先輩とカレー
「それ大丈夫ですか?」
あたしは茶だったり紺だったりだけど、先輩の白いファーコートの中はアイボリーのニットだったので、念のため聞いてみた。
「カレーうどんじゃなくて普通のカレーじゃん。大丈夫だろ」
とのことなので、予定通り、カレー屋へ。
以前先輩にカレーを奢るという約束をしていたんだけど、いろいろあって延び延びになってしまっていた。
というわけで、彼女の魔力も完全に尽き果て、腕も元通りになったということで、今日その約束を果たすべく、街へ繰り出してきた。
あたしの友達の料理部ちゃんが以前食べておいしかったと言っていたのを思い出して、聞き出しておいたお店である。インドだかスリランカだかパキスタンだか、多分そのあたりの方がやっているらしい。今の込み具合はまあまあといったところなのかな。ちょうどあたしたちまでは記名の必要はなかったけど、これから来る人たちはそれが必要になるだろう。
あたしと先輩それぞれ、四人席の隣の椅子に荷物やコートを置きながら、
「今日はどっちもバイト入ってなくてよかったですね」
「だな」
あたしの定食屋のバイトは、平日いずれかの夕方に一回、土日どちらかのお昼に一回の、週二回である。どちらも三時間ずつ、週に六時間ぽっちりだけだけど、このバイト代にお小遣いも合わせれば、女子高生の収入としてはまずまずな額となる。
先に先輩が同じような勤務形態でのうどん屋のバイトを始めたというので、あたしも地元でそんな募集はないかしらと、お店の入り口などをなんとなく気にするようにはしていた。そしたら、ほんとにそんな条件で可能なお店が近所にあったので、すぐさま親と学校の許可を貰い、履歴書を持って駆け込んだというわけ。
勉学に支障を来すほどでもない、大してキツくもない、お金も入る、非常に都合のいいお仕事である。そのおかげで、先ほどまでのお店巡りでもいい感じの小物をちょこちょこ、その後先輩にカレーを奢らねばというのに、買いそろえることができた。
まさにカレー屋という感じの気分を高揚させるかぐわしい香りが漂う中、これはなんだそれはなんぞやと、メニューの冊子の謎料理を指さしてはああだこうだ楽しく品定め。
「あたし、羊にしようかな~」
「羊ってにおいあったりすることあるじゃん。お前大丈夫なの?」
「あたしは鴨とかもですけどケモノ系のにおいわりと平気ですし、カレーのスパイスの方が強そうですし消えてんじゃないですか? 多分」
「まあそうかもな」
「あと羊っておいしいものの代表なんですよ」
「ん?」
「大きい羊で美しいって書くじゃないですか」
「うん」
「美しいって文字はおいしいって意味もあるんですよ。だから間違いないですよ。多分」
と、得意げにうんちくを披露したら、
「ほー。じゃあ今日の私の格好ってもこもこで羊みたいじゃん。これも羊毛だし。じゃあ今日の私ひときわ美しくて美味しいってことじゃん。じゃあだったらお前、今夜あたりどうだい?」
何がじゃあなのか何がどうなのか意味分からんけど、先輩が妖しく目を光らせたところへ、
「オキャクサマ、めにゅキマリマシタカ」
インドだかネパールだかパキスタンだか、多分そのあたりの出身と思しき、さっき席を案内してくれたエキゾチックな美人お姉さんが水とおしぼりを持って再びやってきた。
あらかた決まっていたので、まず先輩がにっこり、
「はい。じゃあ私は今日のおすすめ、辛さは1でお願いします」
普通の辛さの日替わりセットを、
「あたしは羊のこのセットでお願いします。辛さはあたしも1で」
と、あたしはメニューに指を置いて答えた。
「ハイ。オススメトヒツジ、なんトらいすノはーふせっと、カラサ1ナ」
お姉さんは会計表にささっと書いて去っていった。
「おすすめ何か聞かなくてよかったんですか?」
「何か分からない方が来たとき楽しいじゃん。おすすめするぐらいのもんがまずいってこともないだろ」
先輩のあたしを遥かに超える前向きさは羨ましくもあるが、ここまでのは不要な気もする。
