第5話『高校生だけど、彫像に追いかけられて謎の世界に飛び込んだ件』
広間に、不吉な軋みが満ちた。
音の発生源を探して顔を上げた瞬間、直の心臓は跳ね上がった。
――動いている。
最初に気づいたのは、うずくまる男の像だった。
抱えていた膝の位置が、ほんのわずかに低い。
次に、空を仰ぐ女神の像。その腕が、先ほどより角度を変えている。
そして――
泣く子どもの彫像。
完全に、目を開けていた。
「……っ!」
直は反射的に後ずさった。
彫像たちは、一斉に動き出すわけではなかった。ただ――少しずつ、確実に位置を変えていく。
歩く音はない。
だが、動いた痕跡だけが積み重なっていく。
やがて直の周囲には、円を描くように石像が集まり始めた。
「ふざけんな……!」
直は踵を返し、広間の奥へと駆けだす。
だが、走っても走っても、出口は現れない。
それどころか――振り返れば、彫像の列が音もなく追ってきている。
老いた男の顔が、笑ったように見えた。
女神の口元が、わずかに開いた。
泣いていたはずの子どもの瞳が、真っ黒に濡れている。
「やめろっ……来んな!!!」
叫んでも、返事はない。
ただ、無音の群れが直を取り囲もうと迫ってくる。
足音が吸い込まれるような静寂の中、ひとつだけ異質な音が混じった。
――カツン……カツン……
乾いた靴音。
石の軋む音とは違う、確かに“人間”の歩く音。
それは、広間の奥の闇から、こちらに近づいてきていた。
直は息を呑み、足を止めた。
カツン……カツン……
――カツン、カツン。
乾いた靴音が、広間に響いた。
直は動けなかった。
彫像たちが無音で迫る中、その異質な音だけがやけに鮮明で、血の気が引いていく
光を背負って現れたのは、あの男だった。
美術館の絵から抜け出した、あの得体の知れない“男”。
「――お前……」
直の声は、かすれた。助かった、という安堵はなかった。ただ、別種の恐怖が重なっただけだ。
彼は、こちらを一瞥した。
(……こいつも、状況わかってねぇのか?)
だが、彫像たちは待ってくれない。
泣き顔の子ども像が、直の足首に指先を伸ばした。
ひやりとした感触が、肌を撫で――
「っ――!」
その瞬間、直の視界が跳ねた。
男の手が、強引に直の腕を掴んだからだ。
指は驚くほど冷たく、骨ばっていて、握力は鉄のように固い。
「な――」
問いかけは最後まで出なかった。
男は何も言わず、ただ直を引き寄せ――自分たちの近くにあった絵へと押し込んだ。
「――っ!?」
額縁が視界を覆う。
次の瞬間、世界が裂けた。
絵の表面は固くなかった。
布でもガラスでもない、どろりとした何かが腕を呑み込み、肩を飲み込み、頭を飲み込む。
抵抗しようと足を踏ん張るが、力は奪われていくばかりで――
(――いやだ、やだやだやだ――!)
耳が詰まり、鼓動が爆ぜる。
背後で、彫像たちの軋む音が響いた。
それきり、何もかもが途切れ――
――直は、闇に落ちた。




