綾小路狂想曲(ラプソディ)。
屋上の一件で、ありがたくないレッテルを二枚も貼られてしまった。
わたしってそんなに鈍感なのだろうか……外見に気を遣わない女だとも言われるし、なんだか悲しい気持ちになってしまった。
子供社会というのは直接的過ぎて、わたしのような見た目は子供、中身は大人の人間にとっては胸が痛すぎる。大人社会というのは、感情だけで人間関係が成り立っているわけではないので、直接的に言われることはそう多くはない。
社会に出れば、言った言葉にも責任を持たなければならない、だから感情で発言することが自然と少なくはなるのだ。たまに当てはまらない人もいるけれど。
だから、感情的な言葉を直接ぶつけられる機会というのは、そう滅多にないわけで。お蔭で自分のメンタルレベルが最弱だということに気付いた。子供の持つ感情的な発言に慣れていないのだ……はっきり言うと、この世界に生まれて、これだけ落ち込んだのは初めてだ。
ある意味、言ってもらえて感謝すべきなのだろうとは思うんだけど……。
そういう雰囲気は友達にも家族にも伝わるようで、学苑では佐央里ちゃんや愛美ちゃん、隣のクラスにいる綾花ちゃんにまで心配され、家ではお母さまやばあやに何かあったのかと代わるがわる聞かれた。
「真莉亜ちゃん、本当に何もないのね?」
「はい……ただ……お母さまにお聞きしたいことがあるの」
「なぁに?」
「わたくしって、鈍感なの?」
「あら、そんな風に思ったことはないわ どなたかに言われたの?」
「言われたという訳ではないけれど……なんとなく、そうなのかなと思って……」
実際は思いっきり言われたんだけどね、しかも間を置かずに二人の人間に!
「真莉亜ちゃんは、自分のことは二の次ですものね」
「え?」
「自分のことより、いつも他の人の心配をするでしょう?華恵ちゃんの時も、中山の時も」
お母さまは穏やかに笑っていた。
「だから、自分自身のことには鈍感なのかもしれないわ でも、そんなに悪いことじゃないと思うのよ?」
「そうなのかなぁ……」
「ただ、危ないことはもうやめてね」
「お母さまを心配させるようなことは、もうしません」
ついでだから、もうひとつのことも聞いちゃおうかなぁ。
「あとね、お母さまから見て、わたくしって身なりに気を遣ってないと思う?」
「ええ?!どういうことなの?」
「だから、外見が……」
「女の子らしくないということかしら?」
「う~ん……女の子らしくないの?」
お母さまはちょっと考え込んでしまう。うわぁ……やっぱり女の子らしくはないんだな……。
「そうねぇ……色んな考えがあると思うけれど、少なくともお母さまは今の真莉亜ちゃんで十分だと思うわ 年頃になれば、自然と気になってくると思うのよ」
ごめんね、お母さま。あなたの娘はあなたより年上なので、年頃なんてものは遥か遠い宇宙の彼方に旅立って行きました……。
「それに、お母さまは子供は子供らしくが一番だと思うのよ」
子供らしくかぁ~本当の『子供』じゃないから、それこそが難しいんだよね。
でも、お母さまなりに励ましてくださっているのは有難い。
「……お母さま、少し元気が出た気がします」
「それならよかったわ」
お母さまが微笑んでくれる。
「学苑では色々な方がいらっしゃるでしょうけれど、真莉亜ちゃんらしくいればいいと思うわ」
お母さまがそのままでいいとおっしゃるなら、それでいいや。そもそもわたしには遠い昔過ぎて、子供時代にどうだったかなんてもう思い出せない。
「ありがとう、お母さま」
この人は確かにわたしの母親だ、中身はこんなで申し訳ない気がするけれど、ちゃんと子供として愛してくれている。それが再確認出来ただけでもよしとしよう。
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鬱々していた気分も少しずつ上向き、わたしはわたしだと開き直り始めた頃、どうやら貴彬と天宮さんの間でひと悶着あったらしい。
わたしが図書館で借り出す本を選んでいたら、不意に綾小路が現れた。
「大道寺さん、面白い話があるんだ」
「面白い話?本ではなくてですか?」
「いいから、ちょっとこっちにおいでよ」
そう言って、前に話した場所ーー書架が並ぶ一番奥の閲覧席に連れて行かれる。
図書館なので、あまり抵抗も出来ずに、あっさりと引きずられていってしまった。
「天宮さんがね」
天宮さんの話か……あんまり聞きたくないんだけどなぁ……。
わたしが乗り気じゃないのが伝わったらしい、綾小路はちょっと肩を竦めると、続きをためらう素振りを見せた。
「興味ない?」
「興味というよりも、出来るだけ、天宮さまに関わりたくないのです」
「そうだよね、ビンタされるところだったもんね」
「そのことも、思い出したくないんです」
「だよねぇ…でも、僕がそれを貴彬に言っちゃったからさ」
「え?!」
この男は驚きを与えるのが好きらしい。どっかの刀剣みたいな奴だな。
「大道寺さんのことを貴彬が気に入ってるのは知っていたし、屋上の話はあまり聞こえなかったから、詳しくはわからないけど、君を殴ろうとしていたよと教えたんだ」
もう!この男はどうして余計なことをするかな?!
