第2話
陽気なメロディが聞こえる。周囲の景色はきらびやかで、でもなぜか滲んでいて。
ヒロミは振り返った。そこには両親が立っている。彼等は笑顔を浮かべて何かを言った。声は、聞こえなかった。それで気付く。
――あぁ、これは夢だ。
これは……そう、朝日30年1月16日。災厄の日の記憶だ。
あの日、ヒロミは両親と遊園地を訪れていた。ヒロミはステージへ一直線に向かい最前列に座った。開演の合図が鳴り、怪人やヒーローが舞台に姿を表す。ヒロミは夢中になってそれを観ていた。
だから、ヒロミが気付いたのはきっと一番最後だったと思う。
観客全員が空を見上げていた。舞台上の怪人とヒーローも戦うのをやめて、空を見上げた。それでヒロミもようやく空を見上げた。そこにはあまりにも眩しい光があった。
まるでもう一つ太陽ができたみたいだった。ただ一つ違ったのは、それはすごいスピードで移動している事だった。光の玉は空に一筋の軌跡を残しながらこちらへと近付いてきて、そして。
――世界は閃光に包まれた。
凄まじい衝撃を感じた所で、ヒロミの意識は途絶えた。
気が付いた時、ヒロミは父に背負われていた。
あたりを激しい怒号や悲鳴が行き交っていた。瓦礫や血が散乱していた。ヒロミは何が起きているのかよくわからず、『ヒーローは? ヒーローは?』とショーがどうなってしまったのかばかりを尋ねていたように思う。母はヒロミを安心させようとするように、その手を強く握っていた。
そんな母の手の温もりが、ふと消えた。
父が振り返って何かを叫んだ。『お母さん?』とヒロミも振り返った。咄嗟に父がヒロミの顔を手で覆ったが、遅かった。ヒロミははっきりとそれを見ていた。
――母が、喰われていた。
母を喰っていたのは、怪人なんかじゃなかった。人間だった。でもヒロミには、それはどんな怪人よりも恐ろしい存在に見えた。
ヒロミは喚き散らして暴れた。ぼくが助けなきゃ、と。そんなヒロミを押さえつけて、父は走った。ヒロミは暴れ続けた。変身ベルトを買って貰ったあの日、約束したはずなのだ。
――お母さんがピンチの時は、これでぼくが助けてあげるから!
約束、したんだ。約束したはずなのに……。
次に気が付いた時、ヒロミの目の前で父が喰われていた。喰っているのは母だった。しばらくすると父は動かなくなった。でも、それからまたしばらくして苦しみ出し、そしてさらにしばらくすると立ち上がった。
それから、今度は二人してヒロミへと襲い掛かった。けれど、二人の手はヒロミには届かなかった。両者の間には鉄の柵があった。
ヒロミはずっと両親が襲いかかろうとしてくる様子を見続けた。
多分、待っていたのだと思う。ヒーローが助けに来てくれるのを。全てを解決して、両親も元通りになって、ハッピーエンドが訪れるのを。
やがて、パラララ、パラララと音が鳴って両親は倒れた。
――ヒーローは現れなかった。
街は自衛隊によって鎮圧された。ヒロミを救助した隊員の言葉が、妙に記憶に残っている。
『きっとご両親が君を守ってくれたんだろう』
ヒロミが振り返ったそこにあったのは、ペット用の檻だった。子供がなんとか一人入れるくらいの、小さな小さな檻だった。
* * *
「――ミ、……ヒロミっ」
「っ!」
ガバッとヒロミは飛び起きた。酷く粘っこい汗が額に浮かんでいた。
教室には既に夕日が差し込んでいる。教室にはもうヒロミとメイの二人だけだった。
「ダメだよ、居眠りしてちゃ。学園のヒーローなんだから」
言ってから、何かに気付いた様にメイはじっとヒロミを見つめた。
「何か、嫌な夢でも見た?」
「いや……なんでもない」
メイは何か考えるように、一拍置いてから、続けた。
「……最近、頑張りすぎなんじゃないの? ボーッとしたり居眠りしたり、そういうの多いよ?」
「そうか? 気の所為だろ」
「自覚なし、か」
メイが溜息を吐く。
