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120センチの彼女  作者: 翼 くるみ
Ⅲ.清掃活動
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21.欲しかったもの(3)

神楽勇士かぐらゆうしらに追い詰められた宮原春みやはらしゅん


そんな彼を助けようと、金剛内桃華こんごううちももかは、意を決して目を開ける。

 私は閉じていた目を開いた。


 私の前では、しゅん先輩が神楽かぐら君とチビと対峙している。その奥では、デブとノッポがゆっくりと起き上がろうとしていた。


 私は、その場面をしっかり見つめると、体中に力を入れた。

 

 そして、恐怖で支配され、動けなくなっていた身体を軋ませながら、ゆっくりと動き出す。


 まずは右手。自分の顔の前まで持ってくると、握ったり、開いたりを繰り返し、しっかりと動かせることを確認する。それを左手でも行い、次は、視線を落として脚を見た。


 膝上丈のあずき色の体操着。その先に見える白肌の脚は、モデルのように細くはないけど、太いとも思わない。程よい弾力があり、触り心地は良さそう。だけど、今はそんな事はどうでも良くて、自分の意思に従って動かせることを確認するため、腿を上げ、膝を曲げ伸ばししてみる。両脚ともしっかりと動かせた。


 それが終わると、私は、再び春先輩や神楽君たちへ視線を戻した。そして、今度は声が出せるか、確かめてみる。


「あっ、あの、あのさぁ・・・・・・」


 一応声は出たが、張り詰めた緊張感の中、睨み合っている彼らを注目させるほどの力強い声は出なかった。


 何やってんの、私。もっと声を張りなさいよ。でないと、春先輩を助けられないよ。


 そう自分に言い聞かせ、今度は大きな声が出せるよう、思いっきり息を吸い込み、腹に力を込めて、それを全て吐き出すように、声を発した。


「あのさ——!!」


 今度は力強い声が出た。

 そして、その声に気付いた春先輩が振り返って、驚いた表情で私を見た。それは神楽君や三人組も同じで、皆、驚いた表情で私に注目した。


 それが出来ると、私の勢いはもう止められない。


 私は、右足を踏み出し、地面をしっかりとつかむ。続いて、左足。また、右足。足がちゃんと出せる事が分かると、一歩一歩、歩き始めた。


 春先輩は、歩き始めた私に心配そうな顔を向け、私を止めようと手を伸ばした。しかし、「桃華・・・・・・」と小さく名前を呼んだだけで、私の勇ましい顔を見て何か感じ取ったのか、触れることなく、伸ばした手を引っ込めた。


 そして、歩き出した私は、春先輩の横を通り過ぎ、真っ直ぐに神楽君のもとへと歩み寄った。いつもの可愛い内股の歩き方ではなく、なるべく堂々と見えるように、肩で風を切りながら、少しガニ股で歩いた。


 神楽君はその様子を何も言わず、ただ呆然と眺めていた。一体何が起こっているのか、全く理解できないようで、何度も目を擦ったり、時には自分の頬をつねったりしてみている。それでも理解は追いついていないようだったが、どうにか細い声を絞り出した。


「も、も、桃華ちゃん?どうしたの?何かいつもと違うようだけど・・・・・・」


 私はそんな脆弱な質問に答えることなく、神楽君の一メートル程手前で立ち止まって、彼をきつく睨んだ。睨まれた神楽君は、私から放たれる異様な雰囲気に気圧され、一歩下がった。


 次に私は視線を移して三人組も順に睨みつけた。当然、三人組も状況を理解できておらず、ただ私の圧力に押され、後退りをする。デブに至っては、足をもつれさせ、尻餅をつく始末だ。


 さらに私はリーダー格の神楽君に睨みを戻すと、出来るだけお腹に力を込めて、低い声を発した。


「あのさぁ。アンタら、さっきから何しとるんよ。あんま、調子こくんじゃねぇぞ!」


 自分でもよくそんな言葉が出てきたな、と驚いたが、今は、可愛いとか、可愛くないとかそういう基準で動いていない私の勢いを止める事はできなかった。


 だが、そうとは知らず、「可愛い桃華ちゃん」を信じ続けている神楽君は、口をわななかせながら、必死に現状を否定しようとした。


「ダメだよ、桃華ちゃん。そんな汚い言葉遣いをしたら」


 それに続いて、三人組も震えた声を上げた。


「そうだよ。怖い先輩のせいで、どうにかなっちゃったんだよね」

「ぶるるるぅ。そんな桃華ちゃん、見たくないよぉ」

「いつもの可愛い桃華ちゃんでいてよ」


 しかし、私は彼らの幻想をことごとく打ち砕いてやる。


「うっせぇよ!何が可愛いじゃ、バーカ!アンタら、気持ち悪いんだよ」


 私の怒号のような声に、三人組は思わず縮こまって、情けない悲鳴を上げた。


「はひぃ!」


 しかし、それでもまだ「可愛い桃華ちゃん」を信じ続けようとする神楽君は、果敢にも一歩足を踏み出し、前に出ると、足を広くとり、両手を広げて、真っ直ぐに私を見詰めてきた。


