9.個人競技
修学旅行を控えた五月。
花咲姫子と宮原春の関係が、ギクシャクしていることに気付いた水樹勉だったが、彼はどう動けばいいのか、迷っていた。
そんなとき、彼の部活の後輩である金剛内桃華が、ある提案をする。
花咲の様子がおかしい。
俺が、それに気付いたのは四月の終わり頃だった。
春は何か知っているようだったが、恋敵に何があったのか、聞けるはずもない。まあ、あいつは俺の事を恋敵だなんて、思ってもいないだろうが。
そんな俺の想いなど知らず、春はおにぎりを頬張り、来週に迫った修学旅行の話題を振ってきた。
「なあ、水樹。自由行動の時間、どうする?」
俺は一応、考えているふりをした。
「うーん・・・・」
五月に入ってからは、コイツだけでなく、クラス中はその話題で盛り上がっている。
そして、中でも二日目と三日目にある自由行動の時間をどう過ごすか、皆は、その計画を懸命に練っていた。
というのも、自由行動の時間は、仲の良い者同士が班になって、好きなところを、自由に観光してくるという事になっているのだが、その班員はクラスメイトに限られている。そのため、他クラスに友人や恋人がいる者にとっては、どうやって、班から抜け出し、合流するのかを、十分に考える必要があった。
俺自身、出来れば四組の花咲と行動を共にしたいところだが、今は、さすがの俺でもそこまでの計画は、思いつかない。
そもそも花咲が修学旅行に参加するのか、どうかもわからない。
彼女の事だから、車いすに乗った自分では、皆の足手まといになってしまうからと考え、参加を見送るかもしれない。過去の宿泊学習もそういう理由で参加していないらしい。
だから、結局俺は、この切れ目の強面だけど、憎めないバカな奴と行動を共にするしかないのだ。
「僕は、特には考えてないんだよ。そうだ。春、一緒に回らないかい?」
俺が気を利かせて、友人の少ない春を誘ってみた。しかし、意外にも彼は歯切れ悪い返事をした。
「あ、ああ。そうだな。そうしようか」
「ん?なんかあるのかい?」
「いや、なんでもない。一緒に回ろうぜ。じゃあ、早速、どこから行く?」
春はそう言って、二日目の自由行動の予定地である京都の観光マップを広げた。
いつもは行き当たりばったりの春なのだが、なぜか観光マップは使い込まれているようで、所々に折り目が入っていたり、マーカーで印がつけられていたりする箇所もあった。
俺は、その事がなんとなく気になったが、今は深くは考えないことにした。
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そして、その日の夕方。
俺は、部活のため、学校の敷地から離れ、弓道場にいた。
弓道というのは、数ある武道の中でも、比較的動きが少ない。しかし、それ故に精神力が必要とされる。
まさに己との戦い。
言い換えれば、究極の個人競技なのだ。
そんな弓道にも、一応、団体戦というものはある。
三人ないし、五人でチームを組むが、サッカーや野球のようにボールを投げ合う事もなければ、競技中に話し合う事もない。
自分が中てるか、外すか。
〇か、×か、ただそれのみ。
だから、彼女のように友人が少ないタイプの子には、弓道は向いているのかもしれない。
俺はそんな事を考えながら、金剛内桃華が最後の一本を放つ瞬間を見ていた。
桃華のトレードマークともいえるいつものツインテールは、弦と干渉してしまうので、今は、左に流すように一つにまとめられている。
また、いつもは甘ったるい表情を振り撒いている彼女だが、弓を引いている時だけは、凛とした表情で、真っ直ぐに的だけを見ていた。
あんな表情もできるのだな、と感心してしまうほどだ。
そんな桃華が放った矢は、わずかな放物線を描きつつ、二十八メートル先の的に乾いた音を響かせ、的中した。しかし、その矢に勢いはなく、射形もそれほど美しくはなかった。
それでも、桃華の弓は、中てる事だけには忠実だった。その射形には、一切の無駄がなく、まるで、全てが計算されているような動きで、いかにも、桃華らしい弓の引き方だと思った。
俺は、的から視線を外し、弓を倒して、射位(弓を引く位置)を離れたそんな桃華に、爽やかな声をかけてやった。
「お疲れさま」
すると、桃華は俺に声をかけられたのが、嬉しかったのか、珍しく素の表情で驚いた。
「あ、水樹先輩。お疲れ様です」
最近の俺は、花咲と春のことばかり気にしていたので、部活は疎遠になりつつあった。そのせいで、部員である桃華とも話をする機会は少なくなっていた。だから、その埋め合わせではないが、助言を一つかけてやった。
「桃華。最後の一本、悪くなかったよ。でも、引き分けてくるとき、もう少し矢の水平を意識した方がいいかな」
「はい。ありがとうございます」
俺の助言を聞いた桃華は、いつになく素直な返事をした。
いつもの彼女は、もっと甘く、媚びた感じがするのだが、今日はどうしたのだろうか。逆に違和感がしてしまうほどだ。
と、思っていると、俺の思いが伝わったのか、桃華は急に体をくねらせ、上目遣いで俺を見つめてきた。
「水樹せんぱぁい。今日、このあと、時間ありますかぁ?ちょっと相談があるんですぅ」
いつもの甘ったるい桃華の声だ。
一部の男子には非常に人気は高いらしいが、女子ウケは悪い。それは彼女自身も自覚しているようで、自ら女子とは交流しようとしない。
