にがい葡萄
クラスの陰キャが陽キャに噛み付くけど、何も起きない話です!嫌な話です。
2020.11.23
『にがい葡萄』
「え、てか関さん眉毛剃った?」
ミナの机を取り囲む三、四人の女子たちの向こう側でそのような声が聞こえて、そっと顔を上げた。取り囲んでた子たちもその、関さんに注目したからだ。
「マジだ、え~めっちゃ印象変わるじゃん」
「どしたの? カレシでもできた?」
尖った嘲笑を含む言葉が関さんにグサグサと刺さっているのがわかる。“印象変わる”って、明らかに褒めて言ってるわけじゃないってわかるし、カレシなんてできるわけないってわかってて言ってるのだ。
関さんは特に何も答えずに、うつむいてもじもじしていた。彼女はミナの斜め前の席なので、後ろ頭しか見えない。
「もっとよく見せてよ、てか関さん最近痩せたよね?」
「頬こけてない? 健康に良くないよ~」
関さんにちょっかいかける女子たちを誰も止めようとしないし、ミナの取り巻きたちもニヤニヤしながら見ているし。なんだか面倒くさい気分になって、ねえ、と声をかけた。テーブルに広げた雑誌を閉じる。
「今度東高の男子と合コンするんだけど、二人も来ない? 女子足りなくてさぁ」
「え、東高!? 超頭良いとこじゃん」
「しかもミナの紹介なら信用できる~。いいの?」
「うん。じゃあグループチャット招待しとくね」
ミナはクラスメイトのほとんどの連絡先を知っている。もちろんこの、根性悪い二人組のも。合コンに二人足りなかったのは事実だ、本当はモデル仲間の子たちに声をかけようかと思っていたが、しょうがない。男子たちにこっそり謝っておかないと。
いつの間にかこっちのグループに入ってきた二人はもう別の話題で盛り上がっていた。ミナは適当に相槌を打ちながら、関さんの眉毛ちょっと見たいな、と考えていた。
放課後、トイレでメイクを直していたら関さんが一人で入ってきた。あ、と思わず声が出て、そうしたらうつむいていた関さんも顔を上げて、目が合った。
「……ぁ」
関さんはみるみる耳まで真っ赤にして、おずおずとミナの前まで来た。彼女の眉毛を見たいと考えていたことが、ミナは少し後ろめたかったので、何を言われるんだろうと思ってどぎまぎした。
「ま、ま、間宮さん」
「うん……?」
「……あの、朝、ありがとう……たす、助けてくれて」
関さんは話をする時にどもりがちになる癖がある。それを聞かれるのが恥ずかしいのかクラスでもほとんどしゃべらなくて、だからよく、ああいう輩に絡まれているわけ。ミナはそんな癖別に気にならない、というか、自分以外の人間にそこまで興味がない。
「ああいうの鬱陶しいから……あれ、でも」
「?」
「ほんとうに可愛くなったね、眉。その方が可愛いよ」
そっと顔を覗き込むようにした。関さんはミナとそこまで背が変わらない。前髪の隙間から覗く眉は確かに整えられていて、今までの関さんの顔よりも少しだけあか抜けて見えた。
関さんは赤い顔をますます赤くして、気まずそうにうつむいた。お化粧したらもっとマシになりそうな……まぁ、ミナが気にすることじゃないけど。
「痩せたのもマジだね、痩せたね関さん」
「……ぅ、う、うん」
「でもあれでしょ、食事制限で痩せたでしょ? スタイル良いんだからもったいないよ、筋トレで痩せた方がいいよぉ」
ミナの言い方は自分でもわかるくらい明らかにテキト~ですって感じだったけど、関さんはイヤ、ソノ、とか言ってめちゃくちゃ照れて動揺していた。
「ダイエットってつらいよね。ミナもさ~今より二キロ増えたら下ろすとか言われて」
「下ろす……?」
「雑誌の連載。あとなんか、オーディションとかも体重制限あったりして」
「はぁ……」
関さんはよくわからない感嘆を洩らした。あ、今のミナ、ちょっと気取ってる感じだったかも。取り巻きに聞かれたら影でまたコソコソ言われるなぁ。
「間宮さん、っこここの前、雑誌で、メイクの仕方……」
「……? あぁ、企画で」
「それ見て、真似、した……全然、下手だけどっ」
「え~そうなんだ、見てくれたの? うれしい、ありがと」
