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「お嬢んとこ、いなくてよかったわけ?」
酒場に入ると、久しぶりだというのに挨拶の一言もない男にも、エンディーンは無表情を返した。今さら再会を喜ぶような間柄でもなかった。
「一日中張り付いている必要はないだろう」
様々な危機感により、ジュリアスがサイロン家に私兵を割いてくれている。
『我がクラウド家の名において、リトルセ殿をお守りする』
その言葉を、彼はまだ忠実に実行しているのだ。
詳細は伏せたまま、婚約者が体調を崩しているという話は王城にも伝えられており、今日は仕事も早々に切り上げたカリスが付き添っている。
彼とリトルセが和やかに会話をしている場面すら見たくない―――そんな醜い嫉妬に苛まれたくはなかった。そもそも主君と認めたリトルセにそんな感情を抱くことすら恐れ多く、愚かなことのはずだ。
(何があってもついていくと決めたのだ)
生命ごと、エンディーンはリトルセのものなのだから。
「んで? 聞きたいこと、あるんでしょ……ってまあ一つしかないだろうけど。まず、イデアのことはとりあえず解決だろ」
彼―――カイゼの街の新領主であるはずのミントは、その身分らしからぬ格好が板につき、下町に慣れた気安い口調でエンディーンに杯を手渡す。
「だが、まだ生きている」
そして、本来ならカストゥール王の手に戻るはずの剣『黄昏』も奪われた。呪われた剣を用いても、あのイデアという鬼神には惨敗だったという事実は、エンディーンにとって悔恨しか残さなかった。
イデアには誰も、敵わないのだろうか。
「ま、あれ使って自分がまだ生きてるだけいいんじゃないの?」
ミントは呪われた剣のことを知っているはずだった。エンディーンが生きているということは犠牲者が別にいるはずなのだが、それについて尋ねることはなかった。セインのことはミントも知らない。興味もないだろう。
「聞きたいのはそんなことではない」
「わかってるって。せっかちだなあ」
ミントは杯を持ち上げて、まるで美女に口づけるように柔らかく、少量を含む。
ゆっくりと味わって嚥下してから、唇を舐めた。
だが、わざと焦らすような態度にも、エンディーンはせかされたりしなかった。
「お前がリトルセ嬢のために裏で動いてんのは知ってるけど、今回こそは何もしないほうがいいと思うよ。というかできない」
いつもどおりの軽い口調だったが、騙されない。
「あの女は見つからないのか」
前領主でミントの父でもあるクイードと取引をしていた女。クイードを問い詰めても偽名しか知らず、こちらからの連絡の取り方もなく、無駄だった。
エンディーンはユティアたちと出会う前から、ミントを情報源としてサイロン家の実態を探ってきた。リトルセに害なすものを選別するためだけに。
「裏で調査させているんだけどねぇ。なぜか密偵たちは首を切られて殺されてさぁ。ホント痛手だよ」
首狩り……それはイデアの手法だが。
「まさか、違うだろうな……。そういえば、イデアは人探しをしているようだったが」
共通点があるとは思えない。だが、イデアは『黄昏』のほかに目的があるような言い方をしていたのを、エンディーンも薄れる意識の中で聞いていた。
(―――それがユティア殿なのか)
彼女もあの場にいたはずだったが、イデアは気づかなかったのだろう。シオンの魔道で身を隠していたのかもしれない。
「人探し? またずいぶん無茶なことをイデアに頼むやつもいるんだな」
ミントは冗談でも聞いたかのように笑った。実際、たしかに冗談としか思えない。
イデアは物や人、情報などに関心がない。探索には不向きだ。それでも『黄昏』はおそらく彼にしか回収できなかっただろうから、それはわかる。
だが、人探しとなると、イデアは余分に苦労するかもしれない。
邪魔をするすべてを殺して奪い取ることのできる『物』とは違い、探し人を生かして、持ち帰らなければならないのだから。
(それでもイデアに依頼したということは、その人物もイデアでないと『回収』できないということだ)
ユティアの周りにいる二人の護衛はたしかに超一流だが、ユティアという存在は、イデアでなければならないと思わせる条件を満たしていないような気がする。たぶんまだ、エンディーンも知らない情報がいくつもあるのだ。結論付けることはできない。
それにあの少女の魔道力は未知数だとも聞く。
「そういえば、その女はユティア殿を狙っていたとか」