男子である俺は、そんな桃華の事をカワイイとは思うが、恋愛の対象にはならない。かといって、嫌いなわけでもない。むしろ、俺自身も自分の計算高い性格を知っているので、彼女の性格は共感できる部分が多く、妙に親近感が湧いてしまう。
だから、俺は、桃華の依頼を快く引き受けてやった。
「うん。大丈夫だよ。相談って、部活のことかい?」
「いえ。そうじゃないんですけどぉ、水樹先輩にしか相談できないことなんですぅ」
「はは。そうかい。じゃあ、部活の後、自転車置き場で待っているよ」
「はい、ありがとうございますぅ」
それにしても、桃華が俺に相談とは、一体何のことだろうか。
弓道の事に関する事ではないようだが、桃華が学校生活の事に関して、俺に相談するとは考えにくい。
なんでも、秘密が多い女の子って萌えるでしょ?なんていうよく分からない持論を持っているくらいだ。
では、何の話なのか、そのときの俺には、見当もつかなかった。
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自転車置き場とは名ばかりで、ただ道場の横に設けられた僅かな空き地に自転車が並べられているだけだ。そこは、未舗装なうえに、雨や日差しを凌ぐ屋根もない。
俺はそんな自転車置き場で、少しずつ傾いていく五月の夕陽に照られながら、次々に帰宅する部員たちを見送っていた。
「水樹先輩。お先です」
後輩たちは、俺と言葉を交わせるのが嬉しいのか、にこやかな表情を向けていく。だから、俺も出来るだけ爽やかな表情を向け、落ち着きのある声で答えてやった。
「うん。気を付けてね」
そうして、俺は一通り部員たちを見送ると、小さな石粒たちが敷き詰められている地面を踏みしめた。そして、桃華を待っている間、花咲の事を考えてみる。
花咲と春に一体何があったのか。
また春のやつが無神経な事を言ったのだろうか。
いや、その程度であれば、彼らはすぐに仲直りをする。
では、春には非がないのか?
うーん、分からない。
花咲が、何かしらの悩みを抱えているのは、間違いないのだが、その内容は検討もつかない。
もし、いつもの俺であれば、どんな悩みだって、優しく包み、癒してやれると、自信をもって言うのだろうが、先月の放課後に起きた予想外の事態で、俺は自信を持てなくなっていた。
下手に何かやろうとすれば、逆効果になってしまうのではないか。
花咲と春の間を取り持ってしまうだけになってしまうのではないかと、後向きな事をつい考えてしまう。
全く。俺らしくないな。
俺は心の内でそう呟き、自分自身を鼻で笑った。
そして、更に思考を巡らせ、打開策を探してみる。
しかし、今の状況は悪くないと思う。
花咲には、俺は「優しい人」程度には映っているだろうし、一応、相談相手に選ばれるくらい頼りにはされている。
しかし、それではダメだ。
俺が花咲を優しく、大切に守るってあげるためには、もっと近しい存在になる必要がある。
春に恋をしている花咲を、俺に振り向かせるには、待つだけではダメなのだ。行動して前に進むしかないのだ。
そのためのチャンスを、弓の弦を引き寄せるように、手繰り寄せ、花咲の胸の内に狙いを定め、射抜く。
それを成し遂げるための機会を探すんだ。
俺が、そんな考えを巡らせている時だった。
俺以外に砂利を踏みしめる足音が聞こえてきた。俺は思考を中断させ、音のした方を見た。
すると、そこには、道着から制服に着替えたツインテールの桃華が立っていた。
桃華は、ヒラリとスカートを翻し、人懐っこい笑顔を張り付けて、甘い声を発した。
「水樹先輩。ごめんなさぁい。お待たせしちゃってぇ」
一応、俺も爽やかな笑顔で応じた。
「ううん。大丈夫だよ。それで———」
俺は、すぐに桃華の相談とやらを聞き出そうと思ったが、自分から話題を振るのも俺らしくない(周りから見られている俺)と考え、途中で口を噤んだ。
ここは、彼女が話し始めるのを待つのだ。
しかし、桃華もすぐに話を切り出そうとはしなかった。代わりに、薄っすらと笑みを浮かべ、上目遣いで俺を見つめてきた。
そして、その目は自分を可愛く見せようとしているものではなく、俺の腹を探っているような計算高い視線に感じた。
だから、俺も桃華を見詰め返した。
そうして、互いに黙り、しばらく沈黙が続いた。
弓道場は、学校の敷地から少し離れた場所にあり、その近辺に住宅はほとんどない。
そのせいか、僅かな風が吹くだけで、道場を囲う様に植えられている木々の枝葉が揺れ、サラサラという音が良く響いてきた。
そんな静かで、穏やかな空間で、俺と桃華は見つめ合い続けた。しかし、そんな二人の間には、淡い感情などは一切存在しない。互いの腹を探り合う張り詰めた空気だけが流れている。
桃華が何を話そうとしているのか俺が探るように、彼女も俺の腹の内を見透かそうとする。
そんな引き絞った弦のように緊張した沈黙を、桃華の甘ったるい声が破った。
「ふふ。水樹せんぱぁい。そんなに怖い顔しないで下さいよぉ」
そう言う桃華は、その作られた笑顔の裏に、一体どんな顔を隠し持っているのだろうか。
しかし、そんな詮索は、ひとまず置いておいておき、俺はにこやかな笑顔を作って応じた。
「ごめん、ごめん。なんか緊張しちゃって」
「水樹先輩でも緊張することあるんですかぁ?」
「そりゃあ、あるさ」
「へぇ——」
桃華はニヤリと薄笑いを浮かべた。そして、甘い声ながらもどこか刺のある口調で続けた。
「花咲さんと一緒にいるとき、とか?」
——花咲?
