9節 氷の使い手
「さぁ、帰ろうか。姉さん」
座り込む世槞に手を差し出す、もう1人の世槞。生人形ではない。その周辺にだけ僅かに雪が残り、十架は、雪と氷の発生源を理解する。
「あ……」
世槞は差し出されたもう1人の自分の手を見つめ、戸惑いながらも自らの手を重ねた。
「うっわ! 突然影人が死んだかと思えば……紫遠じゃん! マジで来やがったコイツ!!」
見慣れぬ子供を横脇に抱えながら、マオがもう1人の世槞の名前を叫ぶ。
紫遠という名のもう1人の世槞は、マオの姿を目視するなり左手に銃を握り、一切の迷いなくトリガーを引いた。
「ぎゃあっ」
照準を合わせられたマオは、次々と放たれる銃弾から必死で逃げ惑う。子供を抱えながらであるというのに、紫遠は容赦がない。
外れた銃弾が岩に当たった時、十架はゾクリとした。何故なら、高さ5メートルはある岩が一瞬で氷と化していたからだ。紫遠が握るクリアな銃は全てが氷で形成され、銃を構成する配線などの類が一切うかがえない。放たれる氷の銃弾は、撃ち込まれた部分から氷が侵食してゆく、恐ろしい武器である。
氷銃アデュラリア――氷を司る梨椎紫遠の専用武器。
「ほらほら、君は自滅願望があるのだろう? ならばこの銃弾へ自ら向かってきたらどうだい!」
紫遠は片手で世槞の手を掴み、一方の手ではマオを本気で殺しにかかっている。生と死の選択を自在に切り替えているのだ。
「お前っ、サディストの極みだな!!」
マオは息を切らせかけている。これは本当に殺される――そう判断した世槞は、氷銃を握る紫遠の手を奪うように掴む。
「ごめんなさい! 全部、私が悪いんだっ……」
紫遠は世槞の表情を横目で流し見た後、手の中にあった氷銃を打ち消した。マオと世槞は同時に安堵の溜め息を吐く。
「良かったね、伊佐薙マオ。姉さんのおかげで命拾いしたよ」
「あ、ああ……めちゃくちゃ感謝する」
この広い世界の、どこにいるかわからない姉を本当に見つけ出してしまった弟は、報復活動を終えた後、世槞の傷の具合を確認する。
「姉さん、触るよ」
「う、うん……」
紫遠が横腹の傷に触れ、世槞は少しだけビクリと身体を震わせるが、後は耐えていた。
「ああ……結構深いね。誰に喰われたの」
「トラ型の影人」
「そいつは今どこ?」
「蟻地獄の中。ウスバカゲロウの幼虫に喰われて、多分、もう消化されてる」
「そう……遅かったか……」
「トラ型を捕まえてどうするつもりだったんだ」
「胃袋を引き裂いて姉さんの肉を返してもらおうと思っていた。消化されてるなら不可能だね」
「怖いこと言うなよ……」
世槞の背後に控えていた羅洛緋は、ずいっと前へ出て、紫遠に対して頭を下げた。
“申し訳ございません、紫遠様。私がついていながら、世槞様のワガママが止められず、結果として深手を負わせてしまうこととなり……”
シャドウが頭を下げ、また「様」を付けて呼ぶのは自分の主人に対してだけだが、羅洛緋だけは何故か紫遠にも同等の尊厳を抱いていた。
「いや、君がいたからこそ、姉さんはこの程度の怪我で済んだ。感謝してるよ」
紫遠は立ち上がり、再び世槞の手を握る。
「じゃあ、帰ろう」
「えっ? 待って。まだ終わってないのよ。生人形師が……」
そう言って、世槞は驚いたようにマオが抱える少年を見た。
「そういえばっ……それ、生人形師じゃないか!」
「そうそう。俺もこんなガキが生人形師だと知ってビックリしちゃってさ。でも黒幕はシャドウっぽいから、ガキの方を攫ってきた」
「めちゃくちゃ怒って追いかけてくるぞ……」
「それが狙いだってー」
しかし待てど待てども、生人形師のシャドウは現れなかった。痺れを切らした紫遠が三度目の「帰ろう」を声に出しかけた時、空人形軍が到着する。
「ねぇ貴方たち。生人形師を知りませんか? シャドウは捕まえたんだけど……」
生人形師のシャドウを拘束した状態で、ウェルンが自身のシャドウであるフランス人形の裂榮から飛び降りる。
“ギーラ!”
