2話 私は仕事をしてるだけ
いつもの仕事場に戻る途中、よく思えば警官に話しかけられるのは始めての経験だった。
そう思ったが仕事が始まったころには、そんなことすっかり私は忘れていた
「いらっしゃいませー」
3ヶ月前、仕事を始めたばかりのころは恥ずかしくて口に出せなかった言葉も今は出せるようになった。
「シズクちゃん。がんばってるねえ。いつもの頼むよ。」
伝票に1つと書いてカウンターに貼り付ける。
伝票にいつものと書いたのはやっぱり昔の話だ。
すっかりこの生活になれたと実感できる。
この人にも。
「3番テーブルの全部あがったぞ」
「はい!店長!」
片足を引きずりながらカウンターに山盛りの料理をドンと置いた。
「こちら今日のおまかせ3つです。」
踊り子のような足取りでテーブルに料理を持っていくと、がたいのいい男たちは待ってましたと、フォークを手に取っていた。
「シズクちゃん。店長にそろそろ言ったらどうだい。メニューがひとつしかないから注文をとるだけ無駄だってな。」
「いつか増やすって言ってるんで、しばらくは、なにとぞーなにとぞー。」
「シズクちゃんは3ヶ月だから我慢できるんだよ。俺らは6年だよ?」
「ははは。一流の店で注文を取らないのは気に入らないの一転ばりですから。それに私の仕事がなくなっちゃいますよ。私を家無き子にするつもりですか?」
喋りながらも、もう待てないと男は肉にがっつきながら話を続けた。
「そりゃ悪かった。そうなったら嫁にでももらってやろう。」
「あははー。考えときます。」
チリンチリンとドアベルがなった。
失礼しますと軽く頭を下げて入り口に向かう。
「いらっしゃいま…」
思わず声を止めてしまう。お客じゃないと咄嗟に思ってしまった。入り口には漆黒のマントと帽子の男が二人。
それに気づいた客が一人、二人と声を抑え始め、喧騒が少しずつ静まっていった。
入ってきた警官を良く見ると、あごひげの中年の上司と若々しくて背筋をピンと伸ばしたいかにもやる気ある若者みたいな二人だった。
「あの、うちに何か用でしょうか。」
「こんな格好ですまないね。2人なんだが、席は空いているだろうか。」
まさかのお客さんだ。
この店は顔見知りしかこないと店長がぼやくぐらい常連で回っている店のため警官の来客どころか知らない人を見るのも珍しいほどの店だった。
「はい。奥の席へどうぞ。」
私はいつも通り笑顔を作って席に案内する。他のお客さんと少し離れた場所の方がいいかと思い壁際の席に案内した。
席へ案内すると警官達はテーブルの上と下を見回していた。
「メニューをもらえるか。」
「メニューはですね。日替わりと店長のおすすめです。どっちもおんなじメニューですけどね。」
中年の方の警官が少し眉を潜めるとあごひげを二度三度触り納得したように軽くうなづいた。
その後、まったく変な店に入ってしまったといわんばかりの態度で重そうな口を開く。
「…それじゃ、それをおすすめを2つ。それにしても同じメニューに二つ名前をねぇ。」
私渾身の冗談が気に入らないらしい。これに笑わないあたり、やはり警官は堅物だらけなんだろうか。
そんなことを露程も顔に出さずにテンプレートで返事をした。
「かしこまりましたー」
頭を軽く下げ、方向転換のため一歩後ろに足を出し半ば振り返ろうとしたときだった。
「その前に、少し話しを聞いていいかな。」
「わ、わたしですか?」
振り返ったあと、聞こえなかった振りをすればよかったなと内心思ったが振り返ってしまったものは仕方ない。
心臓が早くなるのを感じる。警官に質問されたことなんて人生で初めてだし、悪いことをしたことがあるわけではないが、やましいことが無いわけではない。
「ああ。別にかまわないだろう?」
ふてぶてしい態度であごひげの警官は話を続ける。
「ここらで怪しい人、そう身なりが普通じゃないというか。その、目つきが悪いというかだな。」
言葉選びをしているあごひげの刑事の歯切れの悪い台詞に見かねたのか、若い方の警官が話をさえぎった。
「たとえば、町の西から来たような連中とか。」
あごひげの方の男は頭を軽くかいてため息をついた。
おそらく、あごひげの警官は実際の言葉を出さずに察して欲しいという考えではっきりと言わなかったんだろう。
そして、この新人にしか見えない警官は耐えられなかったに違いない。
警官二人が言いたいことは、伝わったので店員らしい笑顔で答える。
「いえ、このお店では見かけませんね。」
「店の外では見たってことか?」
若い方の男が食らいついてきた。
「いえ、外でもないですね。」
紛らわしい答え方しやがってと小声で言ったのを左の耳から右の耳に聞き流した。
「それじゃ、子供は?いや、店内ってわけじゃないんだけどね。変な時間に子供が外にいたりとか、一人だけでどこか歩いていったとか。」
子供?迷子探しもかねているんだろうか?
