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第12話

 狼たちの視線を一身に集めた冬の姫は、臆病になる気持ちを深く閉じ込めて、火をともした杖をぐっと高くへ伸ばした。

 火を見た黒い狼たちはわずかに姿勢を低くして怯んだような素振りをみせる。だが、即座に群れを叱り飛ばす彼らのボスの声が轟いた。


「炎ごときに怯えるな! さっさとその小娘を押さえつけろ!」


 怒りに吠えるボスにどやされて、黒い狼たちも自分の役割を思い出したように動き出す。すぐに姫を取り囲み、飛びかからんと威嚇を始めた。


「やいやい! オマエら、さっきの言葉を聞いていなかったのか! このお方を害すると、とんでもねえことになるっすよ!」


 そこに、勇ましくも姫の肩に飛び出したネズミが甲高い声で身振りを交えてわめき出す。突如として現れた茶色い毛玉に黒い狼たちの耳が立ち、視線が彼に集中した。

 その僅かな間を逃がさずに、姫は声を大にして言うのだった。


「先ほども申し上げましたが、わたくしは冬の姫です! あなたたち狼が――いえ、山の動物たちが飢えに苦しむ冬を生み出してしまったのは、他ならぬこのわたくしなのです!」


 群れの中には、姫の存在を正しく認識していない狼たちもいたのだろう。小さなざわめきは瞬く間に群れ全体に広がり、大きな混乱を呼んでいた。


「あなたたちは、わたくしのことが憎いでしょう。恨まれても言い訳などしようもありません。ですが……どうか、わたくしを逃がしてはいただけないでしょうか!?」

「ハ……ッ! 何を言い出すかと思えば、この期に及んで命乞いか! 見下げ果てたぞ小娘!」

「いいえ! 違います! わたくしが今ここで死ねば、季節の交代ができなくなるのです!」


 姫の訴えを鼻で笑い飛ばすローだったが、彼女は懸命に言い返した。


「つまり、二度と春は来なくなるのです! そうなれば、困るのはあなた方のほうなのですよ! それでもよいというのですか!?」

「なんだと……?」


 ローが牙を軋ませて、対決の最中であったルーを振り返る。しかし、ルーの顔からは姫の言葉が真実であるかどうかの判断はつかなかった。ルー自身も、それは初耳であったからだ。

 黒い狼たちは戸惑い、判断を委ねるように次々にローに目を向ける。ローはますます歯軋りをして、姫をにらんで吠え立てた。


「はったりだ! そんな証拠などない!! これ以上、その小娘に決闘の邪魔をさせるなッ!!」


 ボスの意思は、そのまま群れの意思となる。ローの決定に、再び狼たちは姫に牙をむき出した。


「姫さま!」

「大丈夫です。ネズミさんは、どうかわたくしの服に隠れて。きっと、これでわたくしは殺されません」


 姫は自分を囲む黒い狼たちの群れの向こう、彼らのボスと対峙する白い狼の姿を見て、ゆるやかに微笑んで見せた。金色の瞳が見開かれて、確かに彼がこちらに気づいており、見ていてくれたのだと知ることができた。

 それだけで、無限に勇気が湧いてくる。姫は拳を握り締め、狼たちに向けてさらに言い募った。


「わたくしを食べるというのなら、それもいいでしょう。ですが、春を待たずにわたくしを殺すことは、他の季節をも殺すことだということを心しておくのですね!」


 姫とネズミの作戦は、ひとまず成功した。言ってしまえば、こっちのものだ。

 黒い狼たちがニンゲンを襲うのも、群れ同士で互いの主張をぶつけあうのも、獲物がとれずに飢えたことが発端である。つまり、姫を殺して冬が終わらなくなれば、それこそ致命的なのだ。

 ローはああ言って姫を拘束するよう群れに指示をだしたが、その意思に迷いを植え付けることはできた。少なくとも、真偽がはっきりするまでは姫を殺すことはできないはずである。

 たとえ痛めつけられることになろうとも、命までは取られないのであれば、自分に人質としての価値はもうないも同然だ。


「ルーさま! わたくしのことは構わないで! 戦って! 勝ってくださいませ!」


 あらん限りの声を絞り出して、姫は叫ぶ。そして、苦渋を飲み込み、雄々しく応える白い狼の声をきいたのだった。



「まったく、勝手なマネをするものだ……」


 姫に発破をかけられたルーは、うんざりと失笑気味に息を吐く。とはいえ、冬の姫という立場を利用して、己の命をたてにとったその演説は見事なものだった。

 戦えと、勝てと、あの娘は言った。

 姫を死なせれば冬は永遠に終わらない。なるほど、それならばローも下手に彼女の命を摘み取ろうとはしないかもしれない。現状とれる作戦としては、それが最善だったに違いない。