まさか、桃華からその名前を聞くとは思わなかった。驚いた俺は、思わず冷静さを欠き、口調が強くなってしまった。
「なんで、花咲なんだ?」
焦る俺を見て、桃華は嬉しそうに可愛くも憎たらしく笑った。
「うふふ。なんでですかねぇ」
頭の良いこの俺が、こんな小娘に手玉にされるとは、気に入らない。
俺は、あえて桃華から視線を外し、今更ながら白を切ることにした。もちろん、それが無意味な事は十分理解していたが、俺の些細な抵抗だった。
「まさか、君から彼女の名前が出るとは思わなかったよ。だけど、僕と彼女はただの友達だ。それ以上でも、それ以下でもない。話がないなら、僕はもう帰るよ」
俺は、いい加減に話を切り上げると、逃げるように立ち去ろうとした。
しかし、そんな俺を桃華は仮面のような愛くるしい表情で見つめ続け、一言だけ、重みをもって言い放った。
「今は、でしょ?」
俺はピタリと、動きを止めた。
コイツ。さては——
そこまで思案したとき、桃華が先に言葉を続けた。
「応援しますよ。私」
「応援?」
桃華の予想外の発言に俺は困惑した。しかし、桃華はそんな事を気にせず、いつもの人を誘うような口調ではなく、淡々とした口調で答えた。
「私は、春先輩の事が好きなんです。だから、私は、水樹先輩の事、応援します」
桃華の言葉から、嘘は感じられなかった。
しかし、彼女は人を欺くのが得意だ。それに、彼女の言葉が嘘ぽくはないといえども、真実を語っている感じもしない。
春はどんなタイプの人にも基本的に優しさを以って接する。それが春の良い所であり、悪い所でもある。言い換えれば、八方美人なところがあるのだ。
そんな春の性格に、友人の少ない桃華が惚れてしまっても不思議ではないのだが、二人が並んで歩いている所は、正直、想像しにくい。
それに桃華なら、春よりもいい男がたくさん寄ってくるだろうし、あえて春を選ぶ必要なないはずだ。
だったら、桃華の言葉の真意はなんなのか。
桃華は、花咲と春がくっつくのが、ただ面白くないだけなのか?
それとも、本当に春のことが好きなのか?
くそ。桃華のニセモノの仮面のせいで、彼女の本当の感情が読めない。
彼女は、一体、何を考えているのだろうか。
俺は、彼女の提案に、どう答えるべきなのだろうか。
俺は困惑していた。しかし、途端にある事を思いついた。
いや、待てよ。
もしかしたら、これはチャンスなのかもしれない。
桃華は俺を利用して、春とくっつこうとしている。或いは、春と花咲の仲を裂こうとしている。ならば、俺も彼女を利用してやればいいだけのことじゃないか。
そんな考えに至った俺は、いつもの爽やかな笑顔ではなく、薄っすらとした笑みを浮かべて答えた。
「敵の敵は、味方って事か」
恋愛も究極の個人競技なんだ。
俺と桃華が協同するといっても一時的なものだし、互いに利用し合うだけの存在だ。
結局は、自分が、意中の相手の心を射抜けるかどうか。
〇か、×か。
ただそれだけのこと。
そういった点では、俺も、桃華も、恋愛は得意な方かもしれないな。
☆くるみのつぶやき☆
弓道って、きっと個人競技ではあると思いますが、団体戦では、チームの団結力が重要だと思います。
文面にあるのは、あくまでも水樹君の見解ですから。はい。