「桃華ちゃん!僕が抱きしめてあげる!全て忘れて、僕のものになるんだ。今ならまだ間に合うよ」


 妙に勇ましい声を張った神楽君の表情は、先程までの冷酷さはなかったが、どこか私を独占しようする歪んだ感情は残っていた。


 そんな感情をぶつけられた私は、動きを止めた。そして、俯き、黙り込む。


 神楽君と三人組は、その動きに私が元に戻り、彼らのもとへ飛び込んでいくという微かな希望を見出したかもしれない。その証拠に、神楽君のやや粗い息遣いが聞こえ、三人組のニヤついた笑い声が、漏れてきた。


 そんなとき、ずっと黙っていた春先輩が、私を心配そうに呼んでいる気がした。


——桃華。


 私はその呼びかけに、俯いたまま、小さく答える。


「大丈夫。私は、大丈夫・・・・・・」


 誰にも聞こえないような小さな声だったが、私はきっと心配してくれているだろう春先輩には、届いたと思った。


 それから、私は顔を上げ神楽君を見詰めた。最初は、ニッコリ笑ってやると、神楽君は安心したような表情を浮かべ、「さあ、おいで」と甘く囁いた。だけど、今の私には、その甘い囁きが、吐き気がしそうなほど気持ちが悪い。


 だから、今度はなるべく憎しみを込めた表情で睨みつけてやった。その顔を見て神楽君は、「えっ?」と、声を漏らした。しかし、私は、その先の言葉を待たずして、右足を地面から浮かせると、支持面を広くとるために開かれていた神楽君の股を目掛けて蹴り上げた。


 神楽君の股にめり込む私の足先に、妙に柔らかい感触が伝わり、今まで聞いた事のない音がした。そして、股を蹴り上げられた神楽君は、今までに聞いた事のない声を上げた。


「ォォォォ———ッ!!!」


 悶絶し、青ざめていく神楽君。その様子を見ていた三人組も、蹴られてはいないが、痛みを共有するように、青ざめ、股間を抑えた。


 そんな彼らに対し、私は追い打ちをかけるように、言葉をぶつけてやった。


「行くわけないだろ!バーカ!」


 罵声を浴びた神楽君は、股を抑えつつ、一歩、一歩とゆっくり後退ると、青い顔をしたまま、声を漏らした。


「こんなの僕の欲しい桃華ちゃんじゃない。何なんだ、コイツは・・・・・・」


 それに続けて、三人組も私から少しずつ距離をとった。


「いやだ。こんなの嫌だ」

「桃華ちゃんって、こんな野蛮人だったのか」

「僕らを騙していたんだね」


 私は少しずつ離れていく彼らに、トドメの言葉を放った。


「さっさと失せろ!バカ!二度と近づくんじゃねぇぞ!」

「ひぃぃ!!」


 今度は三人組に加え、神楽君も情けない悲鳴を上げた。そして、彼らは股を抑えつつ、慌てて向きを換えると、血相をかいて逃げ出した。


 しかし、またもやデブは走り始めに、転んでしまったが、私が一睨みすると、必死にもがいて立ち上がり、過呼吸になりそうな荒い息遣いで、逃げて行った。そうして、彼らは一度も振り返る事無く、堤防の向こう側に姿を消したのだった。


 彼らが見えなくなると、私は無理に張っていた肩を落とし、大きくため息を吐いた。


「ふぅ~・・・・・・」


 すると、張り詰めていた緊張の糸が切れて、吐息と共に流れ出ていったのを感じた。

 

 どうにか隠していたはずの恐怖は再び込み上がり、手が震え出し、しっかりと大地に踏ん張っていたはずの足は力が抜け、今になって蹴り上げた反動でズキズキと痛んだ。それから、私は腰が抜け、へなへなと芝生の上に崩れ落ち、あひる座りになった。