確かにミナは先月発売のティーンズ雑誌の企画で、眉の整え方のページのモデルをした。そのせいで関さんは眉を整えて、クラスであんな風に、からかわれてしまったのか。ちくりと罪悪感。いや別にミナは悪くないけど。
「っこ高校の頃、“関取さん”って、あだ名だったんだ」
「……へぇ」
「だから頑張って、だだ、ダイエットしたの。今もしてるけど、でも全然……痩せてもブスは治らないし、性格も変わらないね」
間宮さんにこんな話しても……、ともじもじする関さん。そういう暗い性格してるからからかわれるんじゃん、と思った。
「自分のこと、ブスとか言わない方が良いよ」
「……」
「じゃあ、また明日ね」
「う、うん、ありがとう……」
カチャカチャとメイクポーチを片付けてトイレを出た。関さんに背中を見られているような気配を感じたけれど、振り返らなかった。
***
「ミナ、◇◇のオーディション受けるってマジ!?」
朝登校したら教室の扉を開けた途端にそう言われて、ミナは驚いて咄嗟にうまく反応できなかった。その真顔をどう受け取ったのか、声をかけてきた子はきゃあっと悲鳴を上げてみんなの輪に戻っていく。
「マジなんだ~!」
「え~、すっご~い!」
「ま、待って待って、なんで急に?」
「朝からネットニュースで話題になってたよぉ、“間宮ミナも参戦!”って!」
◇◇とは最近話題の、ミナの所属する芸能事務所のアイドル企画のことで、今度看板アイドルオーディションを開催すると様々なメディアで告知されている。最初のオーディションでセンターと一期生グループ、補欠合格になった子たちにも今後チャンスが与えられるということだ。ミナの周りでも連日誰が受けるとかなんとかいう話で盛り上がっている、ようだった。
「マネージャーさんが、自分の受け持ちの子みんな受けさせるって騒いでるだけだよ……」
ミナはそのオーディションに、特別興味があるわけじゃなかった。だってアイドルになったとして、仮に受かってもそれからずっとアイドル、やらなきゃいけないんだろうか……アイドルオタクの男とかキモいイメージしかないし、そんな奴らに媚び売って仕事しなきゃいけないんだったら、今のこの、モデルなんだかタレントなんだかわかんないポジションでのんびりやる方が良い。
と、思うのだが、ミナはまだまだ事務所に所属したばかりでわがままを言える立場ではないし、結局マネージャーさんに言われるがままにオーディションへ申し込んでしまった。
「応援するよ! ミナならセンターいけるって!」
「最終選考はドームでコンサートだって!」
「すご! 絶対みんなで観に行くから!」
「……そもそもそこまで受かるかどうか……」
「もう、自信持ちなって~」
「ミナ美人だし歌もうまいじゃん、いけるよぉ」
「受かるに決まってるから! みんなでSNSで発信しようよ」
「賛成! タグ作って拡散しよ~」
「もう、ちょっとぉ……」
ミナの意見などおかまいなしにどんどん話が進んでしまう。前にもミナが雑誌の専属モデルに決まった時、こういう感じになったことがあって、ミナはこの空気がすごく苦手だった。
みんな、本当は自分が、できることならなりたいんだ。アイドルに。モデルに。でもそれができないし、やりたいなんて言ったら「え? おまえが?(笑)」ってバカにされるって、わかってる。直接は口に出さなくても心の中でバカにするんだろう、その、名乗り上げた子のことを。だからミナを祭り上げて応援する振りして“自分にはそんな気ありませんよ”って、謙虚アピールしてる。自分がそういう道具にされているのが、不快だった。
なんかそういう童話があったような気がする。すっぱい葡萄……? でもミナはすっぱくないけど。
ていうかどうせみんな……心の中では何を考えているかわからない。本当はミナのこと、嫌いなのかも。鼻につくって思ってるのかも。オーディションなんて受かんなきゃいいって、思ってるんでしょ、どうせ。と、ちょっと卑屈になってみたりして。
わいわいとミナの写真を撮り始めるみんなにぼんやりと流されながら、オーディション、でももしかしてミナなら受かるかも……と考えている自分に気付き、ミナは胸苦しい自意識に内臓を絞め付けられた。
「ま、間宮、さん」