「見てないですね。」
「そうか。あ、ついでに貴方の住所聞いていいかい?」
「え?」
思わず、貼り付けてあった店員の笑顔が剥がれ落ちてしまった。
「いや、これも調査のうちですよ。どこらへんの情報なのかってのは大事な話でして。」
たとえそうだとしても、自分の働いている店の中で自分の家を言うということは恥ずかしいものがある。
この中に私に好意を抱いている人がいてそれが知れるのが怖いと堂々と言えるほど自惚れてはないが、自分でそれを否定するのはあまりにも悲しすぎる。何より、自分の家の場所がわかるということは家賃がいくらで大体の稼ぎがばれてしまうなどと安い考えもある。
「はい。えっとですね。」
お答えできません。と言っていいものだろうか。お店に来て事情聴取ってことは私個人の話じゃないし、警察から疑われたら商売に問題ありそうなわけで…
そんな無駄になる考えに熱中していると、そのときは訪れた。
警官に質問された時の三倍は鼓動が早くなった、というよりも心臓が跳ねた。跳ねすぎたせいか、手足の末端にあった冷たい血液が急速に心臓付近に集まったのだろう、心臓の近くの体温が2度ほど下がったように感じた。なのに背中にはそれ以上に冷たい汗が流れたように思えた。
なぜそのような症状に襲われたかというと、鉈の形をした肉切り包丁がテーブルに突き刺さっていたからだ。
10mはあろうかという距離を足の悪い店長が包丁を投げて私の脇をかすめ警官のテーブルに突き刺したのだ。
「警察さん悪いね。質問するのは勝手だが、商売の邪魔はしちゃいけないでしょう。みなりがなっちゃいない人間はこの店に入っちゃいけないみたいになったら営業が立ち行かなくなる。うちの客はそんなに上品じゃないですよ。というわけで、質問はこ^それぐらいにしてくださいな。シズク注文もらったらその包丁もこっち持ってこい。お前の仕事は警察の質問に答えるんじゃなくて配膳だ。」
警官もびっくりしており、落ち着こうと手を震わせながら水を飲んで何も言わなかったので包丁を抜いて「失礼します」とだけ残してカウンターに帰った。
私はカウンターから厨房へ包丁を向こう側に差し出した。
「刃物を渡すときは柄をこっちに向けて渡すもんだ。覚えとけ。」
「はい。あの、ありが…」
「それじゃ、それさっさと運べ。」
そういって、店長は厨房に帰ってしまった。
…仕事しますか。
私が勘定と配膳で手一杯で回っている中の一人として先ほどの警官はそのまま食事を終えると何もなかったように金を払い出て行った。
ありがとうございましたとテンプレートの言葉で送り出した。
気がついた頃には客はもう疎らで常連の客しか見えなくなっていた。
そもそも、常連の客しか来ていないと言われたらその通りである。まぁ、閉店近くまでいるのはだいたいいつもの面子なのだ。
店長は一皿料理を持って客用のテーブルに腰をつけた。
私はそれを確認して表の看板を取り下げ、普段なら店長と一緒にその皿を突っつくのだが…
「すいません。店長ちょっと行きたい場所があるので出てきます。」
「この時間にか?」
「そうです。今日はとても月が綺麗なんですよ。」
そういって、エプロンをカウンターの椅子に放り投げて表の入り口に手をかけた。
「何も持たずに?」
「ええ。では入ってまいります。」
そういって、軽やかにドアを開けた。
閉じかかったドアの隙間から「心配か?顔に書いてあるよー」
っと、酔っ払いが店長に絡んでるのが聞こえた。