 そんな私に、背後から近づいてくる春先輩の足音が聞こえてきた。


 サクサクと芝生を踏む音。


 だけど、まだ体が痛むのか、そのリズムは不規則で、時折、短いため息が漏れている。


 きっと、春先輩は、地面に座り込んでしまった私を気遣って、痛む身体でどうにか近寄ろうとしてくれているのだろう。


 春先輩はいつもそう。

 自分のことよりも私なんかを心配してくれる。

 本当に損な人なんだから。


 私は、春先輩に心配をかけたくなかったので、なんとか立ち上がって気丈に振舞おうとした。だけど、まだ四肢は震えており、力が入らず、腰は持ち上がらなかった。


 私は立ち上がるのを諦めて、代わりに座ったまま、身体を春先輩の方へと向き直すと、出来るだけ、元気そうな笑顔を見せた。


「春先輩。見ました?私、本当は超強いんですよぉ」


 とりあえず出てきた言葉はそれだった。


 別に可愛くなくたっていい。春先輩に心配をかけないようにするため、私が無事で、何も傷を負っていない事が伝ればそれでいい。


 だけど、春先輩は、少しだけ微笑むと、心配そうな顔を私に向けた。そして、私と目線を合わせるため、身体を屈め、膝をつくと、優しく一言だけ発した。


「大丈夫か?」


 さっきまで、鋭く神楽君たちを睨みつけていた目とは思えない程、今の春先輩の目は優しかった。なんだか、強がっているのも、今まで可愛く偽ってきたのも、周りを不幸にしてきたのも、春先輩には全部お見通しだったみたいな感じがした。


 だけど、せめてもう一つ嘘をつくとしたら・・・・・・、春先輩を騙せるとしたら、私は大丈夫と言い張って、先輩に心配や迷惑をかけたくない。

 

 そんな思いで、私は必死に元気な笑顔を保ち続けようとした。


「何言っているんですかぁ?大丈夫に・・・・・・きま・・・・・・って・・・・・・」


 だけど、言葉は途中で詰まり、出てこなくなった。


 今度は恐怖で喉が塞がれたのではない。春先輩の優しい言葉で、その心遣いで、私を支配していた恐怖が溶け出して、代わりに安心感で包まれたのだ。すると、我慢していた感情が急に溢れ出し、涙となって流れ出てきた。


「本当は、怖かった・・・・・・。でも、春先輩・・・・・・あんな、酷い事されて・・・・・・、ごめんなさい・・・・・・。私のせいで・・・・・・ごめんなさい・・・・・・」


 涙は拭っても、拭っても留まる事を知らず、流れ続けた。


 本当ならこんな顔、誰にも見られたくないのに、弱い私なんて、誰にも知られたくないのに、今はそんな事を考える余裕もなく、私は泣き続けた。


 そんな私を見て、春先輩は、慰めるわけでもなく、ただ頭をそっと撫でてくれると、また一言だけ言った。


「ありがとう」


 たった一言だけだったが、乾いていた私の心が潤っていくのを感じた。そして、頭から伝わる春先輩の手のぬくもりが、とても懐かしかった。


 最後に頭を撫でてもらったのは、いつだろう。



◆◇◆◇


 

 私には五つ年の離れた姉、希乃華ののかがいる。


 姉の希乃華は、背が高くって、スタイルが良くて、頭が良くて、誰からも愛された。一方の私は、背が低くって、ぽっちゃりしていて、頭も悪くて、小さい頃から、よく姉と比較されていた。


「希乃華ちゃん、可愛い」

「希乃華ちゃん、すごい」

「希乃華ちゃん、また一番だったのね」


「桃華、早くしなさい」

「桃華、お姉ちゃん見習ったら?」

「桃華って、ホント、ダメな子ね」


 そして、私は子供ながらに思っていた。


 姉の希乃華が上で、私は下なんだと。


 姉はいつも新しい物を与えられるが、私はいつも姉の使い古し。

 姉の周りにはいつも人が集まっていたが、私には誰も見向きもしない。

 姉は華やかで幸せだが、私は惨めで不幸。


 そのせいか、私は小学校に入った頃から、人に褒められたい、認められたい、という欲求が強くなっていった。だから、どうすれば褒められるのか、どうやったら認められるのか、必死に考えた。


 まずは身近にいた手本のような存在である姉を真似る事にした。しかし、当然のように上手くいかなかった。私は、姉のようにスタイルは良くないし、頭も良くなかったから、姉と同じ事なんて出来るはずがなかったのだ。


 そうして、私の欲求が満たされない日々が続き、自分は誰からも認められていないという恐怖に陥っていた。

 

