19・
「…………」
「…………」
約束の日。天気は良く、ベルヴェルデの屋敷の庭には、ピト特製のカフェテーブルが用意されていた。
愛らしい花柄の茶器に、美味しそうなパウンドケーキ。
その隣には、新鮮なフルーツやクリームが添えられている。
カフェテーブルの周りでは、セリーヌが愛情を込めて育てた花々が、陽射しを浴びて嬉しそうに咲き誇っている。
それだけでも思わず笑顔がこぼれそうなほど、穏やかで美しいひとときに――沈黙だけが流れ続けていた。
丸テーブルの隣に座ったロガンとセリーヌは、お互い交互に相手をじっと見つめては視線が絡むと俯き、顔を赤らめている。
セリーヌはもじもじとしきりに指先を動かし、ロガンに至っては酷く緊張した様子で六杯目のお茶に手を伸ばしている。しかし、今日はそこに新しい顔ぶれがあった。
『……お前たちは、一体何をやっているんだ?』
大きな黒豹の突然の声に、セリーヌはびくりと肩を跳ねさせた。
ロガンは顔を顰めて黒豹を見た。
「――ラゾ」
『友よ、いつまでそうしているつもりだ? 最初は面白かったが、もういい加減飽きたぞ。飽き飽きだ』
ラゾは、しっぽをパタパタと地面に叩きつけ、抗議の意思を示す。
すべての獣が獣人というわけではないように、バル・グラードにも純粋な獣はいると教師に教わった。そのため、セリーヌはラゾを純粋な獣だと誤解していた。
慌てて立ち上がり、カーテシーをする。
「……ラゾ卿と、仰るのですね。申し遅れました。ロガン国王陛下の……こ、婚約者の、セリーヌ・ラヴィーニュと申します!」
ロガンは、「婚約者」という言葉に敏感に反応し、口元が緩まないように引き締める。そして、ラゾは目をまん丸くした後、声を上げて大きく笑った。何か変なことを聞いてしまったのかとセリーヌが身を小さくすると、ラゾの尻尾が嬉しそうに揺れた。
『"卿"などと呼ばれたのは初めてだ。我は黒豹――ラゾだ。獣人ではなく原種の存在。純然たる獣であるぞ』
セリーヌは、感心したように息を漏らし、瞳を輝かせた。
神獣の加護によって獣化する人間もいれば、人間同様の知識を持つ獣もいると聞いてはいたが、実際に言葉を交わしたのは初めてだ。
今後、他の動物たちとも話ができるのかと思うと、心が浮き立つ。
同様に二人を見守っていたピトが、クスリと笑い、ラゾに告げる。
「もう、ラゾさん。お二人の邪魔をしてはいけませんよ~? お二人にはお二人のペースがあるのですから」
『邪魔をしまいと見守った結果がこれだ。そんなところで睨めっこをしていないで、とっとと街の散策にでも行ってこい。もう午後の名残だ。行くべき場所があるのだろう?』
街の散策と聞いて、セリーヌの胸が高鳴った。
実は、ベルヴェルデの街に移ってから、セリーヌはまだ一度も屋敷を出ていない。街には、ルメローザ王宮の騎士が時折訪れ、彼女の様子を探っているらしい。セリーヌが逃げぬよう見張っているのか、バル・グラード側の動きを見ているのか定かではないが、魔法に関する知識が十分でないバル・グラードの護衛たちでは対応しきれない可能性があるため、外出を控えるよう言われていた。
なお、屋敷から中庭、今は使っていない花屋の店舗に至るまで、魔法を跳ね返す効果のある魔晶石が結界のように張り巡らされているらしい。
そんな事情さえなければ、生まれ育った懐かしい街だ。ぜひ散策したい。
ラゾの言葉を受け、ロガンはぐっと言葉を詰まらせた。そして、「あ~……」と視線を彷徨わせ、セリーヌに手を差し出す。
「その……この街の、案内を頼みたい。そなたのことは――必ず守る」
セリーヌの頬が、瞬く間に耳まで赤く染まる。
ロガンの顔もまた赤く染まったが、俯いたセリーヌには彼の大きな手のひらしか見えていなかった。
セリーヌは、そっとロガンの手に自らの手を置いた。
「あの……はい。よろしくお願い、致します」
◇◇◇