わたしが睨むと、申し訳なさそうな顔をする……上っ面だけだとわかってるからね!
「まぁ、怒らないで聞いてよ そしたら貴彬が珍しく本気で怒り出してさ 宥めるのに苦労したんだ」
それはあんたが余計なことを言うからでしょうが、自業自得でしょ?
「そしたら、あいつ、天宮さんを呼び出したんだよ 僕も一緒にいたんだけどね」
わたしは無言でおしゃべりな綾小路を睨むだけだ。
「天宮さんは、僕が一緒にいたから、呼び出された意味がわかったみたいで、みるみるうちに真っ青になってさ」
そりゃそうでしょう、わたしが天宮さんの立場でも真っ青になるわ。
「貴彬が一言、お前はこれからも学苑にいたいのか、いたくないのか選べって」
「ええっ?!」
「しーっ、声が大きいよ」
「すみません……」
「ほら、僕っていう証人がいるでしょ?暴力は退学に相当するからねぇ」
「止めてくださったのですから、未遂なのでは?」
「例え未遂であっても暴力は駄目だし、何より品位を重んじるわが校の生徒には相応しくないからね」
さすが理事長の孫、未来の理事長さまは、はっきりしていらっしゃる。
「天宮さまはなんとお答えになったのです?」
「そりゃあもちろん、いたいって答えるよ 退学なんて不名誉なこと、天宮の家だって許さないだろうし」
「そうですよねぇ」
「学苑にいたいならば、余計な詮索はするなーーで終わり」
なるほど、貴彬に一喝されたのなら、天宮さんも大人しくなるのかな。
「で、僕から君に聞きたいんだけど」
「なんでしょうか?」
「詮索ってことは、何かを天宮さんは知ってるってことだよね?」
「さ、さぁ……わたくしにはなんのことやら、さっぱり……」
「本当に?」
「ええ、もちろんですとも」
「ふぅ~ん……」
「な、なんですか?」
綾小路の瞳が鋭くなった。
「僕、嘘つきは大嫌いって言ってたの、覚えてる?」
「え、ええ 覚えていますよ?」
「大道寺さんは嘘をつくのが下手だね」
「へ?」
そう言うと、少しずつ距離を詰めてくる綾小路。
この歳でも、それなりの妖しい雰囲気というのを持ってる人は持っているというのを初めて知った。
この男『持ってる』という表現が正しいのか。
幸いなことに椅子を少しずつずらされて傍に寄ってきただけで、身体に触れられた訳ではないけれど、このまま歳を重ねていけば、ゲーム通り、女性を侍らすのもそう遠い未来ではない気がする。
「僕は大道寺さんの危機を救った恩人だよ?そんな僕に嘘をつくなんて、大道寺さんは酷いなぁ~」
全く傷ついてないくせに、大げさに悲しそうな顔をするなんて、綾小路のほうがよっぽど嘘つきだと思うんだけどなぁ。
「本当に知りませんよ、わたくしは嘘をついてはいません」
わたしはたまたま盗み聞きしただけで、本人からは知らなくていいと言われているんだから、嘘はついてない。
「貴彬に聞いてもなんでもないって言うし、酷いよね、二人とも僕をのけ者にするなんて」
捨てられた子犬のような眼で見ないでくれないか、わたしは何としても知らないものは知らないんだ。
「本城さまが何もないと仰るのであれば、それでよろしいのではないですか?」
「僕は真実が知りたいんだよ」
綾小路くん、君は探偵か何かかね?いっそのこと、真実はいつもひとつが名セリフの探偵に弟子入りでもしてみればいいと思うよ?
「そんな、わたくしに言われましても……」
駄々っ子なお坊ちゃまだなぁ、本当に。ある意味、貴彬よりも厄介かもしれない。
「そっか、教えてもらえないなら、教えてもらえるまで、君とは親睦を深めたほうがいいね」
「は?なんですか、親睦って?」
「もっと仲良くなりたいって意味だよ、どうやって親睦を深めればいいかなぁ、ね?」
楽しそうな顔で笑う綾小路の顔が、悪魔の微笑みにしか見えないわたしはおかしいのだろうか?