拘束されたシャドウが生人形師の名を呼ぶ。ギーラと呼ばれた少年は、母親を見つけた子供のように泣き叫ぶ。
「ブラッディーノぉ……ブラッディーノぉ……」
ギーラはシャドウを求めて両手を伸ばし、マオから逃れようともがく。
「え。ちょっ、止めてくれよ。なんか悪いことした気分になるじゃん……」
ギーラをあやしながら、マオは助けを求めるようにウェルンを見る。
「2人とも無事拘束したようですね。その後の処分については委員会と人形協会が決議するわ」
生人形師とシャドウの身柄は空人形軍に引き渡され、作戦はとりあえずの成功をおさめ、後はシャドウ・システム総本部に帰るだけとなった。
「今度こそ帰るよ」
強くそれだけを願う紫遠だが、世槞はまだ何かを言いたそうだ。
「えっと……その……」
「なんだい」
紫遠が現れてから、世槞は心なしか大人しくなっている。
「紫遠に……会わせたい、人が……いる」
「僕に? 誰もいるはずがない」
「や……それが、いるんだ。とりあえず、マルケイス町まで戻ろう。私たち、そこに宿を取っているから」
宿では、世槞がずっと欲しがっていた母親の死人形が待っている。それは紫遠の母親でもある。世槞は家族にこの喜びを知らせたいのだ。
「ここからは遠いのかい」
「15キロメートルくらいかな」
「じゃあ歩こうか。シャドウに乗って飛行すると、振動が姉さんの怪我に障るかもしれないし」
「ありがと! 来てくれるんだなっ」
この双子による話し合いの結果、ウェルン率いる空人形軍が一足先に生人形師とシャドウを本部に連行することとなり、残った双子と十架、マオの4人はマルケイスまで歩くこととなった。
「つーか……紫遠よぉ、てめぇ、俺の前を歩けよ」
延々と続く砂漠地帯を歩いていた時、先頭を歩いていたマオが突如振り返り、20メートル後方を歩いている紫遠にそう希望した。
「どうして?」
「後ろから狙い撃ちされそうで、始終ヒヤヒヤしてんだよ!」
「おや、ものわかりの良い」
紫遠は右手に氷を発生させ、例の銃を作り上げる。
「だから止めろって!」
」
撃つ、撃たないの攻防戦が繰り広げられる隣りで、十架は世槞と紫遠の双子をぼんやりと観察していた。
「なに? 十架」
視線に気付いた世槞が首だけを十架に向ける。
「いえ……。本当に、そっくりだな、と」
「? そりゃ、双子だし」
だが性格は全く違うようだ。外見だけが酷似した、正反対の奇妙な双子。司っている属性すらも対極に位置する。
「あーあ。結局、良いところはぜーんぶ紫遠が持って行っちまうんだよなぁ」
希望通り、双子を先に歩かせることに成功したマオは、幾分落ち着いた声色で不満を漏らす。
「世槞ちゃんを助けて、王子様の肩書きを紫遠から奪取するチャンスだったのにー」
「なんなのそれ」
紫遠が冷めた目でマオを見る。
「空人形師のウェルンさんが言ってたのよ。紫遠が私の『王子様』みたいだって」
世槞はふざけた口調で言うが、紫遠は真顔で否定する。
「……。僕は姉さんの弟だよ」
「わかってるって。例えば肩書きを『弟』以外にするならって話!」
「へぇ。じゃあ、例えばの肩書きは、姉さんの『夫』に変更してくれない?」
思わず立ち止まった十架の前で、マオが口笛を吹く。
「よ! 出ましたっ。梨椎家名物、紫遠くんのシスコン発言!」
「相変わらずだなー、お前」
ケラケラと笑うマオと世槞は、その発言を冗談として受け止めている証拠だ。しかし十架は発言後の紫遠の表情を見て、それが本気であることを悟る。
マルケイス町に辿り着いた時、あれだけ陽気に笑っていた世槞は緊張の面持ちで弟を宿へ案内した。




