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 バル・グラードの王城は、元々豹族の族長が住んでいた城をそのまま利用している。城全体が部族を守る要塞の役割も担っていたため、有事の際は豹族全員が逃げ込めるほどの広さを誇り、なおかつラゾなどの大型の豹が出入りしても不自由のない設計になっている。


 王都――そう呼ばれてはいるものの、現時点で暮らしているのは主に豹族の者たちだ。他種族から優秀な者たちを集め、中央ギルドを設立し、各々の能力が最大限に活かせるよう体制を少しずつ整備しながら各地に広げている。その模範となるべく、王城の足元にある街の整理も進行中だ。


 王都以外の地域では、それぞれの部族長を領主として任命し、『領地』として自治を委ねることにした。もともと、力による圧制に苦しんでいた部族が多かったが、ロガンの粛清により旧体制が崩壊。どの部族も新たに族長となった者ばかりであり、現在は統治について懸命に学んでいる段階だ。

 

 今後、力による圧制が再び行われないよう、ロガン率いる軍勢や官吏たちが常に監視し、一つの王国として協力し合えるよう日々議論が続けられている。最近では、執務室の机に向かい、山積みの書類と向き合う日々が続いている。

 

 ロガンは、婚約式の翌日も夜明け前には執務室に赴き、報告書に目を通していた。それでなくても、セリーヌのことが気にかかって眠れなかったのだ。


 目を閉じれば、婚約式での自分の過ちが脳裏で再生され、そのたびに死にたくなるほど息苦しくなる。目の下には深い隈が刻まれ、殺気立った黒い空気を醸し出していた。


 ぶつぶつと声に出しながら報告書を読んでいると、爽やかな顔をしたディランが窓の外に目を向けた。


「――あ。ピトからの報告が来ましたね」


 ぐしゃ――っと、音を立てて、ロガンの手元の書類が握りつぶされる。

 ロガンは血走った眼でディランを凝視し、『早く内容を読み上げろ』と視線だけで訴える。ディランは「はいはい」とその視線に急かされるように、いそいそと窓に近づき、鳥の足から手紙を受け取った。


「……やはり、住環境があまり良くないようですね。とても寒い部屋で眠られていて、火も焚かれていない様子です。使用人たちの態度も悪く、とても尊重されているとは言えない環境のようです」

「そうか……」


 ベルヴェルデの花屋でセリーヌの手紙を見つけて以降、彼女がどうしているのかをすぐに調べた。手紙に書かれていた信書管理場の主に金を握らせ、少々脅しを交えて情報を引き出す。それから、ルメローザでの彼女の立場を知ることとなった。


『男をたぶらかす魔性の女』、『恥知らずにも肌を晒す妾の子』――噂はひどいものだった。一体誰のことかと耳を疑ったほどだ。


 だが、セリーヌの母であるリリーも相当な美人で、言い寄る客を笑顔でかわしては、時に逆恨みを買っていたことを思い出す。まあ――リリーは片っ端からそれさえ難なく跳ねのけていたが。セリーヌも、やっかみ半分の根も葉もない悪意のある噂を立てられたのではないかと推測し、深く調べてみると、案の定、噂の発生源はラヴィーニュ侯爵夫人とその娘であることがわかった。


 しかし、ラヴィーニュ侯爵本人は、セリーヌを他の子どもたちと同じように扱っているように見えた。セリーヌも、もう十七歳だ。本当に縁組や金銭目的で引き取ったのであれば、そろそろどこかの後妻にでも決まっていてもおかしくない頃だろう。


(……血を分けた娘だ。当たり前だな。常識的に考えれば、責められるべきは間違いなく不義を働いた侯爵のほうだ。平民であるリリーや、その血を引くセリーヌの立場が低いのであればなおさら、侯爵が負うべき責任は大きいはずだ。なのに、ルメローザでは貴族の方が何につけ罪が軽くなる。国が違えば『常識』も異なるが……今一つ、理解できないな)