もう厄介事はお断りしたいのに、どうしてこうなるのか……わたしは深い溜息を吐いた。
その日から、わたしの穏やかな学苑生活は一変した。
綾小路の親睦を深める宣言がなされた後、手始めに一緒に帰ろうと言われたのだが、どう考えても綾小路に送ってもらうのはおかしいので、丁重にお断りした。
なぜなら、綾小路の家は、学苑のすぐ裏手にあるのだ。綾小路も車で登校しているけれど、学苑の裏手にある森を抜けると、白亜の立派なお屋敷が建っていて、綾小路は祖父である理事長と、ご両親、弟と住んでいる。
さすがの綾小路もそこはおかしいと気付いたのだろう、思ったよりもあっさりとわかったと頷いてくれた。
だが、翌朝からは、教室に入った途端に「おはよう」と朝っぱらから眩しい笑顔で話しかけられる。
授業の合間の休み時間も、わたしが佐央里ちゃんや愛美ちゃんと一緒にいても平気で話しかけてきて、最初の頃は遠慮がちだった佐央里ちゃんや愛美ちゃんとも親しくなって、いつの間にか四人で昼休みを過ごしたり、写生の時間も四人でグループ行動していたりと、すっかり仲良しグループの一員になっていた。
だが、女子生徒三人に綾小路である、それはもう、目立ち過ぎるくらいに目立つ。
そして、ついにゆずさまの会メンバーの一人である、綾花ちゃんから呼び出しがかかった。
わたしはどんよりとした気持ちで、放課後に庭園へと向かった。そこにいたのが綾花ちゃん一人だったことにほっと胸を撫で下ろす。
「お呼び立てしまして、申し訳ありませんが、どうしてもお話ししたい件がございまして」
綾花ちゃんは緊張しているのか、強張った表情だった。
わたしは心当たりがありすぎるほどだったので、大人しく、綾花ちゃんの話に耳を傾ける。
「真莉亜さま、どうなっているのですか? わたくしたちの存在をご存知ですよね?」
綾花ちゃんのお怒りが……。
「もちろんわかっています ですが、綾小路さまとは少し事情がありまして……」
理由を話すと物凄く長くなるし、更に面倒くさいことになりそうだったので、お茶を濁せるところは濁したい、それはもう切実に。
「それにしても、真莉亜さまだけではなく、佐央里さまや、竜ケ崎さまも一緒だなんて……」
「せっかくなので、綾花さまもご一緒されませんか?お昼とか、いかがです?」
これはもう、綾花ちゃんに絶交されかねないと泣きたくなる気持ちを抑えて、綾花ちゃんに提案してみた。
綾花ちゃんはパッと顔を輝かせたけれど、すぐに難しい顔になってしまう。
「真莉亜さま、それはもう、すぐにでもご一緒したいのですが……会長が大変ご立腹なので……」
なんと、ゆずさまの会会長のお怒りを買っていたのか?!----そりゃそうだ。
「会長直々に、真莉亜さまに事情を伺ってくるように言われたのです わたくしと真莉亜さまが懇意にしていることを会長はご存知ですので」
綾花ちゃんはゆずさまの会の使者なんだ、これはうまく交渉せねば、わたしは火だるまになってしまう、いや間違いなくなるだろう。天宮さんグループだけではなく、ゆずさまの会の方たちまで敵に回したら……もう怖くて想像も出来ない。
「あの……これは提案なのですけれども」
「なんでしょう?」
「綾花さまが綾小路さまと親しくなられたら、ゆずさまの会の他のメンバーの方々も、綾小路さまとお親しくなられるきっかけになりませんか?」
「どういう意味ですの?」
綾花ちゃんは不思議そうにわたしを見ていた。
「綾花さまが綾小路さまと親しくなられれば、他の皆様がその輪に加わっていかれたらよろしいのではないかと思うのですが……いかがでしょう?」
綾花ちゃんは考え込んでいるようだった。
「会長さまに、そうお話しいただけないでしょうか……?」
「わかりました 会長には真莉亜さまがそう仰っていらしたと、お伝えしますね」
「ありがとうございます!」
わたしは最敬礼で綾花ちゃんに頭を下げた。わたし自身のせいでもなんでもないのに、なんだか悲しくなってくるわ……。
「あと、わたくしが個人的に真莉亜さまにお尋ねしたかったのですが……」
「はい、なんでしょうか?」
「真莉亜さまは、綾小路さまがお好きなのですか…?」
「……はい?」
「あ、いえ、違ってらっしゃるなら結構です つまらないことをお尋ねしましたわ、忘れてください」
「つまらなくはないでしょう?綾花さまにとっては、大切な方ではないですか ですので、きちんとお答えします、友人としてはともかく、異性としては好きではありませんよ」
綾花ちゃんはほっと表情を緩めてくれた。
「それに、わたくしには好きな方がおりますので」
「えっ?!それは初耳ですわ」
「それはそうでしょう、他の方にお話ししたのは、これが初めてですから」
わたしが微笑むと、ようやく綾花ちゃんは安心したらしい。
「わたくしに、お気持ちを明かしてくださってありがとうございます、真莉亜さま」
「いえいえ、綾花さまが安心してくださるなら、お礼を言われるほどのことではございません」
わたしと綾花ちゃんは、仲良く手を握り合って、ようやく綾花ちゃんの使者としての仕事は終わった。
綾花ちゃんは明日にでも会長と話してみると言って帰って行った。
わたしは一人、庭園で溜息を吐く。
どうしてこう、うまくいかないのか。わたしはもっと穏やかに過ごしたい、雄斗は弟だから仕方ないとしても、攻略対象者とは極力関わりたくない。
あーーーめんどくせーーー!!
叫んで、芝生に寝っ転がりたい衝動にかられた。やらないけど。
今日は家庭教師が来る日だ、わたしも帰ろうと車寄せへ急いだ。




