黒い塔と三人の同期(下)
3.真面目ド真面目、不器用眼鏡
「…承知いたしました。ティール様。ご不在の間、各部門への主な指示は私にお任せ下さい。こいつらにもたっぷり働いてもらいます」
そこへ、これ以上のやり取りは必要ないと判断したのか、テリオンの低い声がピリオドを打つ。「助かる」と表情を変えぬまま頷くと、紅茶のカップが空になったティールのティーカップにシエルがすぐさまおかわりを注ぐ音が響き、香りのよいあたたかな湯気が立ち上る。彼女はそれを満足そうに肺に収めてから口をつけた。
「ちょっと待った!俺は執行部門だけで手一杯だからな。やるならリアーネに回せよ」
「執行部門を全部ユーリス君に任せても良いなら…私ができそうなのは教育部門くらいでしょうかねぇ。情報部門とか財政部門なんて、さっぱりですし~」
口元に人差し指を当てて首をかしげるリアーネに、ユーリスから「全部…?」という声がわずかに漏れたが、こちらも聞かなかったことになるのであろうことは明白だった。
「お前たちの得手不得手などとうに理解している。安心して死ぬ気で働け」
「言葉の矛盾がすごいですテリオン様…」
こうして、シエルの心ばかりのつっこみで会議は終了となった。
その後、まだ残る紅茶のおかわりを飲み終えた三人とティールは、本格的な仕事の引継ぎ作業に入った。書類を分け、各担当分野別に配分、各部門の上級執行官一人ひとりへの指令書類諸々…主にティールとテリオンが先導して行われた仕事はスムーズに進み、ユーリスとリアーネは与えられた仕事をもってそろって執務室を出て行った。
「相変わらず騒がしい連中だ……まったく、いつになったら落ち着くのか」
ぶつぶつと、口から零れる毒。昔からそうだが、このテリオン・アストロイズという男は本当に頭が固く真面目で、厄介なようで、真っすぐな男だった。
それこそ矛盾という言葉が頭をよぎるが、ティールからすればこの男は大変優秀な駒であり、不器用な友人である。
今もこうしてガリガリと羽ペンを高速で動かしながら毒を吐いて作業をし、どうすればあの二人や他の部門の執行官に負荷がかからないように、この組織を回せるのかを頭の中で考えているのだから、これは見習うべき点である。
「どうだろうな。あの二人が静かになってしまえば、案外寂しいものかもしれないぞ?」
テリオンとは異なり、さらさらと滑らかな動きをするティールの羽ペンがピタリと動きを止め、承認のサインを書き終える。
「寂しい!?馬鹿な!!そんなわけがないでしょう!?」
信じられない!と心からの驚愕と絶望の表情を浮かべたテリオンの整った顔立ちに、深くしわが刻み込まれて彼が激昂する。あまりにも大きな声に、グレイが一瞬驚いて目を見張る程度にはなかなかの声量だった。先ほどまで粛々と話を進めていたあの男の冷静な雰囲気はどこへ行ってしまったのか。
「…時折こうして、お前もだいぶ賑やかだがな」
ティールの青緑色の瞳が細められ、微笑んで言えば、そこには完全にからかう側とからかわれる人間の空気が漂っていた。
ここ数日、重苦しかった雰囲気がこの不器用で真面目な男のおかげで幾分か和らいだ気がする。
「くっ!!からかうのはお止めいただけますか…ッ!」
バッ、という効果音が文字で見えてきそうなほどに首を机へ向け直したテリオンの耳が、真っ赤に染まっているのは本人は気づいているのだろうか。
これが、テリオンという実に面白い男である。
4.決意
夕刻。
西の空が赤みを失い、濃紺の夜が僅かに垣間見えるマジックアワー。
仕事を終えたティールは、三人の友人に見送られて執行官組織の本部である黒い塔の前で別れを告げた。
「じゃ、頑張れよ。手に負えなくなるような事態になったら、遠慮なく連絡してくれ。ほかの任務放ってでも迎えに行くからな」
ヒラヒラと手を振って言ったユーリスの深みのある緑の髪が風に揺れる。こういう事をサラッと言えるのは彼の美点だろう。女性からの支持が厚い事を彼は知ってか知らずか、彼がこの姿勢を曲げたことは昔からなかったな、とティールは小さく頷いてそれに応えた。
「あらぁ?ユーリスくん、それは職務放棄宣言ですか?うふふ、そんな事になる前に、ティール先輩ならぱぱーっと片付けられますよ〜………ね?」
「そうであることを願うよ」
最後の「ね?」という音に、妙に悪寒を感じ、シエルが腕をさする。彼女の言葉が妙に不安を煽るのは、気のせいだろうか。「これがフラグ…?」と呟いたシエルの言葉を「よせ。縁起でもない…」と同じく悪寒を感じたグレイが言葉を絶った。
リアーネの純白の執行官服が薄暗くなってきた世界のなかでも異様に目立つ。漆黒の執行官服が可愛くない、という理由で純白を纏う彼女はいつも穏やかで、場の空気を和ませてくれる。時折、というよりまあまあの頻度で突拍子もない事を言うが、それが的を得ている事もしばしばあるのだから、本当に不思議な女性だと思う。だが今回ばかりは、この不穏な空気が思い違いであって欲しい。
「……ご無事のお早い帰還を、お待ちしております。ティール様。シエル、グレイ殿。頼みましたよ」
リアーネと反して全身濃紺と黒のテリオンは、鋭い視線を向けて言った。彼の言葉は本当に守ってやらねばならない。でないと再び執務室に屍が誕生してしまうことだろう。
「お任せ下さい、テリオン様!ティール様は私とグレイさんでしっかりとお守りします!」
「全力を尽くします」
姿勢を正した二人に、テリオンが頷いて応える。
「ふむ…心意気は認めよう。私を守ろうなど50年は早いがな」
「いや、そこは普通にありがたく思って終わろうぜ」
五人の、大きさは違えど、穏やかな笑い声が響く。
出立前の引き継ぎは、こうして無事に終わった。あとは迅速に調査を終え、帰還するのみである。
すっかり夜の帳の降りた空を背に、三人は屋敷へと並んで歩き出したのだった。