 しかし、小学五年生のとき、転機が訪れた。

 ある日、私の体操着が盗まれてしまうという事件が起こったのだ。


 私は、体操着がなくなった事に気付いたが、すぐには声を上げず、黙っていた。誰かに言っても、何もしてくれないし、母にバレると、怒られると思ったからだ。しかし、翌日になってクラス委員長の女子が、こっそり私のところになくなったはずの体操着を持ってきた。


「ごめん、昨日、間違えて持って帰っちゃったの」


 体操着は、盗まれたのではなく、彼女がうっかり持って帰ってしまっただけだった。当然、悪意なんて微塵もなかっただろう。しかし、私はその出来事を利用することにした。


 私は、体操着を受け取った後、彼女が私に嫌がらせをするために、体操着を盗んだと騒ぎ立てた。


 そんな騒ぎを聞いたクラスメイト達は、始めは半信半疑だったが、真面目で意外な人物が犯す罪というものは、皆、面白がるもので、私の嘘は次第に広まっていき、いつしか皆、それを信じるようになった。


 更に、その嘘は噂となって、独り歩きを始めると、事態は当初よりも更に大きくなっていった。


 クラス委員長だった彼女は、日ごろから私に陰湿ないじめをしていたという事になり、私は可哀そうな悲劇のヒロイン、彼女は、意地悪な悪役へと立場が変わっていった。


「桃華ちゃん、大丈夫?」

「桃華ちゃん、可哀そうに」

「うちら、友達だから、いつでも相談してね」

「まさか、委員長があんなことするなんて」

「ホント、最低な奴だよね」


 そうして、私は何の罪もないクラス委員長の女子を陥れ、自分の地位を上げた。

 皆が私に注目し、皆が私の言葉に耳を傾けた。


「みんな、ありがとぉ。でも、私はもう大丈夫だから、あの子もあまり責めないであげて」


「桃華ちゃん、被害者なのに優しいね」

「桃華ちゃん、偉いね」

「桃華ちゃん、可愛いね」


 私は、皆から存在を認められたのだと錯覚し、悲痛な表情を浮かべるクラス委員長の女子をみて、甘美な優越感に浸った。


 なるほど。他人を蹴落とし、自分の地位を確立すればいいのか。そうすれば、皆が私を認めてくれる。皆が私に共感してくれる。皆が私を褒めてくれる。


 その一件以来、私は自分の生き方を変えた。

 自分の心を満たすため、他人を蹴落とし、不幸にする。そうしないと、私が不幸で、惨めだと思ってしまうから。


 そうして、私は、「可愛い桃華ちゃん」というキャラクターを演じるようになっていった。


 だけど、今日、神楽君たちに襲われて、春先輩に助けられて、ようやく分かった。

 他人を蹴落とし、陥れても、私の心は満たされないし、潤わない。だって、そんな事では何も得られないし、そういうことをしている私が、惨めで、不幸だから。


 だったら、私が欲しているものはなんなの?

 人に認められたい、褒められたい、その欲求自体が嘘なの?

 私の心は、どうやったら満たされるの?


 それは、きっと、さっき春先輩に「ありがとう」と言われ、頭を撫でられたときに感じた懐かしさが答えなんだと思う。


 私の行いが誰かの役に立った時、誰かの心を動かした時、そんなときに送られる優しい言葉「ありがとう」。その言葉を私は聞きたかったんだと思う。


 そして、頭を撫でられたときの懐かしさは、幼い頃、亡き父に撫でられた事を思い出させた。運動が苦手だった私は、運動会のかけっこで、最下位になった。だけど、父は怒る事はなく、ただ「よくやったな」と言って、頭を撫でてくれた。そのときの私は幼かったから、それがどういう意味なのか分からなかったが、今なら分かる。それはきっと、結果がどうあれ、私が必死に走って、頑張っていた事を認めてくれたのだと思う。


 やっぱり私は、誰かに認められたいんだ。

 

 だけど、今までのやり方では、それは叶わない。

 誰かを蹴落とすのではなく、自分を磨いて、努力して、誰かに感動を与えた時に、初めて感謝と承認が送られるのだ。


 きっと春先輩は、初めから私の偽りに気付いていた。

 私が周りを蹴落とし、見下している事にも気付いていた。そして、そんな私の心が不安定だった事も・・・・・・。


 だから、いつも「大丈夫か」と聞いてきたのだ。


 春先輩は、そんな裏表がある私に、優しさを以て接してくれ、「可愛い桃華ちゃん」ではなく、惨めで、不幸な「金剛内桃華」を認めようとしてくれたのだ。


——大丈夫。お前は、不幸なんかじゃない。


 なんだ。私の求めていたものは、すぐ近くにあったんだ。

 誰にも認められていないと思っていたけど、こんなにも近くに、私を認めようとしてくれる人がいたんだ。ただ、それに気付かなかっただけだったんだ。鈍感なのは私の方だった。

