10話 コインが導くものは <現実>
今話は、1話の続きとなっています。流れとしては、1話→10話で、2~9話は1話での回想となっています。
よろしくお願いします。
赤の村を出てすぐに広がっている、<カムル草原>。その場所においては、そこそこ強いモンスターにあたるニースボアとの戦闘を終え。気づけば俺は、現実世界の自室のベッドに横たわっていた。
窓を覆う、カーテンの隙間から微かに漏れてくる陽光。そして、耳元でカチッ、カチッと音を立てる目覚まし時計の針が、朝となったことを告げている。
「……寝てる間に向こうに行ってたか……」
フゥ、と息をつき、額にかいていた寝汗を拭う。
2日間ずつ繰り返し世界が入れ替わるのだが、現実世界においてはその線引きが曖昧となる。例えば、今のように早朝であったり、学校の休み時間である真昼間であったり。深夜だった時もあり、明確な時刻というのは決まっていない。つまり、完全なランダムなのだ。
ゆったりした動作でベッドから身体を起こし、階下へと向かう。
ギシ、ギシと微かに軋むような音を響かせる階段。それを足早に駆け下りながら、俺はリビングの扉を開けた。
「あっ、兄さん。おはようございます」
すでに起床して降りてきていた雫花が、俺に気づいて軽く微笑む。その手には、二人分のコップ。テーブルの上には、すでにパンとベーコンエッグが用意されていた。
「ふぁ……おはよう」
「ふふっ、これから起こしに行こうと思ってたんですよ。……ちょっと、残念です」
欠伸を噛み殺す俺を見ながら、雫花は悪戯めいた笑みをみせた。
俺は、そんな雫花から視線を逸らすと、彼女に気づかれぬようそっと溜め息を零した。
父のいない、母子家庭という少々特殊な環境で育ったためか、もしくは幼い頃から俺が過保護気味だったためか。雫花は、時折このような言動をとる。
それがからかいであるのか、本心であるのか。俺としては前者だと思いたいが、あまりにもそれが多すぎて、対応に困ることがある。
だが、これだけは言える。自惚れでも、思い込みでもなく、雫花は、全幅の信頼を俺に寄せてくれている、と。
――雫花には、俺を恨むべき理由があるというのに。
「相変わらず、母さんも雫花も早いな」
時刻は、AM7:00。この時間にはもう、母は仕事に出ている。雫花も、すでに中学の制服へと着替えていた。
椅子を引き、腰を下ろす。そして雫花も、俺の隣の椅子へと座った。
「……向こうに座ったらどうだ? ちょっと窮屈だろ」
「いえ、大丈夫です。ここが私の指定席ですので」
とりあえず言ってはみたものの、いつもと似たような答えが返ってくる。ならば、と前に俺が席を移動したところ、雫花もそれに伴って移動してきたのだから、もはや諦めてはいる。
いただきます、と小さく声を出し、食事を始める。
コップに注がれた、ひんやりと冷たい牛乳を一気に飲み干す。
起きたばかりの渇いた喉には、これぐらいの温度がちょうどいい。
「雫花、牛乳とってくれ」
「はい」
そこまでは頼んでいないのに、空になった俺のコップに牛乳を注いでくれる雫花。
横に並んで食事をとる兄妹。
そんな、朝の一幕。
だが、それもいつまでこうしていられるものか。
俺は短く嘆息すると、食事を再開した。
※※※
教壇に立つ、初老の男性教師が、教科書を片手に淡々と口を開いている。
だが、俺はその言葉など全く頭に入らず、窓の外を眺めながら考えに耽っていた。
学校というものは、元々面倒くさいと思っていたが、一ヶ月前の出来事が更にその気持ちに拍車をかけた。
そもそも、外に出るという行為自体が危険なのだ。正直な話、家に籠っていれば他プレイヤーに接触する確立など、ほとんどといっていいほどない。生き残るためにはそれが一番確実なのだが、逆にそれは母や雫花にいらぬ心配をかけるし、一種の危険を孕んでいる。
例えば、だ。
一ヶ月前までは普通に登校していたやつが、ある日を境にパタリと学校に来なくなる。事情を知らない生徒からすれば、どうしたのだろうかと思う程度だ。だが、もし事情を知っている――つまりプレイヤーである生徒がいたら。俺だったら、そいつはプレイヤー、もしくは人質なのでは、と疑う。
