7節 その村では生け贄が必要だった
「しまった!」
走り出すブラッディーノ。
世槞は脇腹から吹き出る血に構う余裕なく、羅洛緋から紅蓮剣フィアンマを受け取って、操られたトラ型を切り裂く。
“世槞様、傷が深すぎます! ここは伊佐薙マオたちに信号を――”
しかし世槞は羅洛緋の助言を無視し、再びブラッディーノを追う。
「そんな余裕はないっ。こうしている間にまた私の生人形を作られたら厄介だろ!」
“世槞様!”
「それに」
地面を蹴って空へと舞い上がり、ブラッディーノの眼前に降り立つ。
「シャドウ・コンダクター1人くらいに手間取っているようじゃあ、私はいつまで経っても弱いままだ!」
守るべき世界がある。守るべき家族が増えた。ならば、強くならないと。
『無茶をすることが正義ではない。自らが犠牲となって勝利を導くことが、正義ではない!!』
――あの時の十架の言葉が脳裏を過ぎる。
「わかってるよ……十架。でも、私みたいに弱いやつは……多少、無茶をしないと強くなれないんだ……」
フィアンマの切っ先を少年の首筋に当てた時、ブラッディーノの動きがピタリと止まる。
“や……やめて……お願いよ……”
「やめない」
“お願い……悪いのは、私なの……ギーラは、私の為に……頑張ってくれただけなの……”
「じゃあ話してくれない? 聞きたいこと、たくさんあるの」
“話したら、見逃してくれるの?”
「それを判断するのは私じゃない」
ブラッディーノは憎しみの目で世槞を睨むも、脇腹から流れる血に気付くなり、質疑に応じる。
「まず、どうして生人形を作った後にモデルとなった人間を殺す?」
“お察しの通り、人間が嫌いだからよ。人間を守り、世界を救うシャドウ・コンダクターの下僕であるシャドウの発言すべき内容ではないかしら? でも事実なの”
「それはいつから続けているの?」
“800年は経つかしら”
「800年も続けているのに、それほど人形が増えた気がしない」
“200年くらい前までは、順調に増えていたのよ。でも、空人形師を筆頭とする人形協会なんかが台頭して来ちゃってね。200年の間にほとんどの生人形が駆逐されちゃったわ。憎らしい”
「800年の間に、何人の生人形師に仕えた?」
“ギーラを入れて7人。どれも素晴らしい主人だった”
「それは、お前のくだらない妄想に付き合ってくれたから?」
“そうよ。くだらなくはないけど”
「じゃあ……どうして、そこまで人間が嫌い? 初代の生人形師と、何か関係がある? それとも、お前のモデルの……」
ポーシャの話を持ち出され、ブラッディーノは歯をギリッと鳴らし、獣のように世槞を威嚇する。しかし少年の喉元に当てがわれた剣が微動だにせず、再びブラッディーノは大人しくせざるを得なくなる。
“その村では、生け贄が必要だったの……”
先程までとは違う声のトーン。世槞は警戒を緩めないまま、ブラッディーノの様子の変化を観察する。
“豊穣を祈っての、くだらない儀式よ。ええ、これこそ、くだらない……。自分の娘を生け贄に選ばれた父親は、娘そっくりの人形を作って村人の目を誤魔化し、娘をこっそりと村の外へ逃がしたわ”
「お前はポーシャの身代わりになったわけか。それで儀式は、成功した?」
ブラッディーノは首を振る。
“いいえ。儀式すら、行われなかった”
「……?」
ブラッディーノは歌うように話す。
“生まれた時、私はすでに成人していた。
生まれた時、私は誰にも誕生を祝ってもらえず、ただ醜い言い争いを見ていた。
生まれた時、私は死ぬことを宣告されていた。
生まれた時、私は自分が生まれた意味を問い始めた。
生まれてから、私は……”
脳裏に浮かぶのは、必死の形相で人形を作る男の姿だ。娘は生け贄となる運命を受け入れていたというに、父親がそれを拒否した。
出来上がった自分そっくりの人形を見て、娘は男を責める。男は、自分の娘の命を救う為にしたことの何が悪いと言う。
嫌がる娘を無理やりに村から逃がし、人形の娘に対し、男は言う。
――今日がお前の誕生日だ。でもね、お前は今日、死ぬんだよ。
人形に力が宿ったのはその瞬間であった。
“私は、人間を憎み始めた”
ブラッディーノの瞳から光が消えてゆく。深い闇に覆われ、何も見えない。
“手始めは父親よ。父親の影の中に身を潜め、シャドウとなった私は父親の身体を操り、まずポーシャを始末させた。父親は嘆いたいけれど、何も心配する必要は無いと思ったわ。だって、娘はここにいるもの。――私が”
ブラッディーノの姿は、父親が作った娘の人形そのままなのだ。
「……救いようがねぇわ」
人形のようにカクッと首を折り曲げるブラッディーノを見て、世槞は言った。
「お前も、生人形師も」
情け容赦は必要無い。
「生人形師が誕生した理由からして歪んでやがる。矯正は不可能ね……よって」
始末すべし。
(この程度の相手なら、十架たちに助けなんて……)
要らないと判断した時、世槞は膝から崩れ落ちた。
(……っ????)
全身に力が入らない。何が起きたのかわからないまま膝を折り、頭を垂れる。次第に頭が異常に重いことに気がつく。
“出血多量ね。重度の貧血よ、それ”
嘲笑うようなブラッディーノの声。
世槞とブラッディーノの間に割って入った漆黒の獣は、全ての攻撃から主人を護る。
“世槞様っ。ここは退却、または救難信号を!”
“もう遅いわ”
地面が揺れ、砂漠の中心部が渦を巻いて周辺の石や影人の死骸を飲み込む。――あれは蟻地獄だ。
蟻地獄から伸びた透明な糸は、生人形師の手の中に続く。
“バール村の人間たちの人形を制作していた時、ちょうど村人の1人が影人化して、ウスバカゲロウの幼虫のような形態になってね。砂漠地帯にお似合いだから放し飼いにしておいたの”
用意周到。己が弱いからこそ、何重もの罠を張る――。調子に乗って巣に乗り込んだら、それで終わりなのだ。
「…………」
頭を抱えながら立ち上がり、それでも世槞は信号を送ろうとしない。それどころか蟻地獄の中へ通信機を放り込むという暴挙に出る。
「通信不可能な状態なら、信号を送らなくても非難はされないわよね……」
“我が主人よ?! なにを馬鹿なっ”
「単純な考えよ……羅洛緋。自分を窮地に追い込めば、物凄い力を発揮するんじゃないかな、って」
飲まれゆく通信機と、間近に迫る蟻地獄の渦。いつも主人の突飛な行動に翻弄されてきた下僕は、今回も腹を括ることを迫られる。
「私に付き合ってくれる? 羅洛緋。私は、強くならなくちゃ駄目なんだ」
世槞は漆黒の剣をブラッディーノの顔に向ける。血液不足の為か指先は震え、頼りない。しかし眼光だけは鋭い。
「弱いのは、私も同じ」
その口元は少し、笑っている。
「でも、お前らみたいにコソコソ悪足掻きはしない。正々堂々、挑むのよ!」
――ガリ、ガリ、ガリ。