 何はともあれ、そんな国にセリーナを置いておけるかと、ロガンはバル・グラードを立ち上げて早々にルメローザの王に連絡を取った。有事の際には全面的にバル・グラードの戦士を貸し出すという条件をつけて、セリーヌの輿入れを願い出たのだ。

 

 ルメローザの王は「そんなことで良いのか」と驚いていたが、ロガンとしては絶対に譲れない条件だった。すぐにでも彼女を連れ帰りたい一心で、婚約式の後に話し合いの場を設けたのだが――。


(……怯えていた。やはり、俺の所為だろうか)

 

 セリーヌは、長い睫毛を小刻みに震わせていた。

 マントの下で身を小さくして、傷がつくのではと心配になるほど膝の上で拳を握り締めていた。


 致し方ない。

 セリーヌは、少し大きめの可愛い黒猫であるロガンしか知らないのだから。

 それに続く失態。第一印象は最悪だろう。


(獣人は原則、欲しいものがあれば力づくで手に入れる。でも……それではきっと、心までは手に入らない。自分ではない、誰かの心を求めるなんて初めてのことで……どう動いて良いものか、さっぱりわからないな)

 

 とにかく、セリーヌの意志を尊重したい。

 それに、次期侯爵――ジュリアンだったかの言う通り、実父であるアドリアンとは、ロガンの知らない所で絆を育んでいたのかもしれない。

 連れ去るように家から出すと言うのは、最終手段にしておいた方が良いだろう。


 そう思い、まずは彼女の身を守るためにピトを遣わして、住環境もそれとなく調べるように命じたが――予想は悪い方に当たってしまった。侯爵は一体、何をやっているんだ。

 ディランは報告を続ける。


「それから、ジュリアン・ラヴィーニュが、夜間番様の部屋を訪れようとしていたそうです。その雰囲気が、少し怪しかったと……」

「……? しかし、セリーヌは侯爵家の後継を脅かすような存在ではないだろう。夫人と妹は、侯爵とリリーの不義の仲への嫌悪から嫌がらせをしているのだとしても……嫡男が、バル・グラードへの輿入れが決まった妹に何をしようと言うのだ?」

「さあ……詳細は書いていませんね。ただ、『怪しい気がする』と。今はまだ、勘の類なのかもしれませんね」


 確かに、セリーヌが侯爵邸から出ることを真っ先に反対したのは、ジュリアン・ラヴィーニュだった。何か思惑があるのだろうか。ロガンは、苛立ちを交えて告げる。


「そもそも……あの男は、一目見た時から気に入らなかったのだ! バル・グラードの王である俺に敵対的な態度を取ったのも勿論だが、セリーヌのことをさも大切な妹だと語っておきながら、そんな素振り一度も見せなかっただろう!」

「ん~……ひとまず、ピトに引き続き観察しておいてもらいましょうか。優れた魔法の使い手と聞きますし、警戒しておいて損はないでしょうから」


 セリーヌを何とか早くバル・グラードへ――いや、バル・グラードでなくても良い。とにかく侯爵邸を出て、安全で過ごしやすい場所に居を移せないものだろうか。


 ロガンはデスクに頬杖をつき、反対の手で積み重なった書類をぱらぱらと捲りながら思案する。すると、ディランが「あ」と短い声をあげた。


「番様が、ご一緒に夕食をと誘われているそうです」


 ディランの言葉が耳に届いた瞬間――ロガンの肘はずるっとデスクを滑り落ち、そのまま態勢を崩し椅子ごと床に転がった。

 ディランは目を瞬かせていたが、追い打ちを掛けるように笑う。


「初デートですね」

「デ、……! ど、どうしたら……」

「夜ならまだ時間があります。とにかく、侯爵邸から然程離れていない場所のレストランを抑えましょうか。食事だけして帰るのかな~……軽く散策する場所でも探しておきますか?」


 ディランは呆けながらも忙しなく頭を働かせる。

 そして、はっと意識を覚醒させ、急いで立ち上がる。


「――ディラン! ひとつ、至急頼まれてくれっ!」

 

貴重なお時間を使ってお読みいただき、ありがとうございます。

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