インドだかネパールだかバングラデシュだかよくわからんけど、多分そこらへんのものであろう金銀原色カラフルな装飾品や、腕が四本だったり六本だったりする向こうの神様の像などを眺めながらのおしゃべり。
しかし、やっぱりそれら以上に目を引くのは、向かいに座る超絶美少女である。
こんなかわいい人を一人占めにして過ごすカレー屋の夕べ、なんと幸せなことだろう。
なので、思わず、
「はあ……それにしてもほんと可憐ですねえ……」
今日はちょうど満月で、ついさっき見たそれの話の最中、何の脈絡もなく、こんな言葉が漏れ出てしまった。
「カレー屋だけにか?」
そう先輩はにやりとした。
「はい。ほんとこの人どんだけかわいいんだって見惚れちゃいました」
「お前はほんとにアレだなあ」
「そうですねえ」
あたしが答えると、先輩は満足げな顔で水のグラスを唇に当てたんだけど、
「でもなあ、可憐って言葉は私あんまり好きじゃないんだよな」
それを離した後に出てきた言葉はやや不満げなものだった。
「なんで? 可憐って儚い感じの美人を表すいい言葉じゃないですか。あ、どっちかっていうと子供っぽい感じがしますし、かわいいよりは綺麗みたいな大人びた方がいいからみたいなことですか?」
「いや違えよ」
「そうなんですか? じゃあなんで?」
先輩はまた不敵な感じに口角を上げると、
「可憐っていい意味もあるけど悪い意味もあんだよ」
「そうなの?」
「そうだよ。『憐れむべし』って読んだりもするんだよ」
「ほう」
「とある漢詩の中に『紅顔憐れむ可し』ってくだりがあってな、昔はぷりぷりの真っ赤な顔でそれはそれは美しかったんだけど、年とった今ではしわしわしょぼしょぼで見る影もねえ。あはれ。ってえらい辛辣なやつがあんだよ」
そう先輩は自慢げにうんちくを解説した。
「へー。でもそれ昔の中国の話で今の日本だったらそんなんないでしょ」
「まあそうなんだけど知っちゃったら気になるだろ」
「あ~知らぬが花ってやつですね」
「うん」
と、先輩はまた水を口に含むと、
「そういや美人を表すけどまた一方でけなしてる言葉他にもあるよ」
「ほう」
「まず『へいげつしゅうか』ね。知ってる?」
「知らないですねえ」
「これは、月が閉じて花が羞じらうで『閉月羞花』って書くんだけど、要するに、こいつを前にすると月は雲の中に隠れて花も恥ずかしくなってしおれちゃうぐらいのすげえ美人、ってことを表す言葉なんだよ」
なるほど。話に月と花と出てきたんで思い出したのかな。
「ほお。いい言葉じゃないですか。で、悪い意味は?」
「いや、これは悪い意味ない」
「ん?」
「えっとな、これとセットになってる言葉があんだよ」
「はい」
「『ちんぎょらくがん』って沈む魚に落ちる雁で『沈魚落雁』なんだけど、これも美人過ぎて魚や鳥も見惚れちゃって沈んだり落ちたりするって言葉だよ」
「へー」
「さっきのと合わせて『閉月羞花沈魚落雁』って一セットで使われたりもして、絶世の美人を表す言葉だな」
「ほー」
「で、沈魚落雁の方なんだけど、こっちが悪い意味があんだよ」
「はい」
と、ここで先輩はまた含みのある顔になり、
「おめえ美人だなんだ言ってるけど魚も鳥もただ単に人間にビビって逃げてるだけなんだから、所詮はそんなもん人間相手にしか通じねえぐらいのしょうもねえもんだぞ、って意味もあるんだよ」
「ほお」
「だから、悔しいけどこいつはケチのつけようがない美人だな、って相手には閉月羞花を、こいつ見てくれだけだな、って相手には口先では沈魚落雁って褒めたふりしといて、心の中ではこいつガワだけで中身スッカスカだなって嘲笑ってやるといいぞ」
と、
「じゃあ……」
あたしがそう言い掛けた瞬間、
「当然! 私を褒め称えるときは閉月羞花だぞ!」
先回りした先輩はそうふんぞり返った。
「はいはい」
なんという図々しさと、呆れ笑いするしかなかった。
「実際さっきの月も出た途端雲の中に入っちゃったじゃん。あれ私に見つかったって慌てて隠れたんだろ」
「そんなんただの偶然でしょ」
「いやいや、あと街にも花なんか全然咲いてなかっただろ?」
