アルフレドがカエデを初めて意識した時の話
リクエスト「本編後のカエデとアルフレドの話」です。
アルベル・シャトーを逮捕してから、1ヶ月ほどの時が経った。
奴を絶望させるために行った、カエデへの偽りの告白。
今となっては、告白したことによって恋人になってしまったという事実は、俺にとっては多少面倒な事柄だった。
嫌いなわけではない。
かと言って、恋人として好きなわけではない。
アルベルの被害者だったという点においては、大いに同情するが、だからと言って特別な感情が湧き上がることもなかった。
しかしながら、大勢の前で告白した手前、すぐに別れることも出来ない。
仕事が忙しいのを言い訳に、俺は自然とカエデを避けるようになっていた。
「旦那様」
召使いに呼び止められ、俺は足を止める。
振り返ると、呼び止めた本人は気まずそうな顔をして立っていた。
「何か用か?」
「いえ、その、カエデ様の件で…」
「カエデ?」
「えぇ。あの事件の後から、ずっと図書室に引きこもってばかりで…。差し出がましいようですが、旦那様もお忙しく、あまりお会いになられていないですよね?少し、時間を取って様子を見てあげた方がよろしいのではないかと…」
言われて、周囲にも分かるほどに、カエデの存在を蔑ろにしていたか、と内心でため息をつく。
ここで無視をすれば、自身の評判が下がるだけだ。
俺がわかった、と頷くと、召使いは安心したように胸を撫で下ろした。
その様子を少し不思議に思う。
「ずいぶんと、カエデに肩入れしてるな」
「まぁ…その、あんな事件に巻き込まれて、同情も少しありますが…。カエデ様は、とてもお優しいですし、この世界に馴染もうと頑張っていらっしゃるので、ついつい応援したくなるというか…」
一介の召使いにここまで言わしめるとは、カエデはそんなにも目立つ存在だっただろうか?
ともかく、やるべきことはさっさと済ませるに限る。
俺は踵を返すと、すぐに図書室に向かうことにした。
大量に積み重なった本がカエデの周りを取り囲んでいる。
俺が室内に踏み込んだことに、気付きもしない。
かじりつくように本に書かれた字の羅列を目で追っている。
「カエデ」
声をかければ、一心不乱に本を読んでいた目が数回瞬き、ゆっくりと顔が上がった。
少し、痩せただろうか。
以前と比べると、頬骨がはっきりと見える。
カエデは、まるで、幽霊でも見たかのような表情をしていたが、俺だと分かるとすぐに笑顔になった。
「アル、久しぶり」
「…あぁ、そうだな」
カエデに他意は無いのだろうが、皮肉のように言われて、少し気まずい思いをする。
立ったまま話をするのもおかしいので、本の山が開けている、カエデの正面の椅子を引いて、そこに座った。
「仕事は?忙しいんじゃないの?」
「暇になるのは当分、先の話だろうな。だが、アルベルの件は、とりあえず一段落しそうだ」
「そっか…」
一瞬にして、カエデの顔が曇る。
何を考えているのかは、そこからは伺い知れない。
憎しみ、怒り、同情。
どれもあり得る感情だろう。
長い時間を空けたあとの会話は少々息詰まる。
「勉強熱心だな」
話題を変えるついでに、そう、呟いた。
カエデは肩を竦めると、小さく笑いを零した。
「まぁ、なんていうか、何かしないと落ち着かないのよね」
「それなら、ショッピングや散歩、食べ歩きでもいいだろう」
「そうかもしれないけど…。私には、それは合わないかなぁ」
「なぜ?」
「今まで、そういうことでストレスを発散したことなくて。向こうの世界で、私、ものすごく貧乏だったの」
初めて聞く身の上話に、一瞬戸惑う。
「だから、買い物のような消費活動じゃ、心が静まらないんだよね。辛いこととか、悲しいことがあったときは、いつも、勉強することで気持ちを昇華してたの。公共の図書館なら、お金も使わなくて済むから」
冗談のようにカエデは笑ったが、表情はどこか寂しそうだった。
「私から努力を取ったら、何も残らないって思いで、自分で言うのもなんだけど、すごく頑張ってきた。塾に通わず、国立の大学にも入ったし、これから、今までの努力がどんどん報われていくはず、って時にね。アルベルに向こうの生活を全て奪われちゃった。戻ったところで、私はきっと犯罪者扱いだし、今までの頑張りは全て無駄になってしまったと思って、投げやりな気持ちにもなったよ」
「じゃぁ、今、なぜ、こうして本を読み漁っているんだ?」
「だって、ここで、何者でも無くなってしまったら、アルベルの思惑通りじゃない」
まっすぐにこちらを見つめるカエデの目には、強い意思が宿っている。
俺は、その瞳に魅入られたように、目を逸らせなくなった。
「アルベルの本性にも気づかなかったし、罠にかけられたことも許せない。その上、無気力で、一人じゃなにも出来ない人間になったら、それもアルベルのやりたかったことを、受け入れることになる」
だから、とカエデは続けた。
「私は、またここで努力して、向こうの世界で奪われた全てを取り返そうと思う」
カエデは強い。
俺の存在など無くとも、彼女はきっとこの世界で生きていけるだろう。
何も知らないにも関わらず、魔術式をいじってみせたのだ。
アルベルに壊された人生を、再構築するのは容易なことではない。
けれども、カエデならば、絶対にやり遂げるという確信が俺の中にあった。
カエデの人生。
アルベルとの対峙を果たした時、下手すればカエデは死んでいたかもしれない。
俺もまた、カエデの人生を個人的な恨みで壊していたかもしれないのだ。
そう、殺された妹に、彼女の人生があったように、目の前にいるカエデにも彼女自身の人生があるのだ。
「カエデ、すまなかった」
突然、謝罪した俺に、カエデは困ったように笑った。
「なんで、アルが謝るの?」
理由を説明できず、俺は言葉に詰まる。
利用していただなんて、言葉にして伝えられるはずがない。
俺がやっていたことは、アルベルと同じだったのだろうか?
他人の人生を台無しにし、踏みにじるという行為は、過程は違えど結果的には同じことをしていたのではないだろうか?
「すまない」
謝ることしかできなかった。
復讐のためだけに、他人を使い潰していた自身の行いは、なんと後ろ向きで身勝手だったのだろうか。
つう、と頬を生暖かい感触が滑り落ちる。
なんだろう、と思った矢先にカエデの指先が頬を滑った。
温かいその温度に、ドキリ、とする。
「アルも、辛かったよね。妹さんのこと、召使いの人が噂してるのを聞いちゃったの。悲しかったし、悔しかったよね」
そっとカエデの顔が近づいてくる。
目を瞑って受け入れれば、唇に柔らかな感触が当たった。
「泣いてもいいんだよ」
カエデの方が泣きたいだろうに、人の心配が先だなんて。
湧き上がってきた名状しがたい感情に、俺は可笑しな気分になる。
この努力家で、人生に一生懸命な彼女と共に歩む世界は、どんな色をしているのだろうか。
優しさを与えてもらった分は、同じように返したい。
いや、同じではなく、それ以上に返したいと思うのだ。
過去を清算するために生きてきた俺でも、もしかしたら、彼女と一緒にいれば前を向けるかもしれない。
ふと、そんな考えが頭をよぎった。
無意識にカエデのお人好しさにつけこむアルフレドさん。
泣いて済むと思うなよ~。