「あぁ、俺はそれ見てないからよく知らないけど、女がトゥリードに命じたらしいよ」
実の弟の悲劇を、ミントはまるで気にしていない態度を取る。気遣われたくないだろうから、エンディーンも聞き流すことにした。
「ん~、やっぱり手がかりがありそうでないねぇ」
「だが少なくとも、密偵を殺したのはイデアではないだろう」
密偵がイデアの邪魔をするとは思えず、自分を探っているわけでもない密偵をイデアが邪魔だと思うはずもない。
「その女が返り討ちにしているのだろうか……」
「どうだろうね。あるいは協力者がいるのかも」
「排魔とつながっているのはたしかなんだろう?」
カストゥール王国や魔道使いを嫌悪するその集団は、背後に強力な指導者がいるのだろうとは思うのだが、実際に街で扇動しているのは、おそらくその指導者の虚言に惑わされて賛同した、一般の民たちだ。彼らにミントの雇った密偵を返り討ちにする力などありはしない。
「その怪しげな集団をもうちょっと調べてるとこ。……どちらにしろ、ここまで何も掴ませないような玄人を相手にするのは無謀かもねぇ」
「イデアよりたちの悪い相手などいるか」
とはいえ、不気味な存在であることはたしかだ。エンディーンも迂闊なことはできない。
ユティアの誘拐をトゥリードに依頼したというその女は、領主がミントになってからカイゼには現れていない。それゆえ、どこにいるのか見当もつけられない。ユティアを狙った理由もわからない今、被害がいつリトルセに及ぶかもしれず、エンディーンはこうしてミントと連絡を取り合っていた。
カイゼの状況に嫌気が差し、放浪生活を長く続けていたミントは、様々な地域、職業、階層に繋がりを持ち、それが情報収集を支えている。王都サルナードでリトルセのためだけに行動していたエンディーンには持つことのできなかった縁である。
「関わんないほうがいいよ。せっかく貰った生命でしょ? 無駄にすることないんじゃないの?」
あっけらかんとした口調だったが、彼の瞳だけはもう笑みを浮かべていなかった。
貰った生命―――その言葉が容赦なく決意を崩してしまいそうになる。
セインなら……どういう行動を起こすだろうか。ふとそう考えながら、エンディーンは杯を持ち上げた。
「リトルセ嬢をこれ以上哀しませることないし―――って、あぁそうか、クラウド家がいるもんなぁ」
知り合ってからの年月も浅く、何度も会っているわけでもないのに、ミントはエンディーンの無表情を正確に読み取る。
「お前さぁ、なんで冷徹非道なんて言われてる氷華の君が、お嬢を助けるのか疑問に思ったことはなかったわけ」
確かにクラウド家は、エヴァン王国で王家に継ぐ権力と財力を持っている。サイロン家もかつてはそれに並ぶ名門貴族だったかもしれないが、不祥事のあとは末端の取るに足らない家でしかない。多くの財産も没収されたと聞くから、街の裕福な大商人のほうが財力はあるのかもしれないと思うほどだ。
だが、クラウド家は―――というよりもジュリアス個人が、主亡きあとのサイロン家のすべてを支えた。
没落貴族を救ったところで、彼に損はないかもしれないが、得があるとは到底思えないのだ。体裁を取り繕うとか、恩を売るとか、そういった低俗なことをジュリアス=クラウドが考えるはずもない。
それをエンディーンもよくわかっていた。だから、ミントの言葉に何も応えられなかった。
疑問がないといえば嘘になる。
かといって、あるといえばその先の懸念を口にしたも同然だった。
「なぁ? サイロン家の前当主夫妻の顔はおれも知ってるけどさ、どっちも金髪じゃないんだよね」
「………………」
エンディーンはリトルセの両親を知らない。
だが、焦茶色の髪をした男女の小さな肖像画を、リトルセの部屋で見たことがある。彼女はそれを大切にしまっていて、たまにしか取り出さなかった。
エンディーンは深く呼吸する。
「―――だからなんだ?」
冷静な声で。
「私には関係ないことだ。リトルセ様はサイロン家の御息女で、唯一の生き残りだ」
そしてそんな彼女を守るのが、エンディーンの役目だった。
「……あっそ。それなら俺が今から何を言っても、冷静に対処しろよ」
「―――なんだそれは」
含み笑いは珍しいことではないが、そんな回りくどい言い方がらしくないような気がして、エンディーンは眉根を寄せた。
「実はさ、一つだけ気になってるんだよね。その女について、さ……」
ミントはあくまで可能性の一つだと前置きした。