「……あ。そういえば、お父さん今日はお客さんの予約もないから来れるって。今日は、っていうか今日も、だけど」
「まぁ、仕方ないだろ。今時、わざわざ時計を修理しに来る人なんて少ないだろうし。そもそも、腕時計自体してる人かなり減ったし」
「だねぇ。それに直すより新しいの買っちゃった方が安い事も多いし。だからもう、趣味なんだろうね。未だに時計修理を引き受けてるのは。……お父さん古いからなぁ。未だに『男は車と時計とゴルフと釣り』って言ってる人だし」
「それは……辛いな」
「……だねぇ。だから余計、時計に思い入れがあるのかもねぇ」
メイの父の気持ちを思い、二人して感傷的になる。
と、ヒロミは教室の時計に気付く。
「もうこんな時間じゃねーか!?」
慌てて鞄を肩に掛ける。
「ちょっと待ってヒロミ!」
「わーってる。19時にショッピングモール、だろ? ちゃんと、日課が終わったら行くって」
この街でお出掛けといえば大抵、そのショッピングモールの事を指す。この街では一番大きな店で、映画館から洋服はもちろん、宝石店やゴルフ洋品店、おもちゃからスーパーまでが一所に集まっている。
「もう! 本当に分かってるの? あと、日課って何してるのか知らないけど、危ない事だけはしないでね。どうせまた、ヒーロー絡みなんだろうけど」
「へいへーい」
軽口を叩きながらヒロミは帰路に着いた。
校舎の外に出た途端、ゴォォという音が聞こえて来る。強い西日を背に立つ塔が見えた。見渡せば、それがぐるりとこの街を覆うようにそれが立ち並んでいた。ヒロミはこの景色を見るたびに思ってしまう。
――まるで檻のようだ。
いや、事実ここは檻の中だ。
あの災厄以来、この街は閉ざされている。あの塔の向こうとこちらとで行き来は制限されており、ヒロミ自身、あの災厄から一度も街の外に出た事がなかった。
この街には海はなく、ゴルフ場もない。
「よし、行くか!」
顔を叩いて気持ちを切り替える。
ヒロミの放課後の行動はおおよそパターン化されている。まず最初に、家に帰って服を着替える。動きやすい格好だ。それからいくつかのアイテムが入ったポーチを巻く。さらにパソコンを使って掲示板などから事件の情報を集める。それが終われば、街へと繰り出す。
パトロールだ。
「特に変わった事はなさそうだな」
骨伝導スピーカを介し、携帯端末でニュースを聞く。といっても、ニュースになるような事件にヒロミが関わるのはごく稀だ。ニュースになるような事件は警察の仕事だ。ヒロミの出る幕などありはしない。
だから、ヒロミの日課というのは、イジメや事故、迷子、絡まれている女の子を助けるってのが大半だ。それらも、そこまで多くはないが。
ザッピングするようにチャンネルを切り替える。ニュースだけでなく時折、アニメチックな音声やクラシックが混ざる。と、チャンネルを切り替えていた指が止まる。地方のトーク番組だった。
『……との意見もありますが、その辺りに関してはどうお考えでしょうか。私自身、監視システムの普及により市民のプライバシーが守られなくなるのでは、という声はよく聞きますが』
『そうですね、確かにそういった側面も私共は理解しております。しかし、ご安心ください。生憎と私達には、貴方が一緒に歩いている相手が奥様なのか、はたまた浮気相手かなんてわかりっこありませんから』
『はっはっは! いやぁー、それはとても安心ですね!』
『でしょう? 私共が防ぐのはあくまでも、目に見える悪意です』
『目に見える悪意、ですか』
『えぇ、こちらのグラフをご覧ください。暴力や強姦、誘拐といった犯罪の検挙率が上昇し、また事件の発生率自体が大きく下がっている事もわかると思います。監視カメラがある、小さな事ですが、たったそれだけで人は思い止まれるものです』
『ほほぅ、これはありがたい! これがあれば私も、街中でうっかり妻に刺されずに済みそうだ!』
