見上げれば太陽
俺は積田氷魚凛。グリルボウルの町で生まれた、普通の魔法使いだ。
最近は隣のエンマギアに家を移して、一人暮らしをしているけど……たまには実家に顔を出すことにした。
積田矢羽。俺の母親……みたいな人。その人に会いに行くのだ。
隣町はすぐ近くだ。頻度はかなり少ないが、ヘリという妙な魔導具による定期便が運行しているため、簡単に行き来できる。
「おまちどう」
駅に着く。
近くで安価なバスや物資輸送用のトラックが行き交っている。俺が子供の頃では考えられない光景だ。俺でさえちょっと驚く光景だが、老人たちにとっては衝撃は大きいらしい。急に世の中が動いたからな。
俺は活気のある町を歩く。
ヘリのおかげで山や森を越えた交流が可能になり、ここ最近は田舎とは呼べないほど人が出歩くようになった。
英雄たちに会うべく訪れる行動力の高い貴族。魔法の最先端を知るべくやってくる魔法使い。今は金に余裕のある者たちばかりだが、そのうち誰でもヘリを使えるようになる……かもしれない。
俺は観光客向けの料理屋が並ぶ通りを抜け、まっすぐ実家に向かう。
黒いため、よく目立つ。子供の頃は野次馬がたまに顔を見にきてうるさかったが、最近は町長と地方騎士団たちが取り締まりを行うようになったからか、治安が回復したらしい。
黒い実家の門をくぐると、庭がある。
日本という異世界に『バスケ』という遊びがあるらしく、昔ここに住んでいた飯田という人が再現しようとした痕跡がある。
俺はバスケを知らないけど、残してくれたゴールとボールで、よく遊んだ。良い思い出だ。
魔力鍵に指を触れ、玄関のドアを開ける。
「おかえり……お、氷魚凛じゃん」
入ってすぐのホールに、俺の母さんがいる。
水空調。口調は軽いけど、パンチは重い人だ。
すぐそばには、喋る猫と……矢羽さんがいる。
「氷魚凛くん。どうしたの?」
前触れもなしに帰ってきたからか、矢羽さんは不思議そうな顔をしている。
もう四捨五入すると40になるというのに、ずいぶんと見た目が若い。美容に気をつけているためだろう。シワひとつない。
俺は面食らいつつ、2人がいるソファの前に立つ。
「いや……たまには実家に顔を出せって、志月に言われたんです」
「あの子、たまにフラッと遠出する割に、実家が大好きだからね。……自分の分も親の面倒見てくれってことかな?」
「子供に気にされるほど老いぼれてないよ」
母さんの冗談で、矢羽さんは笑う。
案外元気そうだ。心配するほどでもなかったか。
俺はそっと近づいて、猫魔さんを撫でる。
神の居所まで出張したり、クラスメイトという人たちを助けたりしているらしい。こうしてくつろいでいる姿しか見ていないから、全然そんな気はしないけど。
「氷魚凛くん。好きな人はいる?」
唐突に矢羽さんがあけすけな話を始める。
久しぶりに会って最初にする話ではないだろうに。でもこの人の状況なら、仕方ないか。
「いません」
俺が正直に答えると、矢羽さんはまったく顔色を変えないまま、膝にかけていた毛布をぎゅっと握る。
「ふふっ。まだまだお婆ちゃんにならずにすむみたいだね」
声色や表情はともかく、早くなりたい、という雰囲気が滲み出している。
自分の子供がほしかった。その欲を他人に求めているのだろう。……その感覚はよくわからない。
すると、母さんがわざとらしくお腹を撫でる。
「孫と息子が同じ年頃だと、ややこしくなりそうで困るねえ。まだまだヤるつもりだから、氷魚凛はゆっくりでいいよ」
「品がない親を持つと苦労するよ」
「ひえー、こわいこわい」
反射的に非難してしまったが、きっと母さんは「矢羽さん。欲しい分は氷魚凛ではなくこっちに求めなさい」という意思をこめているはずだ。頭の良い人だから。
それを察したのか、矢羽さんは僅かに笑顔を崩す。
「……調ちゃんにも、氷魚凛くんにも、苦労をかけるね」
自分を責めている。取り繕うのが上手いだけで、やっぱり心が弱っているのだろう。
……取り繕う。家族の前で。なんだか、矢羽さんの弱さが少し見えてきた気がする。
「矢羽さん」
俺はソファから猫魔さんをそっとどかして、そこに座る。
「俺は他人じゃありません。子供でもありません。言いたいこと、ぶつけてください」
俺から見た矢羽さんは、圧のある強い人だ。他人行儀な喋り方は直せそうにない。でも、距離だけは詰めたい。身内だから。
「悩みがあるって、聞いてます」
「……そうだね。言っておいた方がいいのかも」
母さんの顔を見てから、矢羽さんはポツポツと喋り始める。
俺の姉である高嶺さんの力で、子供ができない体質であることが判明した。治療法を模索しているものの、年齢的に間に合いそうにないらしい。
「不妊治療を確立できれば、より効率的に魔力を生み出すことができる。神様たちも乗り気なんだけど、全然目処が立たなくて……」
俺のところとは別で研究をしているらしい。最近保護したという裏儀式も頼っているのだろう。向こうは肉体に変化をもたらす魔法が得意だからな。
俺は不満そうな猫魔さんを膝に乗せる。
「俺は水空調の子ですが、矢羽さんの息子でもあります」
母さんの顔色も窺いながら、俺は宣言する。
