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 たいていの恐怖には、もう慣れているつもりだった。

 何も見えない闇夜も、身体に注がれる冷たい雨も、何日も続く空腹感も。

 盗みをして追いかけられたり、差別の眼差しを向けられたり。

 どんなことにも、一人でじっと耐えてきたつもりだった。

(けれど、こういうのは嫌だ)

 金持ちの男たちが何人も、じろじろとこちらを見ていた。誰もがじゃらじゃらと、見せびらかすように宝石を身に着けていた。あの指輪ひとつ、売ればきっと一ヶ月は生き延びられるのに。

 木でできた窮屈な箱の中。けれどそれが、いまの世界のすべて。ここに閉じ込められてもう何日たったのか、数えるのをやめた。

 逃げたい……けれど、もう疲れてしまって、そんな気力もない。こういう人たちに捕まってしまったときから、もう諦めるしかなかったのだから。

 男たちの視線から目を逸らすのが精一杯で。

 最後の、悪あがき。

 もう、にらみつけてやるだけの力も絞り出せなくて。

「これはいくらだ?」

 背の低い太った五十代の男が、あごで示したのが自分なのだと、薄暗い中でもわかった。ほかの多くの子供たちもいっせいにびくりと肩を震わせたが、指されたのが自分でないことに気づいて安堵の雰囲気が流れる。

(どうせだれも、助けないし)

 我が身だけで精一杯。

「こんなひょろひょろした男の子でいいんですかい?」

 帽子を深く被った痩せ型の男が、薄く笑いながら木の格子に手をかけた。これは、子供たちを現実から隔離する境界線だ。この中にしか、自分たちの未来は入っていない。

 いや、この中にすら、未来なんてない。

 そんなものは、この世界のどこにもない。

「……」

 静かに息を吐いた。

 本当は女の子だと言いたいけれど、働き手にならない女の子は売れないからだめらしい。身なりがよければ娼婦にでもするんだがな、とぼやくのを何度も聞いた。娼婦の意味はよくわからなかったけれど。

「使い捨てにはちょうどいいだろう」

 髪の毛のほとんどない男の後頭部に、後ろの壁にある灯篭の薄い光がゆらゆらと映る。

 格子を開けられて、出ろと命じられた。逆らうことはできず、立ち上がったらふらりと立ちくらみが襲ってきた。段差につまずいて転んでも、誰一人として手を差し伸べなかった。

 頭上から呆れたような声だけが降り注ぐ。

「なんだ、食べてないのか」

「はあ、すみませんねぇ。こちらとしてもあまり余裕がないもんですから」

 ここでは自分で盗まなくても食べ物が出てくることは、唯一ありがたいことだった。たとえそれが、誰かの残飯だったとしても、一口で終わりそうなほどの量だとしても、毎日一回、自分で探さなくても食べ物は勝手にやってくる。

「まあいい。名前はあるのか」

「おい、名前はなんだ?」

 帽子の男は、そんなことも知らずに何日も食べ物を与え続けていた。こうして売り払うためだけに。

「……ユ、ティア」

 乾いた唇で、なんとか名前を口に出した。素直に答えなければ、また鞭で打たれるだけだ。食べ物をもらえる代償に、自由がなくなった。

 だのに、こちらのほうがましだと思えるのは、生きたかったからだ。

 みっともなくても、本能がそう訴える。

 自由が、この空腹を満たすことは永遠にない。

「女みたいな名前だな。歳は」

「じゅ、十……さい……」

 本当は十二歳だったが、そう言えと命令されていた。歳が若い方が高く売れる。背も低く、痩せすぎているからそのくらいには見えるという自覚はある。

「まあまあ、お安くしますんで」

 そう言って帽子の男が提示した金額は、安い宝石も買えないような値段。そんな価値しかない。

 太った客はその金額に満足し、すぐさま支払った。いとも簡単に。

(あれがわたしの、価値)

 十歳の男の子。

 偽りだらけの経歴で、売られていく。

 自由のない檻から、また自由のない檻へ。

 場所だけが変わっても、この身を置く状況は変わらなかった。

 幌のない安っぽい馬車にユティアは乗せられた。どこに向かうのかもわからなかったが、格子から出てきた外では、久しぶりに見る太陽が頭上高く、輝いていた。

 薄暗い場所にいたユティアには、眩しすぎる光だった。


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