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第9話

「それでは、ルーさま。妹は責任をもって、わたしが塔まで送ります。大変お世話になりました」


 降りしきる雪の中、村の入り口で夏の姫が狼に別れの言葉を告げる。狼は無言で頷き、ちらと姉のそばで所在なげに佇む冬の姫を見たが、結局何も言わずに去ってしまった。


「姫さま……本当によかったんですかい?」

「いいも悪いも、ないでしょう。狼さんは、ご自身の責任を果たすために行かれたのですから……」


 すっかり頭の上が定位置となっているネズミが、冬の姫の毛皮のフードの隙間から顔をのぞかせる。姫は自分に言い聞かせるように答えて、じっと去りゆく狼の姿が見えなくなるまで見送っていた。


「気がすんだかしら? それじゃあ、行くわよ」


 ぽんと妹の肩を押して、夏の姫は木に繋いでいた栗毛の馬の方へと妹をいざなった。ここまで夏の姫は単身でやってきており、相当な無茶をしたらしい。冬の姫は背中から抱きかかえられるようにしながら、馬上で姉の話を聞くこととなった。


「ちょっと急ぐわよ。本来なら、もう春に交代しないとおかしい頃なのだから」

「では、どうして早く冬を終わらせないのですか? プリマお姉様はどうされたの?」


 四姉妹の長女である春の姫の名を出して疑問を呈する妹に、夏の姫は柳眉をひそめた。

 結局、狼の意思は変わらず、冬の姫は塔へと連れ戻されることになった。その理由の一つが、春への交代だ。

 冬の姫が塔から抜け出して、およそひと月が経過している。本来であれば、とうに冬は終わり、春へと季節が移らなければならない時節なのであった。


「あなたは知らなかったのね。四季の交代は、司るものの意思によって冠を引き継がなければ終われないのよ。だから、あなたがちゃんと自分の意思で交代を宣言しなければ、冬はずっとそのままってわけ。氷の冠が、花の冠に変わることもないわ」


 冬の姫は言葉もなかった。もし狼に自分が食べられてしまっていたなら、冬を終わらせるどころか永遠に冬が続くことになってしまっていたかもしれないなんて、想像すらしていなかったのである。

 自分の行為のおろかさに、冬の姫はすっかりしょげてしまっていた。


「……ごめんなさい。わたくしのせいで……」

「まったくよ」


 と、夏の姫は頷くのだったが、その声はどこか楽しげだ。驚いて冬の姫が首を振り向かせると、姉はどこか悪戯っぽい微笑を頬に刻んでいるのである。


「お城もとんでもない騒ぎよ。お父様なんて、冬の姫を連れ戻したものには好きな褒美も取らせよう、なんてお触れまで出しちゃってるし。あ、だとしたら、私が褒美をいただけるのかしらねえ」

「お姉様……」


 何をお願いしようかしら、などとうそぶく夏の姫は、いかにもこの状況を楽しんでいるように聞こえる。役割を放棄してしまったことは重大な罪であるはずなのに、それを露とも感じさせようともしない姉の心遣いが、逆に冬の姫には痛かった。


「別に気遣っているわけじゃあないのよ。私が楽しんでいるのは、本心だから」


 不意に見透かしたようなことを言われて、冬の姫はどきりとした。くすりと笑みを零す姉の顔は、生き生きとしていて眩しい。


「不謹慎かもしれないけれど、あなたの気持ちを知ることができて嬉しいのよ。あなたがお母様のことを気に病んでいることは知っていたわ。でも、あなたが何も言わないことをいいことに、私たちは見て見ぬふりをしていたのね。時間が解決してくれると勝手に思い込んでいて、あなたを追い詰めていた。だから、謝るのは私たちの方」


 少し身体を前に寄せて、夏の姫は冬の姫によりいっそう密着する。日溜まりの匂いのする姉の温もりは、問答無用で冬の姫を打ちのめすのだ。


「本当に、無事でよかったわ」

「へへ、事情はよく分かんないっすけど、よかったっすね! 姫さま! キョウダイ仲がいいのはいいことっす!」

「……ええ。ありがとう、ネズミさん」


 にこやかな声をあげるネズミに、冬の姫が苦笑する。感情表現豊かなネズミに夏の姫も珍しそうに彼を見つめて、その頭を軽く突っついてみせた。


「ふふ、かわいいお友達を見つけたのね。ところであなた、ついてきてよかったのかしら?」

「へい。あの村に残ってると、また狼がくるかもしれないっすからねぇ。ダンナみたいなのばかりだったらいいんっすけど、そうも言ってられなさそうですし。いいところが見つかるまではお供させてもらうっすよ」