 

 涙はいつの間にか止まっていた。

 そして、涙を拭っていた手を今度は胸に当ててみる。

 心はとても穏やかだった。

 あんな怖い事があったのに、私の心は満たされていた。


 それから私は、可愛い顔ではなく、穏やかな顔で春先輩を見た。


「・・・・春先輩」

「ん?なんだ?」


 春先輩は、相変わらず優しい表情をしていた。


「救ってくれて、ありがとうございます」


 しかし、春先輩はかぶりを振った。


「いいや。助けてくれたのは、桃華の方だろう」


 だから、私もかぶりを振って答えた。


「ううん。救ってくれたのは、春先輩です。ありがとうございます」


 私は春先輩が、神楽君たちから守ろうとしてくれた事だけに対して感謝したのではなく、こんな私の傍にいてくれた事に対しても「ありがとう」と言いたかった。

 

 そんな思いが伝わったのか、どうか分からなかったけど、春先輩はそれ以上首を振る事はなく微笑むと、立ち上がって、私に手を差し伸べてきた。


「立てるか?」

「はい。立てます」


 私は春先輩の手をしっかり握ると、脚に力を入れた。そして、春先輩は、私の動きに合わせて、手を引くと、軽々と立ち上がらせてくれた。


 私が立ち上がると、春先輩は握られた手をすぐに解こうとしたが、私は強く握り返し、しばらく手を離さなかった。


「・・・・・桃華?」


 そんな私の顔を春先輩は、不思議そうに覗き込んできた。


 しかし、私は、顔を見られないようにと、少し俯くと、ふぅっと短く息を吐いた。そして、胸の中で「大丈夫」と、自分に言い聞かせて、再び顔を上げ、春先輩の目を見詰めた。


 不意に見詰められた春先輩は、照れくさいのか、少し頬を赤らめた。


「何だよ」


 春先輩は照れくささを誤魔化すように、不愛想にそういうと、目を反らそうとした。だから、私はその前に、お腹に力を込めて言葉を発した。


「私、春先輩が好きです」

「え・・・・・・っ?」


 春先輩は反らそうとしていた目線を私に戻すと、私の言葉が理解できなかったのか、唖然とした表情を浮かべた。そして、私の言葉を少しずつ理解していくと、頬の赤みを徐々に顔全体へと広げていき、最終的には耳まで真っ赤になった。そこまで来ると、完全に理解できたようで、動揺した様子で震えた声を発した。


「も、も、も、桃華。な、何を、言ってるんだ」


 私は、そんな春先輩を見て、クスッと笑った。そして、今度は可愛く上目遣いをして、微笑んだ。


「なぁんてね。冗談ですよ。それに春先輩には、花咲先輩がいますもんね」

「な、何で、花咲なんだよ」


 春先輩は、花咲先輩の名前を聞いて、更に落ち着きがなくなり、顔の赤みをより一層強めた。


 私は、元々、花咲先輩から春先輩や水樹先輩を引き離そうとしていた。私よりも可愛くない彼女が、私になびかなかった春先輩や水樹先輩になぜ求められるのか、分からず、それが気に入らなかったから。


 だけど、今ならなんとなく彼女の魅力が分かる気がする。


 不器用で、臆病なくせに、刺々しい。だけど、彼女には人を騙そうとか、人を陥れようとか、或いは、人より上の立場になりたいとか、そういう傲慢ごうまんとも言える感情はない。ただ、真っ直ぐに春先輩が好きで、素直な彼女は美しく、今の私では、まだ彼女に及ばないと、さえ思ってしまう。


 だから、私の想いはまだ胸に仕舞っておく。いつか、私が素直になれるそのときまで。


 私は、まだ顔が赤い春先輩の手を離すと、軽々しく、飛び跳ねながら数歩先に進み、振り返って春先輩を見た。


「センパイ。私を振ったんだから、ちゃんと、花咲先輩に告白して下さいよね!」


 私はそう言うと、再び春先輩に背を向け、コミュニティセンターへ向けて歩き始めた。


「なんで、そうなるんだよ」


 春先輩は相変わらず顔を赤め、小走りで私の後を追った。


 こうして、梅雨入り前の最後の週末は過ぎて行ったのだった。

ここで、桃華編は終わりになります。

次話からは、花咲姫子のお話が中心になる予定です\( 'ω')/

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