいいんですか」


 彼女は嫣然と微笑むと少年のすぐ近くの井戸の淵に腰掛けた。


 「ええ、遠慮しないで。私、ずっと待っていたのよ」


 彼女は本当に嬉しそうにくすくすと笑い出した。






 「本当に、本当に長い間」






 ぽつりと呟いた言葉に少年は不思議そうな顔で彼女の横顔を見つめた。

 少年の視線に彼女は本の少し苦味の混じった微笑を向けた。



   「ねぇ、イラの井戸って知ってる?」


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