「そう。なら、次の村がいい感じかもしれないわね」


 夏の姫が言うには、現在、馬を走らせている先には冬の姫を捜索するための拠点としている村があるという。一度そこで準備を整えてから、塔に戻ろうという話になっているのだった。





 そして、その村にたどり着いて早々に、夏の姫は滞在していた国の兵士らから大目玉をくらっていた。勝手に一人で冬の姫を探しに飛び出した彼女にも、捜索隊が結成されそうになっていたというのである。

 とはいえ、肩をすくめる夏の姫にとっては、お小言も右から左であったのだが。


「大げさね。誰もいないはずの村の方から不審な煙が上がっているのを見かけたって言うから、ちょっと見に行っただけなのに」


 その煙は冬の姫が暖炉を使用していたときのものであり、お陰で夏の姫は妹を見つけることができたというわけらしい。

 さらに落ち着いてよくよく話を聞けば、冬の姫が滞在していた無人の村の人々は、現在姫たちが辿り着いた村へと一時的に落ち延びているというのだった。


 その理由は、狼の群れによる襲撃である。


 最初は村人たちも武器をとり警戒にあたっていたというのだが、群れの数は多く、雪による視界の悪化や動きにくさにより、度重なる襲撃に耐えられなかったのだという。

 負傷者も出ており、女子供を守るためにも、いったん持てるだけの備蓄を持ち出して命からがら逃げ延びた。山の麓に点在する村は、今はどこも狼の襲撃に対して神経をとがらせているらしい。


 その凄惨せいさんな話を聞いた冬の姫は心がふさいだ。白い狼が心配していたことが、まさに現実となって起ころうとしているのである。


 その後、宿として利用させてもらうこととなった民家の一室にて、冬の姫は休息をとることになった。一日でも早く塔へと向かうべきなのだが、姫の体力なども考えて、今日はここで一夜を過ごすべきだろうと話し合いにより決まったのだった。

 姫の不安を煽るように吹雪が窓を打ち付けており、外は闇夜となっている。


「姫さま、ダンナのことが気がかりなんですかい?」


 テーブルの上でパンの欠片をかじっていたネズミが、顔を上げて姫に訊ねた。こっそりと彼女についてきた彼は、姫とは反対に暖かな寝床と食事にありつけたことに、大いに満足している様子だった。


「こういっちゃあなんっすけど、姫さまが気に病むことじゃないっすよ。狼たちのことはニンゲンにとっちゃいい迷惑なんでしょうけど、ダンナがなんとかしてくれますって」


 浮かない顔の姫を元気づけようと、ネズミは食事を中断して姫の方に走り寄り、その指先にちょいと触れる。それでも思い詰めた姫の表情はからわず、彼女はやがて視線を下げて彼のつぶらな瞳を見返した。


「ネズミさん……正直に教えてくれませんか」

「へ? な、何をっすか?」


 出し抜けに言われて、ネズミが戸惑った声を出す。姫は真剣な眼差しで、訴えるように彼に言った。


「冬が厳しくなったのは、女王様が……わたくしのお母様が、お亡くなりになってからなのでしょう?」


 狼の話を聞いてから胸の内で引っかかっていた疑念は、もはやほとんど確信に近いものとなり、口調にも表れていた。


「わたくしだったのですね? わたくしが、うまく冬の歌を扱えなかったせいで、皆さんに迷惑をかけてしまっていた……わたくしのせいで」


 すべての始まりは、自分にこそあったのだ。冬が昔よりもずっと厳しくなって、動物たちが飢え、狼たちが人を襲うようになった。そして、そのせいで人々も傷つき、抵抗のために狼を退治せんと武器を手にしている。


「わたくしがちゃんとしていれば、狼だって群れ同士で争うことはなかったはずよ。ルーさまだって、傷つくことはなかった……」


 出会ったときの痛ましい彼の姿は、元を正せば自分のせいだったのだと、姫は両手を強く握りしめる。

 あの賢い彼のことだ。そんなこと、とっくに分かっていたに違いないのに。


「姫さま……」


 無言は、何より雄弁な肯定である。真実をついているからこそ、ネズミは姫に下手な慰めの言葉をかけることができなかった。


「とにかく、今は冬を終わらせることを考えやしょう。春になれば、食い物の事情だってよくなりやすし、そうすりゃ狼たちだって無理にニンゲンを襲う必要なんてないんっすから」

「……そう、ですね。ええ、それがいいのでしょう」


 姫は外の吹雪に目をやった。日に日に天候が悪化しているのも、姫が塔で歌をうたうことをやめたことで季節の制御が乱れているのだそうだ。

 ネズミの言うとおり、狼たちの争いを治めるためには冬を終わらせるのが一番だ。

 しかし、姫の心には不安が残る。今回の冬を終えたとしても、次の冬になれば、また同じようなことが起こるのではないのか。

 ろくに冬を廻らせることのできない自分がこの立場にいる限り、何も問題は解決しない。足下に暗い穴があき、奈落の底へと落ちていくようで生きた心地がしなかった――



 ――狼が出たぞーーーッ!!