俺には他プレイヤーを殺す気などないが、誰もがそうというわけではない。
もしかすると、この『1-B』クラスの中にも、プレイヤーとなった生徒がいるかもしれない。
そう考えると、この場で共に授業を聞いているほとんどの生徒が怪しく思えてくる。
だが――と俺は、目の前でこっくりこっくりと船を漕ぐ男子生徒を見やった。
コイツだけは違うと確信をもって言えた。
それは、初めてモルスから現実へと戻ってきた時のこと。俺は呆然としていたのに対し、ユウは動揺の欠片もなかったのだ。
それに、俺のコインを見た時も、そうだ。
制服の右のポケットに忍ばせたコインの感触を確かめながら、思考する。
このコインはプレイヤー以外の人間が見ると、その元となった硬貨に見えるらしい。つまり、俺の場合は500円。あの時ユウは、このコインを手に取ったにも関わらず、何の反応も示さなかったのだ。
それは多分、コイツはプレイヤーでは――。
キーンコーン、と授業終了のベルが鳴った。思考を中断し、教科書類を机にしまう。
今日はここまで、と男性教師が教室の外へと出ていく。
瞬間、ガタガタッと机や椅子を動かす音が、そこかしこから立った。
昼休み。生徒達が思い思いの場所で昼食をとろうと、移動しているのだ。
俺は席を立つと、体を机に預けているユウを見た。かなり爆睡しているようだ。
とりあえずパンでも買いに行くか、と鞄に入れていた財布を取り出し、ユウを放置したまま教室を出る。
弁当は持ってきているものの、それでは少し物足りない。今日はなぜだか、特に腹が減っていた。
一年生の教室が並ぶ2階から1階へと降り、少し歩いた先にある食堂へと向かう。
その道中、右手はポケットにあるコインを弄んだままだ。最近、これが癖となりつつある。
廊下の突き当たりに存在しているのが、購買部や自動販売機のある食堂だ。ベージュの壁に彩られ、洒落た白いテーブルが連なる落ち着いた空間。高校の食堂にしてはなかなか上質なものである。
授業が終了した直後だからだろうか、そこまで混雑はしていない。
昼食を摂っている生徒達の横を通り、食堂の一角にある自販機コーナーへと歩を進める。
「どれにすっかな……」
ずらり、と並んだパンやドリンクの自販機は、目移りするのには充分な量だ。
だがまあ、とりあえず、と俺が財布から硬貨を出そうと、右手をポケットから引き抜こうとした、その時だった。
「起こしてくれたっていいだろうがっ!」
慌ただしく近寄ってきた足音。ユウの声と共に、バシン、と背中が叩かれる。
予期していなかった衝撃に、右腕が跳ね上がる。その手の先では――鈍色の輝きを放つコインが、くるくると回転しながら宙に舞っていた。
急ぎ手を伸ばすが、無情にも、俺の指の間を抜けて、コインは地に落下した。
まるでスローモーションとなったかのように、その光景が視界に映し出される。
そのまま、コロコロと、まるで導かれるようにコインは転がっていき。
そして――とある生徒の足元で、パタンと倒れた。
顔を上げる。
今、足元にある俺の生命を屈んで拾い上げたのは、一人の女子生徒。
そこにあった姿は――。
「……柊……千雪」
そう、あの柊千雪だった。
彼女が、ゆっくりとコインを片手にこちらに近づいてくる。
俺は、それを黙って見ていることしかできないでいた。
周囲の視線を感じる。だが、それも気にならないほどに、今の俺は動揺していたのだ。
スッ、と目の前に立った彼女が、無言のままコインを持った手を差し出す。その表情は、まったくといっていいほど、読めない。
「……あ、ご、ごめ……」
それを半ば反射的にそれを受け取った俺に、彼女はより一層近づいてきた。
サラサラ、と舞う彼女の長い黒髪が、俺の頬を撫でる。
そして彼女は、俺の耳元で、こう囁いた。俺だけにしか聞こえないような小さい声だったが、確かにそう言ったのだ。
「そんなことしてたら――すぐに死んじゃうわよ?」
驚愕に、目を見開く。
だが、そんな俺を後目に、彼女――柊千雪は、まるで何事もなかったかのように、その漆黒の黒髪を靡かせ、食堂を出て行った。