放課後。裏門の前で迎えの車を待っていたら、低いぼそぼそ声がミナを呼んだ。こんな風にミナを呼ぶのは一人しかいない。
「関さん。どしたの?」
「……あの、あの。◇◇の、オーディション……受けるって」
「……あぁ」
朝あれだけ騒いでいれば、彼女の耳にも入っていただろう。関さんは頬を赤らめながら上目遣いにミナの鎖骨のあたりを見ている。
「わ、わたっ、私も応援、する……! 間宮さん、背、たかくて、かっこいいから、人気出ると……思う……」
それを言うためにわざわざ声を、かけてきたんだろうか。ここに立っているミナを見付けて、迷って、でも言いたい、言わなきゃって、感じだろうか。
彼女は他の子たちと違って、本気でそう思って言ってるんだろう。ミナのことを本気でかっこよくて人気出るって、思ってる。そう彼女の心を信じられたからこそ、ミナはイジワルな気持ちになってしまって、はぁ、とため息を吐いた。
「関さんさぁ、クラスのミナ見てて、ん~……なんか。周りの子らにおだてられて、すかして気取ってるって、少しでも思わない?」
「……えっ」
「ミナは自分のこと、そう思うよ。調子に乗ってるって。関さんも、そう思っていいんだよ」
だいたい。それこそそのクラス内では、関さんは話しかけてこないし、目も合わないくらいなのだ。こうしてこそこそミナに媚びたってしょうがないじゃん。
関さんは唇をわななかせて、浅く呼吸をしながらうつむいた。言葉が出てこないんだろう。彼女をいじめたって仕方ないのに、八つ当たりをしてしまった、と気付いて慌てて肩を抱いた。
「ごめんね、イジワル言った」
「……ぅ、えっと」
「本当はアイドルとか、あんまし興味なくて。オーディションのためにいろいろやんなきゃいけなくて、カレシに会う時間も減るし、イライラしてたかも。ごめんね、関さん。ごめん」
「……っ」
顔を覗き込んだけど長い前髪が邪魔をして表情は見えなかった。関さんは肩を震わせながら首をぷるぷると横に振った。
前の道路に車が停まった。ミナが今付き合ってる大学生の、黒いフォレスターだった。
「じゃあ、また明日ね」
「……」
「あ、応援するって言ってくれたのは嬉しかったよ、ありがと」
結局関さんは最後まで顔を上げなかった。横断歩道を渡って助手席に乗り込む。カレシが関さんを見て「なにあれ、幽霊?」とか言うので思わず噴き出した。
***
結論から言うと◇◇の看板アイドルオーディションには落ちた。メインのグループは外れて、補欠合格者として名前だけ連ねることになった。そんな中途半端な残り方をするくらいならアイドルなんてできなくてもいいのに、と思ったが、マネージャーさんはこれで仕事の幅が広がると喜んでいた。
取り巻きの子たちは「残念だったね」と悲しがるそぶりは見せたものの、ミナのオーディションの話はそこまでで、最近駅前にできた新しいカフェの話題に移った。きっとミナがいないところで散々「落ちてやんの」って盛り上がったから、本人の前では特に言うことがないのだろう。
ミナがカレシと腕を組んで歩いている写真がSNSに流出しプチ炎上をしたのは、そのオーディションが終わってすぐのことだった。
「ヤバイよミナ、結構拡散されちゃってる!」
「ここホテル街だよね?」
「うわぁこれ、アイドル活動どうなんの……?」
まとめ記事みたいなのも書かれて、ミナが◇◇のオーディションを受けていたこと、そのオーディションの最中にも男遊びをしていたこと(合コンのことだろう)、あと男をとっかえひっかえしてるとか学校の先生とも寝てるとか中学の頃はブスだったとかあることないこと書かれていた。
心配してるふりをしながらミナの悪口が書かれている記事をどんどん探してはあ~でもないこ~でもないとやっている女子たちを、他人事のように眺めた。
アイドルグループのオーディションに落ちたからといってミナが事務所をクビになったわけではないし、次期グループ候補生みたいな感じで◇◇のサイトに名前も載った。落ちたからってミナ自身が落ちぶれたわけではない、というかむしろ参加するって時点でちょっと話題になってファンも増えた。