ベルヴェルデの街は、変わらぬ温もりをたたえていた。
セリーヌは、目の前に広がる懐かしい街並みを見て、胸の奥がじんと熱くなる。
石畳の通りには、色とりどりの花を飾った窓辺が並び、どの家も可愛らしい三角屋根に白い木枠の窓を持っている。店先には焼きたてのパンやフルーツを並べた露店が軒を連ね、甘い香りが風に乗って漂ってきた。街灯には蔦が絡みつき、どこか童話の世界に迷い込んだような雰囲気を醸し出している。
街の中心にそびえる教会は、変わらぬ姿で堂々と佇んでいた。赤いレンガに丸いステンドグラス――それは、セリーヌの記憶の中にあるままだ。
先日、夜に通り過ぎたときとは違い、昼間の街は人々の往来でにぎわい、子供たちの笑い声が通りに響いていた。セリーヌは不意に足を止めた。
「……」
「……どうした?」
ロガンの声が静かに届く。喉の奥が詰まり、言葉が出てこない。
ちゃんと自然に微笑めているだろうか。涙が滲まないように、何度も瞬きを繰り返す。
「……なんだか、胸がいっぱいで」
セリーヌの言葉に、ロガンは静かに俯いた。
その仕草に、セリーヌは少し驚く。感謝してもしきれないほどなのに、ロガンの表情はどこか申し訳なさそうで、まるで悔やんでいるかのようだった。
「陛……」
「――そこにいるのは……セリーヌかい⁉」
後ろから声がかかり、振り返ると、痩せた女性が立っていた。
四十代後半ほどに見える品のある装いの女性で、片手に杖を握っている。
誰だろう――と懸命に記憶を探るが、思い出すよりも早く、彼女は足早に近寄り、涙ながらにセリーヌの手を取った。
姿はすっかり変わってしまっているが、それでも、その瞳に宿る濃いグリーンの輝きを見た瞬間、セリーヌの脳裏に一人の女性の面影が浮かび上がった。
「……もしかして、マーサおばさん?」
「……ああ、そうだよ。覚えていてくれたんだね。ま~、こんなに綺麗になって。お母さんそっくりじゃないか」
マーサの笑顔に、セリーヌの瞳にもぶわっと涙が浮かぶ。
けれどすぐにロガンのことを思い出し、セリーヌは振り返りマーサを紹介した。
「陛……ロガンさん。彼女は、わたく……私がベルヴェルデに暮らしていた頃、お世話になった方なんです。パン屋のマーサおばさんです。マーサおばさん、こちらは、私の婚約者のロガンさんです」
今日は、念のため身分を隠して行動しようと事前に話し合っていた。
服装も、二人で揃いの街の服に着替えたのだ。無駄にしてはいけないと、セリーヌは慣れないながらも懸命にロガンの名を呼ぶ。ロガンは、セリーヌの様子に僅かに目元を緩ませ、マーサに対して礼儀正しく頭を下げた。
「ロガンです」
「おや~、また凄い色男を捕まえたね。あんたは妻子いないだろうね?」
「おばさん……っ」
マーサの軽口を、セリーヌは慌てて止めに入る。
一国の王に何てことをと思ったが、ロガンは気にする様子もなく即座に首を横に振った。
「いえ、俺には彼女だけです。……彼女がいれば、それで良い」
この婚姻は、国同士の友好を示すためのもの。
そのためにかけられた言葉だとわかっているのに、頬が熱くなるのを止められない。マーサは、高らかに笑った。
「はっはっは! お熱いね! 少し、時間はあるかい? 良ければ少し話を聞かせておくれ」
セリーヌは、少し悩みロガンを見上げる。
ロガンは、セリーヌの意図を汲み取るように頷いた。
「そな……き、君さえ、良ければ」
言葉遣いに不慣れなせいか、ロガンも気恥ずかしそうに、わずかに頬を赤らめる。
なぜ、彼はこんなにも自然に私を尊重してくれるのだろう。
なぜ、たどたどしい会話なのに、こんなにも心が満たされるのだろう。
不思議な胸の高鳴りが収まらないまま、セリーヌはコクリと頷き――三人は、ゆったりと話せる場所を探しながら歩き出した。
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