 と。唐突に響く村人の叫び声に、姫の思考は遮られた。

 吹雪に閉ざされていたはずの世界の中に、ガンガンと鳴り響く警鐘の音と飛び交う人々の怒号が聞こえる。ドタドタと床を踏み鳴らす音が姫のいる部屋へと近づいてきたかと思うと、勢いよく扉が開かれた。


「イヴ! 無事!?」


 息を切らせて飛び込んできたのは、毛皮のマントを羽織った夏の姫だった。彼女は妹の無事な姿を認めて一瞬ほっと頬をゆるめたものの、すぐに表情を引き締め直した。


「お姉様! いったい何が!?」

「まずいことになったわ。私たち、つけられていたみたいね」

「つけられ……? どういうことなのですか?」

「狼たちも、ずいぶんと狡猾だったってことよ。私たちが村に着くのを待っていたんだわ。食料庫が狙われているみたい。私も加勢に行ってくるから、あなたはここを出ないように。いいわね」

「そんな……!」


 夏の姫は、腰に差した細身の剣の柄に手をかけている。青ざめる冬の姫に対して、彼女は努めて真摯な目顔で頷くのだった。


「安心なさい。ルーさまへの恩義もあるからね。殺しはしないわ……極力ね」


 踵を返した夏の姫は疾風のごとく駆け出し、あっという間に冬の姫の前から姿を消す。いまだ状況への理解が追いつかない姫は、半ば呆然としながら震える身体を抱きしめるようにした。


「ひ、姫さま。どうしやしょう……」

「分からないわ……とにかく、お姉様に言われたとおりに……」


 不安げに見上げるネズミを両手の上にのせて、姫はともかく部屋で大人しくしようとした。彼女自身に武器を扱う心得などないし、外に出ても何もできることはない。

 窓では松明の火が赤々とともっており、争いの怒声、罵声がどこか別世界のように聞こえてくる。この悪夢のような嵐が過ぎ去るのを、姫はただ待つ他なかった。


 しかし。

 悪夢は間近で起きていることであり、姫のもとへと確実に迫っているのであった。


 ガシャン、と前触れもなく窓が突き破られて、巨大な黒い影が部屋の中に降り立つ。その威容に、姫は悲鳴をあげていた。

 黒い体毛に覆われた狼だった。その巨体は白い狼と同じくらいの大きさで、額に斜めに刻まれた傷痕がある。血走った金色の瞳は燃えるようで、姫を優に飲み込まんばかりの大きく避けた口は、血でぬらぬらと塗れていた。


「おい、コイツで間違いないのか!?」


 振り返って吠えたける巨大な黒い狼のあとから、彼よりも小柄な同じく黒い二頭の狼が部屋に飛び込んでくる。姫には個体の違いが分からなかったが、それは先日姫を襲った二頭だと思われた。


「そう! ソイツだ!」

「オレたちがくいそこねたヤツだ!」

「そうか。でかしたぞ。食うときは足の一本はくれてやる」


 ぐるりと首を向き直らせた巨大な黒い狼は、恐怖に固まる姫へと凶暴な顔を近づけた。そして、彼女の匂いを嗅いで牙をむく。


「なるほど。微かだがルーのにおいがするな」

「あ、あなたは……何者です?」


 むっと立ちこめる血のにおいに姫の気は遠くなりかけたが、気丈にも血走った狼の目を見て訊ねる。すると、訊ねられた狼は余裕ぶった声音で、低くうなった。


「オレ様は、ロー。誇り高き狼の群れのボスだ」

「ロー……? あなたが……」

「くく、オレ様のことをルーから聞いたか? ならば、都合がいい」


 ローと名乗った狼はさらに口をつり上げて牙をむく。そうして、なぶるように姫の身体を見つめて、舌なめずりをするのだった。


「オマエをさらうぞ、冬の姫。性懲りもなくオレ様に逆らおうとする、ルーへの土産にしてくれる」

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