「父さんを信頼しているから、父さんを支えてきたあなたのことも信頼しています」
「……そう?」
矢羽さんは涙をポロリと落としながら、同じ猫を愛でる。
「じゃあ、あたしも氷魚凛くんの迷惑にならないように……」
「迷惑でもいいですよ。大人ですから、多少は受け止められます。したいことをしていいんです」
俺は子供が欲しいという感覚を理解できないが、この人が優しいことを知っている。だったら、困った時はお互い様だろう。
矢羽さんはおそるおそる、俺の肩を掴む。
「たくましくなったね……」
俺を赤子の時から知っている人。俺が今くらいの歳の時には、既に子育てをしていた人。
しんみりした様子の母さんの側で、俺は矢羽さんの静かな感慨を、肩で受け止めた。
〜〜〜〜〜
俺はグリルボウルの観光に出ることにした。
矢羽さんの周りには沢山の人がいる。猫魔さんもしばらくは実家にいてくれるらしいので、間違いは起こらないだろう。
「案外、知らない店が多いな」
実家のある町とはいえ、急速に発展している最中だから、入れ替わりが激しい。
最近は他所の貧民や犯罪者を安く労働力として雇い入れて、森の開拓を進めているらしい。志月の生みの親であるサスケさんが監督しているそうだ。
おかげさまで、金持ち向けではない娯楽施設も増えてきている。治安の悪化が懸念されているが。
「こっちは繁華街か……」
風俗店など、少しガラの悪い店が多い。今まではあまり見ないようにしてきたが、世界の発展に寄与する立場上、たまにはこういう場所も見てみないとな。
俺は労働者たちが汗を流す風呂場を目指す。
ちゃんとした場所に行きたいので、外観のセンスが良いところを選ぶ。
「いらっしゃーい」
受付はのんびりとした雰囲気の女性だ。美しいが、男に媚びた外見ではない。そういう風呂屋ではないな。当たりだ。
俺は店の雰囲気を確かめつつ、財布を出そうとする。
……すると、受付の前にいた大柄な男が、割って入ってくる。
「おい、姉ちゃん。無視すんなや」
男は刺青が入った太い腕で、受付の人の顎を掴む。
女性はまるで怯んでいない。マイペースそうな見た目の割に、とんでもない胆力だ。案外、修羅場をくぐってきたのだろうか。
「うちの組が出入り禁止ってのはどういう了見だ」
「ここはそういうお店じゃないのでー」
「混浴だろうがよ。見せつけておいて、手を出すなってのか」
「町では唯一の混浴ですねー。だからこそ、マナーが大事なんですよー。ちゃんと取り締まらないと、潰されます」
「女が口答えするのか?」
「口答えできる世の中ですのでー」
見ていられない。
俺は財布の代わりに魔導書を触り、魔法を放つ。
「『拘束腕:三式』」
魔力が腕に集まり、魔導書の補助を受けて丁寧に形を成し、魔法となる。
元々世界にあった四属性の魔法ではない。神々によってもたらされた魔力制御方法を元に、俺たちが解析して世に出した、まったく新しい系統の魔法。
男は彼自身の体内にある魔力によって、痺れて動けなくなる。
「あがっ!? 騎士団か!?」
「なるほど。労働者だったか」
この魔法を知っているのは、開発した俺たちと、教えた中央騎士団と、その身に受けたことがある犯罪者だけだ。きっと犯罪に手を染めたことがあり、それが原因で困窮してこの町に来たのだろう。
俺は受付の女性に声をかける。
「大丈夫ですか?」
「もう騎士団呼んだから、平気だよ」
受付カウンターの内側に、魔道具の通信装置がある。手慣れているようだ。
すぐさま連れて行かれる男を見届けつつ、俺たちは少し世間話をする。
「おにーさん、ありがとねー。勇気ある人、嫌いじゃないよ」
「出来ることをしたまでです。手が届く範囲は助けたいですから」
俺が信念を口にすると、受付の人は溶けそうな笑みを浮かべる。
「なんだか、あの人みたい」
油断したような、それでいて確かな知性の感じられる笑顔。余裕のある、強い女性だ。
「素敵」
女性はまっすぐ俺を見つめてくる。
感謝の念だけでなく、個人的な好感も混ざっていそうな表情だ。俺の発言に刺さる部分があったのだろうか。
……らしくもなく、胸が高鳴るのを感じる。家に母親が多いため、女性慣れしている方だと思っていたのだが。
「そろそろ風呂を利用させてください」
誤魔化すように話題を変えると、彼女は料金表にさりげなく名刺を添えてくる。
「おにーさん、騎士団の人? またこういうことがあるかもだし、連絡先、教えとくね」
アマテラス。確か、日本の神と同じ名前だ。工藤さんから聞いたことがある。
神に関わる身としては、何かの縁を感じるな。この縁が切れてほしくないとも思う。
「騎士団ではありませんが、関係者ではあります。何かの力になれるでしょう」
俺も名刺を出して、風呂セットをもらう。
名刺を見たアマテラスさんは、不意を突かれたように笑う。
「そっかそっか。不思議なことがあるもんだね」
今にも告白してきそうな雰囲気だ。——そんなはずがないのに、何故かそう思ってしまう。自分の願望が混ざった態度を人に向けたくないというのに。
俺は胸の鼓動がバレないうちに、風呂に入ることにする。
矢羽さんたちもこんな恋を経験してきたのだろうか。そんなことを考えながら。




