08
魔術という力を手にしてから、欲しい物は全て手に入れてきた。
時には、力に訴え、時には、知略を巡らせ自らの手に入ってくるように仕組んだ。
そして、今回もトントン拍子に事が進み、笑いが止まらない。
ついに、カエデを冤罪の場面から救い出し、己の世界へと連れ帰った時、アルベルは勝利を確信した。
目の前で泣きじゃくり、涙を拭う手に頬寄せる仕草に、以前の失敗は許されたのだと舞い上がるほどの喜びを感じる。
それからの生活は、アルベルにとっては非常に幸福とも言える日々が続いた。
カエデを知っている人間は、自分の他には誰も居ない。
誰かに取られる心配が無いということは、アルベルを酷く落ち着かせた。
あとは、カエデが心を明け渡してくれるまで、じっくりと待つだけだ。
今まで独力で生活をしてきたカエデは、人を頼らずに自分で何とかしようとする節がある。
依存をさせにくいタイプだったが、どうにかして、ぐずぐずに甘やかし、1人では何も出来ないと思い込ませないといけない。
「アルベル、お風呂入りたいんだけど…」
遠慮がちに申し出てくるカエデには、にっこりと笑って首を横に振る。
「その手錠じゃ無理でしょう?」
そういった意味では、カエデに嵌められた手錠は、アルベルに非常に有利に働いた。
本当なら、手錠だけでなく、首輪をかけて鎖に繋ぎ、足枷まで嵌めたいと思うのだ。
かつての自分がそうだったように、そうすれば逃げ出すことは不可能になるのだから。
けれども、その思いはカエデを傷つけ、遠ざけるだけだとアルベルは理解している。
浮かび上がらる仄暗い気持ちを押し込めて、魔術では外せないと嘘をつき、世話を焼くだけに止めた。
「えー、でも、入らないと汚いし」
「僕が入れてあげるよ」
にっこりと笑えば、カエデはぽかんと口を開いた後、数拍置いてから顔を真っ赤にして怒り始める。
「馬鹿じゃないの?!ふざけないでよ、この変態!」
「あっはは、酷い言われよう」
「もう、真剣に相談してるのに!」
そっぽを向いて不貞腐れるカエデを見ながら、アルベルは微笑む。
あちらの世界で、1度失敗してから、近づけば怯えた表情ばかりしていた頃に比べると、随分といろいろな顔を見せてくれるようになったと思う。
きっと、本人が気づいていないうちに心を許し始めているのだろう。
顔にはしょんぼりと項垂れた表情を浮かべ、内心ではほくそ笑む。
「ごめんね、カエデ。手錠を外す方法、見つけられなくて…」
「あ、いや、ううん。別にアルベルのせいじゃないし。ごめん、私こそ我がまま言って」
お人好しだなぁ、という言葉は喉の奥に押し込む。
あまりカエデにとって、良い意味で捉えてもらえないことは重々承知していたからだ。
家のことはもちろん、自分のことすら面倒が見れないとなれば、カエデの劣等感はすさまじいものだろう。
この時に、攻撃的な言葉を吐けば、カエデは卑屈になり、こちらに対して遠慮と恐縮を覚えてしまう。
自己嫌悪に陥り、どこかへ飛び出してしまわないとも限らない。
その一方で、甘やかして、頼り切ることが当たり前なのだと思わせれば、完璧な依存が出来上がる。
アルベルの目指すところはそこだった。
カエデには、家から決して出てはならないと言い含め、外との接触を禁じた。
魔術で閉じ込めることは簡単だったが、少しでも不信の種を植え付ける訳にはいかない。
ドアが開かないと知られれば、カエデの疑念は一気に膨れ上がるだろう。
最悪、カエデが約束を破り外に出たとしても、この鬱蒼と茂った森の中を少し歩けば、すぐに小屋の方が安全だと気づくはずだ。
幸い、このような森の奥に好んで訪ねてくるような奇特な人間はほとんどいない。
いるとすれば、アルベルの足跡を辿ってやってくる警備団くらいのものだ。
カエデと外部の人間が接触することは、ほぼ皆無と言ってもいい。
アルベルは、このことについて、随分と楽観視していた。
そして、これが後に仇となることに気付きすらしなかった。
「行ってくるね」
ちゅ、と額にキスを落とす。
カエデは最初は身を引いていたものの、今では素直に受け入れてくれるようになった。
唇を合わせ、舌を差し込みたくなる衝動をぐっと堪え、カエデから離れる。
まだ、時期ではない。
「行ってらっしゃい」
呆れた顔をしながらも、律儀に手を降ってくれる様子に、アルベルは上機嫌で家を後にする。
外部から守りの結界を張り、真っ直ぐに森の奥を突き進んだ。
本当なら、今すぐにでも取って引き返し、カエデを抱きしめて、2人でくだらない話しをずっとしていたい。
けれども、己の過去がそれを許さないのだ。
全てを、精算しなければならない。
カエデのしがらみを断ち切らせたように、アルベル自身もまた、過去のしがらみから解き放たれなければならなかった。
「君たちがいると、邪魔なんだ。ごめんね」
にっこりと笑って、かつて、己を崇拝し、慕ってきた人間を屠る。
手を触れた箇所から、相手の身体に大量の魔力を注ぎ込み、死に至らせるのだ。
これが、返り血を浴びずに、最も簡単に人を殺せる術だった。
カエデと共に生活をするにあたり、手駒として使っていた者達は邪魔でしかなかった。
崇拝者も、狂信者も、もう必要ないのだ。
アルベル・シャトーの失踪により、暴徒と化した人間たちは、不安要素と成り得る。
万が一、カエデに被害が及んだら。
そう考えると、心配の種は残らず焼き払ってしまいたかった。
己が纏めていた集団の粛清が済めば、次は追手の殲滅である。
面倒だと野放しにしていたが、そうは言っていられない。
捕まる可能性はゼロに等しかったが、それはアルベルにとっての話であり、カエデには当てはまらないのだ。
アルベル・シャトーという人間の近くにいれば、自ずと厄介事に巻き込まれていくのは重々承知している。
なんとしても、その根本を叩き潰しておきたかった。
そして、その決心を固めることが遅かったことに、アルベルは後悔することになる。