 しかし、それで完全に命の保証が得られるというわけでもなかろうに。危なっかしいにも程がある。


「どうするのだ、ロー。アレを殺せば、冬は終わらないそうだが? そうなれば、群れの命運もいよいよ尽きるぞ」

「……ふざけるなよ。どちらにせよ、オレ様がオマエに勝てば、それですむ話だ! あの小娘も逃がしはしない!」


 苦々しげにローは言い放ち、決闘を再開すべくルーをにらみ据える。強気な発言ではあったが、怒りにまかせて吠える彼の声からは余裕の色が失われていた。


「そうだ。傷だらけのオマエにここから何ができる。オレ様の勝ちは揺るがない!」

「そう思うのなら、試してみろ」

「ほざけ!」


 ローが巨体を突き動かそうとする――が、ルーがその機先を制した。初めて彼から攻撃をしかける形となり、彼の背後に控える群れから歓声が上がる。出鼻をくじかれたローは一瞬怯みこそしたものの、即座に体勢を立て直して、両者の争いは激しい取っ組み合いの様相を呈した。


 雄叫びが轟き、血しぶきが雪上を赤く染める。白いルーが見た目には痛々しいが、足の怪我を微塵も感じさせずに果敢に攻めている。確実に、ローは押されつつあった。


「くそ! 何故だ! 何故倒れないッ! 腰抜けのオマエに、オレ様が……ッ!」


 全身をボロボロに切り裂かれても、ルーはそれと同じだけの攻撃をローへと返す。闘争本能に火をつけたルーの気迫は衰えるどころか、ローを飲み込まんばかりに熱く膨れあがっていた。

 ローの血走った金の瞳が、やや陰りを見せ始める。憎しみをこめて猛る彼に、ルーはぐいと口元を持ち上げて不適に笑うのだった。


「いいことを教えてやる。今のオレは、疲れを知らんのだ」


 疾風はやてと化した白き狼が、血煙を巻きながら黒き狼へと肉迫する。のど笛に食らいつかれたローはとうとう引き倒され、悲鳴を上げた。


「負けを認めろ。大人しくするのなら、命までは奪いはしない」

「黙れ……! 認めるモノかよ! オマエたち……! 小娘を、殺せ! 食ってしまえ――!」

「やめろ!」


 ルーがうなり、ローに突き立てた牙を深く食い込ませる。それでも、ローは叫ぶことをやめなかった。


「構うな! ここでオレ様が倒れれば……ニンゲンを襲えなくなるのだぞ! オマエたちは、また飢えてもいいのか……!」


 ローの言動は支離滅裂しりめつれつであった。いまさら冬の姫をどうにかしても、彼がルーに組み伏せられている状況は覆りようもない。彼女を殺してしまえば冬が終わらず、残されるのは飢える道であることは少し考えれば分かることだ。

 今の彼の言葉は、群れを率いるものの言葉ではない。目の前の敵に対する、ただの私怨でしかないのだった。そのような言葉に、群れの狼たちは狼狽し、素直に従えるはずもない。

 苦し紛れに彼がいくら喚こうとも、決闘の結果はもう出ているのであった。


「ルーさま!」


 そして、戸惑う黒い狼たちの間をうようにして駆けてくる少女の姿を、ルーは見た。



 彼は勝った。姫はそう思った。

 宿敵である黒い狼のボスにのし掛かり、のど笛に牙を突き立てるその姿から、どちらが勝者であるのかは誰の目から見ても明らかなことだろう。

 たとえ血に塗れても、その堂々たる姿は美しかった。

 黒い巨体をもがかせながら、姫を殺せと叫ばれる。しかし、敗者の声に応じるべきか否か、黒い狼たちも判断がつかずにおろおろと互いの顔を見合わせるばかりだ。


「……通して、くださいますね?」


 姫が静かに一歩踏み込み出すと、黒い狼たちはびくりと身を震わせて、割れるように姫に道をあけていた。彼らも頭では理解が追いつかずとも、本能でどちらが勝者であるのか理解しているのだ。

 姫はもう人質ではなくなっていた。勝者である白い狼たちのボスの匂いのついた彼女は、彼のもの。それを傷つけることは、すなわち反逆となる。そのような愚を犯すことは誰にもできないのだった。