「そりゃ冬だからですよ」
「ちげえよ。冬に咲く花もあるのに今日は全然なかったじゃん。それにこの店の花も全部造花とかドライフラワーじゃん?」
先輩が顎で指したそれらは、いずれも生命の気配がうかがえない。
「確かにそうですけど、これ今すぐ枯れたりしたわけじゃないじゃないですか。花の意思じゃなくてお店の人の選択じゃないですか」
「ちげえよ。私が今日この店に来ることが決まってたからそうなったんだよ」
と、先輩はさらに反り返った。でも、
「でもじゃあもし仮にそうだとしたらですよ? 先輩が通った後ってあらゆる花が枯れてくんですか? あいつの歩いた跡はぺんぺん草すら残らねえって、そんなん瘴気とかまき散らして世界を破滅に導く恐怖の大魔王って感じじゃないですか。あるいはめちゃくちゃ強い農薬とか。そんなバラ園とかチューリップ園とかからしてみたらテロリスト以外の何物でもない奴って絶対美女じゃないでしょう」
「いやいやお前、漫画とかだと生き物に触れたら生気を吸い取ったり死んじゃったりするから隔離されてるみたいな設定の薄幸の美少女とかよくあるじゃん。それだよ」
「何言ってんすか。先輩の場合は枯れるとかしおれるとかみたいなそういう綺麗な感じのやつじゃなくて、踏み荒らすとかむしり取るとか、そういう暴力的なやつじゃないですか。先輩は見た目だけは幻想的ですけど、中身は儚さとか情緒なんか皆無の粗暴な原始人じゃないですか」
そう言ったら先輩の顔が一瞬で紅に染まったんだけど、目ん玉ひん剥いて何か吠えようとしたところへ、
「ハーイ、シツレイシマース」
お姉さんが銀色のトレイを両手に現れた。そうして、
「ハイコレ、ヒツジナ」
左手の、お椀が一つのトレイをあたしの前に、
「アナタコレ、オススメナ」
右手の、お椀が二つのトレイを先輩の前に置いた。
お待ちかねのそれらの素晴らしさったら。なんという鮮烈な色彩と香り。なんというナンの面積。これでハーフなのか。目も鼻もたちまちにしてこれらの虜となってしまった。
もちろんそれは彼女もそう。憤怒はどこへやら、うきうきのにっこにこである。
先輩はその喜色満面の顔を上げると、
「これ今日のおすすめって、なんですか?」
未だ正体不明の二つの味を尋ねたところ、
「ウン。なんダヨ」
そうお姉さんもにっこり答えた。
「いや違いますって! カレーの種類の方です」
先輩は吹きながら言うと、
「アハハ。ジョーダンヨ」
と、お姉さんは口を大きく笑いながら黄色が強い方のお椀を指さし、
「キョウノオススメコッチガちきんダヨ」
次いで橙色の方を指すと、
「デ、コッチハサカナノかりー」
さらに、彼女は満を持してというか、待ってましたとばかりに大きな目を輝かせると、
「かれいノかりーダヨ」
「カレイのカレー!!」
あたしと先輩二人してまた吹き出すと、
「ソウ。ウミノソコズットハリツイテルペッタンコナヤツオルデショ。ソレ。かれいノかりー」
そうして、陽気なお姉さんはあたしたちのお礼の言葉に『ゴユルリト』と答えると、またいそいそと去っていった。
ほう。鳥と魚ね。
ふーんチキン。鶏だね。飛べない鳥。ずっと地べたにいる鳥。そんなんもう落ちた雁ってことじゃん。
あと魚。鰈。海の底にずっと張り付いてるぺったんこなやつ。それ完全に沈魚じゃん。
これあれじゃん。合わせたらあれじゃん。
「先輩、それもう落ちっぱなしの鳥と魚で沈魚落雁味じゃないですか。先輩は閉月羞花じゃなくて沈魚落雁で、カレイのカレーで可憐なのはもう運命じゃないですか」
そう言ってみたら、
「食えもしねえ月や花なんかよりちゃんと食える鳥と魚の方が強えし、カレーは可憐じゃなくて華麗なんだからいいんだよ」
さっきと言ってること真逆じゃん。
まあ実際、先輩とカレー交換してもらったけど、どっちもすっごくおいしかった。
確かに先輩の言う通り、食べられもしない月や花より、おいしい鳥と魚の方がいいのかな。
と思ったのも束の間、食後のお茶とデザートは花のチャイとまんまるお月様みたいなレモンのシャーベットだった。
花も月も食えるんじゃん。