しかし、今回の炎上は違う。ミナのプライベートなことで、身から出たさびと言われてしまえばそれまでだし、誰も守ってくれないし。これからの活動にツバがついたのは事実だ。みんなの望んでいた、ミナの不幸だった。楽しくてしょうがないんだろう。
「まぁ、大丈夫でしょ。もともとアイドルとしての仕事とかあるのかわかんなかったし……そんなことより明日どうする? 映画、前売り買っておく?」
あぁ、ミナがこう言ったところで。というかどんな反応をしたって強がりだって思われるんだろう。不快だ。
友人らは気まずそうに話題を変えた。ちなみにその写真を撮られているカレシ、黒いフォレスターの大学生とはもう別れていた。
「関さん」
廊下を一人でとぼとぼ歩く関さんに声をかけた。関さんは大げさにびくっと肩を跳ねさせて、おそるおそる振り返る。ホラーゲームやってんじゃないんだから。
昼休みの特別教室棟の廊下に人は少なかった。彼女はいつもこんなところまできて、一人で昼食をとっているのか。四限終わりに尾行して、なかなか止まらないので焦れて声をかけたわけである。
「ちょっと、話したいことがあるんだけど」
「よ、よ、よかったね」
「は?」
「アイドル……これでもう、やらなくて済むね」
まさか彼女の口からそんな嫌味っぽい、強気な言葉が出てくるとは思わなくて、ミナは少しひるんでしまった。関さんは猫背のままぬうっとそこに立っていて、前髪の隙間からこちらを上目遣いに見ている。
「アイドルに興味、なさそうだったし……間宮さん、も、モデルとかのが、向いてるのかもね」
「……」
「ちゃらちゃら、オトコ遊びしても、何も言われないっ、もんね……! よかったね、間宮さん」
違和感が確信に変わり、彼女はもう隠しもしないので、そのヒリつくような嫉妬心を全身に受けて、ミナは言葉が出なくなった。
先ほど見せられたまとめ記事の中にあった写真は全部でだいたい五種類くらいだったのだが、その中に気になるものがあった。高校の前に元カレが迎えに来た時の、助手席に座るミナに「なにあれ、幽霊?」と言って、ミナはおかしそうに笑っている。あの時の写真。
関さんが撮ったのか? あの時に? なんで? 気付いた時には疑問だったけれど、今なら納得できた。他の写真も全部彼女が、ミナの動向を探って、つきまとって撮ったのだろうか。なんて執念だ。
「……関さんごときがミナに嫉妬とか、おこがましいでしょ」
ミナは、不思議な高揚を覚えて心臓がバクバクと鳴っているのを感じた。ミナに対してこんなに直接的に、敵意をぶつけてくる子は、今まで周りにいなかったから。
「……上から目線で、う、うざかった」
「うん」
「雑誌とかオーディションとか、なに芸能人気取って、まだ大して仕事してないくせに」
「うん」
「……眉、だって。そんなつもりじゃなかった、あたし、別に間宮さんに褒められたから、って」
「うん」
「嬉しくなんてない……! 調子に乗ってる、と、おもう」
「うん」
関さんは堰を切ったように喋って、顔をサルのお尻みたいに真っ赤にして、肩をいからせてふうふうと呼吸をしている。ミナは、どうしてこの子はこんなに丸裸なんだろう、と思った。丸腰だ。そんなんでミナに勝てるわけないのに。
「ミナのことそんな風に思ってたのに、オーディション応援する、なんて言ったんだ」
「……」
「ずるくない? それって。何も言わなきゃよかったじゃん。性格悪いよ」
「……」
「結局さぁ、ミナと話せるようになって嬉しかったんでしょ。もうクラスの奴らにからかわれることもないかもって期待してたんでしょ」
「……」
「わざわざ二人きりの時に声かけてきたりして。教室で話しかける勇気ないくせに」
「……」
「卑怯だよ、関さん」
ミナは、いつだか感じた、関さんに対するイジワルな気持ちを思い出していた。この無抵抗な、丸腰の、弱い生き物をコテンパンに打ちのめしてやりたい。のこのこ近づいてきて、バカじゃないの。あんたなんて、あんたごときが。
お互い言うだけ言って黙ると、しん、と廊下が静まった。関さんは何も言わないで、うつむいて、小動物のような動きでくるっと振り返ると廊下の奥に駆けて行った。
おわり