 とはいえ、姫の頭の中にはそのような考えがあったわけではない。彼女はただ、傷ついた彼のもとへと、一刻も早く駆けつけたいだけなのであった。


 雪に足がとられて思うように進めないことがもどかしい。今すぐにでも彼の首に抱きついて、傷ついた身体を撫でてあげたかった。

 きっと彼は、そのような行為を嫌がるのだろうけれど、構うものか。そんならちもないことを思いながら、彼の姿を間近にとらえる。


「ルーさま!」


 白い狼が顔を上げる。そして、金色の目をむき、赤く汚れた口をかっと開いたのであった。


「バカ者! 来るな!」


 怒号に姫の身が竦む。その瞬間に、白い狼の巨体が下から大きく突き上げられて傾いた。

 最後の力を振り絞った巨大な黒い影が、おぞましいほどに赤い口を大きく裂かせて、かすみかけた金色の瞳を滾らせている。もうその瞳は決闘相手を見ておらず、姫のみを映していた。


「オマエさえ……! いなければッ!!」


 猛然と飛びかかる黒い巨体を、姫はなすすべもなく見つめるしかできなかった。迫る巨体がやけに緩慢に見え、数秒後に訪れるであろう死に心が支配される。


「させないっすよ!!」

「――ッ、ダメ!」


 そのとき、顔の真ん前に飛び出すネズミを、姫は咄嗟に抱きかかえるようにして捕まえて蹲った。勝ち誇ったかのような雄叫びが直ぐそこで響き――不意に途切れた。

 ひゅん――と耳をつんざく風切り音と同時に、ローの黒い巨体はどうと横倒しになっていた。その胴体には矢が深々と突き刺さっており、弱り果てていた彼の命を奪ったのである。


「狼たちよ! 戦いは終わりだ! 冬の姫は返してもらおう!!」


 朗々たる女性の声が響き渡り、白い狼の群れの背後に、赤々と火を掲げる人間の一団の影が現れる。突如として現れたその闖入者たちに両陣営の狼たちが騒然とするが、ルーが傷だらけの身体を押して一声鋭く吠え、場を鎮めた。


「慌てるな! 敵対する必要はない! 群れは一つにまとまるのだ!」

「……あの声は、お姉様ね」


 おそらくさらわれた自分を救出するべく、狼たちを追ってきたのか。統率のとれている様子から、村に駐屯していた兵士たちを引き連れてきたのだろう。

 それならば、安心できる。姉が人間側の指揮をとり、ルーが群れの実権を握ったのであれば、無用な衝突は避けられるはずだ。冬の姫はようやく胸をなで下ろすことができた。


「ひ、姫さま、そろそろ離してほしいっす。つぶれちまうっす~……」


 と、無謀にもローの前に飛び出そうとして姫に抱えられたネズミが、苦しげに彼女の腕の中でもがいていた。姫が苦笑して解放してやると、彼も人心地ついた様子で、「やれやれっす~」と姫の頭に乗っかって全身で疲れを表現した。


「…………無事か」


 そこへ、足を引きずりながらルーが近づく。傷だらけのうえに眉間に深く皺を寄せているものだから、なんとも言いがたく壮絶な顔となっていた。


「ごめんなさい……最後まで、足を引っ張ってしまいましたね」

「まったくだな。これに懲りたら、二度とするな」


 難しい顔のまま、ルーは姫に顔を近づけて不機嫌なうなり声をあげる。叱られているはずなのだが、姫はこみ上げてくる感情を堪えきれずに、ついつい頬をゆるませてしまっていた。


「何がおかしい」

「いえ……やっぱり、狼さんだと思って。安心したら笑ってしまったのです」

「……わけがわからんな」

「そうですね。ふふ、ご無事でよかったです」

「ああ。無茶とはいえ、オマエの機転のおかげだな」

「本当ですか?」

「ああ」

「では……その、褒めてくださいますか?」

「なんだと?」


 思いもよらぬ姫の願いに、ルーが目を丸くする。もうその瞬間に、姫は血に汚れるのも構わずに彼の首に両腕を回して、強く抱きついていた。


「おい」

「……とても、とても怖かったです」


 かたかたと震える少女の背中を見つめ、ルーは深く嘆息した。じろりとネズミに目を向けてみたが、ネズミはもうとっくに我関せずと、素知らぬ顔を決め込んでいる。


「姫よ。オマエは、勇敢に戦った」


 姫よりも遙かに大きな身体で彼女を包むようにすると、ルーは己の頬を姫の白い頭に何度か撫でるようにこすりつけてやる。いつしか勢いを衰えさせた雪が、血で汚れた決闘の場を洗うように、しとしとと降り注いでいるのだった。

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