『しかし、油断は禁物ですよ。まだまだカメラは普及の最中。路地裏などは死角も多いので、今後もしっかりと数を増やしていき、より皆様の安全に貢献したと思っております』
『なるほど、監視カメラというと怖いイメージがありましたが、私たちを守ってくれるものだったのですね! 本日はありがとうございました。最後に何か言っておきたい事はありますか?』
『では最後に一つだけ。私共が提供するのはあくまでも防犯システム。監視システムではないので、ご安心を』
『いやぁー、これは失礼いたしました! それでは、現在最も勢いに乗っている企業――日本パブリックカメラが社長、小春アイカズさんでした! 現代のヒーローに拍手ぅー!』
番組はそこで終わり、コマーシャルが流れ出す。
「監視カメラ……いや、防犯カメラか。そういえば最近増えたな」
本格的に増え始めたのはここ1、2年だったと思う。だが、そこからの勢いは凄まじかった。年々、ヒーロー活動が難しくなっていく。
「まぁそれで、犯罪が減るなら万々歳だけど」
ヒーロー……ヒーロー、か。確かにあの社長こそが本当に街の平和に貢献している人間なのだろう。ヒロミのごっこ遊びとは違う。それでも、パトロールをやめようという気にはならなかった。ヒロミにはヒロミのヒーロー像があった。
ヒロミはチャンネルをニュースに変え、パトロールを続けた。
「そろそろ時間か」
携帯端末で時間を確認して呟く。いつもの日常だ。今日も街は平和だった。
「平和が一番だな」
ヒロミはショッピングモールへと歩き出した。
* * *
「……なんだ?」
ショッピングモール周辺は異様な雰囲気に覆われていた。ざわざわと野次馬が群れをなしている。まるで台風の目みたいに、ぽっかりとショッピングモールの出入り口が遠巻きにされていた。
近くにいた人に声を掛ける。
「すいません、何かあったんですか?」
「いや、オレもよくわかんないんだけど、店内放送ですぐに退店してくれってさ。なんか事件? らしいんだけど」
「事件……?」
心配になってメイへと電話を掛ける。1コール、2コール……3コール目で電話は繋がった。
それにホッとして尋ねる。
「メイお前、今どこに」
『ヒロミ、来ちゃダメ――』
プツっ、と電話は切れた。
「メイっ!?」
電話をかけ直す。
『お掛けになった電話は――』
何度掛け直しても電話は繋がらなかった。ダラリと携帯端末を持っていた手が落ちる。
気付くとヒロミは歩き出していた。やがてそれは早足になり、いつの間にか全力で駆けていた。
――まさか、まさか、まさかッ……!
「君! 今は入っちゃいけない!」
「離せっ!」
正面出入り口に接近した所を捕まる。ヒロミは邪魔をした相手をキッと睨みつけ、しかしそんな暇はないと腕を振り払い、今度は隣接する立体駐車場へと走った。自動車用のスロープを登って2階へ。人の数はさっきの場所よりずっと少ない。
ヒロミはそこにある出入り口からモール内へと入った。
モール内は静まり返っている。声を押し殺したような静寂だった。あちこちに客の私物や、買ったばかりだろう商品が散乱していた。
「っ……」
その景色がどこか、あの日の出来事と被って見えた。自然と息が荒くなる。足が重い。胃が収縮し、嘔吐く。どくん、どくんと心臓が痛いほどに鳴っていた。
姿を隠すように壁に沿って歩いていき、そして、
「っ!」
とっさに身体を引っ込めた。
「なんだよ、これ……」
吹き抜けになった広場。ヒロミが見たのは、そこに集められた二十人ばかしの買い物客らしき人々と、そして、彼らに銃を向ける覆面達の姿だった。
流しっ放しだったニュース。骨伝導スピーカからアナウンサの声が聞こえた。
『先ほど、関西州モンストロ市のショッピングモールに強盗が入ったとの事で――』
ニュースはまるで、遠くの出来事のように聞こえた。