婚約破棄は良いことです
「ミアってば、私が寝てる間に雑誌のインタビューを受けたのね?!もう〜起こしてくれたら良かったのに。大丈夫なの?その、記事に載るってことに何か……」
一眠りしてキッチンに下りて来たアリシアは、可哀想な少女風に整えた、傷ついて何も手が回らない風でありながら清潔感があるミアから話を聞いて、目を白黒させて驚いていた。
「大丈夫ですよ、アリシア様!頼もしい皆様と一緒でしたから!」
そして普段のおっとりした様子と異なり、怒気のような、迫力のようなものが感じられるフレイアと、レイナルドと友人二人の五人全員がミアの発言にキリッとやり切った表情を見せて、鷹揚に頷いた。
「アリシア様、昨日は助かりました!あのボンクラをやっと牢屋にぶち込めましたわー!」
果実水のグラスを掲げて、乾杯!とにこやかに宣言した女性は、ブラウン領に隣接する領地を持つテイラー侯爵家の奥様だった。
彼女はアリシアと同じ侯爵家であることや、アリシアが今後近い領地を持つ貴族夫人になるといった理由から、アリシアと接点が多かった。
ゆえにアリシアは彼女の性格をよく知っていた。
オリバーの適当な仕事のせいで、テイラー領まで影響がないか常にピリピリしているところに、隣国の大店との取引停止という爆弾投下は、テイラー夫人の短い導火線に火がついたに違いなかった。
更に今回の違法破廉恥店での遊興が知られれば、夫婦共々怒り狂うところまで容易に想像できた。
オリバーへの私怨の憂さ晴らしだけでなく、違法風俗店の通報という社会的意義まであるのだから、嬉々として参加し、他の貴族にも促してくれるだろうと考えた。
もっとも、最初に会った時はかなり警戒されていた。「あの」オリバーの婚約者だからだ。テイラー領に被害を出さないように、次期公爵夫人としてしっかり対応してくれと、上辺の笑顔すらなく真顔に低い声で淡々と話された。
今ここまで関係が良くなったのは、これもオリバーが起因だった。あのバカは海を臨むテイラー領で真珠の取引をしに行ったのに、前日の夜に資金を全部賭けで溶かしたのだ。
その上で実家やアリシアに知られないように、商人を脅して無料もしくは大幅に減額した後払いにしろと権力を傘に着てひどい対応をした。
オリバーが海の街の風俗街で羽目を外すために、そしてその頃はまだオリバーの無能さがここまでとは判明していなかったために、アリシアは帯同していなかった。
だがアリシアはテイラー侯爵夫人の注意を覚えていた。
ブラウン家の従者からオリバーの予定を事前に聞き出し、オリバーとは別の宿を取り、真珠の取り引きに関して取り仕切っている港湾の所有者の奥様に、ブラウン領の鉱山で採れた宝石を送っておいた。
奥様からお礼のお茶会に誘われている時に「偶然」、会議室から怒鳴り声が聞こえてきて、怒り心頭で現れた旦那様に、アリシアが平身低頭で謝罪した。
こんな時のためにアリシアは、ただ真珠を買い取るだけでなく、テイラー侯爵にはブラウン公爵領の鉱山で採れた宝石を逆に販売しないかと持ち掛ける提案書を持参していた。
真珠と合わせて販売することでの利益予想や、隣接領であるために輸送コストが抑えられる点、真珠を卸してくれるのであれば、貴重な魔鉱石の値引きをすることなど。
「ただこの価格ですと原石での卸しになります。ただ、実は昨日にこちらの街の宝石加工工房を何軒か快く見せていただいたのですが、非常に高い技術をお持ちと拝察しました。恐らく無加工で卸しても問題ない、むしろ自由度が高まる分メリットがあるのではと考えております」
「ほお、工房に。職人がよく人を入れたね。しかも他領の若い女の人を。ああ失礼、彼らは女性に免疫がない者が多いし、仕事に誇りがあるから工房に人を入れること自体珍しいんだ」
侯爵は提案書を読み、アリシアの話を聞きながら、純粋な疑問として質問をしてくれるまでに怒りを鎮火させていた。
「ええ、こちらへの訪問が決まった一ヶ月前から何度もお手紙を書きまして、魔鉱話でもご連絡をしました、実は一週間前にも一度来ておりまして、実際にお品物を見てから、その魅力を改めて感じ、再度見学のお願いをしまして……、その際はご挨拶に伺わず申し訳ありません」
「なるほど、凄い熱意ですね」
先に屋敷を叩き出されたオリバーを除いて商談は成立した。
その後も幾度もアリシアがオリバーの補助、というか尻拭いをしているのを見て、侯爵夫人はむしろ憐れみを感じていた。
「アリシア様、今まであのバカに散々苦労させられている貴方を見ていたのに、助けることが出来ず申し訳ありません」
侯爵夫人が頭を下げ、アリシアはブンブンと顔を横に振った。
「そんな!頭をお上げください!むしろ謝らなければならないのは私です。今までも婚約者が失礼を重ねていましたのに、その上で今回の隣国との取引停止……。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
「アリシア様のせいではありませんわ。息子を躾けられなかった公爵とあのバカ本人の責任です。アリシア様はいつも頑張りすぎるくらいに働かれておりましたわ。それに隣国もアリシア様を通してならお取引してくださるのでしょう?なら大丈夫ですわ。
隣国だって、今までもあのバカと放置するブラウン公爵に思うところがあったのでしょう。今回遂にということだと思いますよ、そうでなければ急な取り引き停止は向こうだってデメリットがありますもの。
ああ、もしかしたら隣国はより良い取り引き相手に鞍替えしたかったのかもしれませんね。
これまでは領土が接しているから、昔からの付き合いだからという理由でブラウン領が窓口でしたが、今後はより良い条件の商会が直接取引をして窓口となるのではないでしょうか。駒鳥屋あたりでしたら速い輸送機を幾つも持っていると言いますし。それなら私たちもそちらと取り引きすれば良いので、大丈夫ですよアリシア様!そんなに気負わないでください」
侯爵夫人はアリシアの手を握って大丈夫と何度も繰り返した。
「大丈夫です、アリシア様。きっと良いことがありますわ。むしろあんなバカがやっと世間にバカと分かったんですもの。堂々と婚約破棄なりして自由に生きていけますわよ!海沿いのお仕事をご希望ならぜひ我が家で手伝わせてくださいな。うん、良いことですわ!」
パアッと宝石のように輝く侯爵夫人は、婚約破棄という侯爵令嬢にはかなり重い瑕疵にも関わらず、それを全く後ろ向きに捉えない快活さがあって、アリシアはそれが心からの言葉だと分かった。
「有難うございます……」
こんなに涙脆かった筈ではないのに。オリバーの尻拭いで板張りの床に頭を付けたときも、水をかけられても、首元を掴まれても、頬を張られても、泣いたことなどなかったのに。
あまりにも胸が熱いのがいけない。きっと何かが溶け出してしまった。
アリシアは真珠のような涙を抑えきれず、ポロポロとこぼした。




