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【完結】ルシィ・ブランシェットは思い出した。  作者: さき


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「……(誰かの名前を呼びたいのに)」


 止まぬ振動と続く鳴き声、それに人の喧騒。

 それらを頼りにルシィがグラウンドへと向かえば、そこではリル(ドラゴン)が数人に囲まれ威嚇するように尾を逆立てて唸りをあげていた。

 灰色の硬い肌は無数の傷を負いあちこちから赤黒い血を滴らせている。それでも囲む人間達は容赦なく、避けられないようにと息を合わせて炎の球を放っては灰色の肌を焦がそうとしていた。相当な威力なのだろう、受けるたびに巨体が身動ぎ高い声を上げる。


「リル!」


 痛々しい姿にルシィが助けに行こうと駆け出し、グイと腕を掴まれた。

 振り返れば息を切らせるクラウディオの姿。その背後にはオルテンシアとコンラドの姿まであり、ルシィが浅く息を吐きながら順繰りに視線をやった。


「……クラウディオさん」

「ルシィ、行くな」

「でも、リルが。あの子このままじゃ……」

「見つかったらどうするんだ」

「……え?」


 クラウディオに咎められ、ルシィが目を丸くさせた。

 見つかる、とはどういうことか。わけが分からないと呆然と彼を見上げ、次いでグラウンドへと視線をやった。リルを囲む男達はみな重装備をしている。だがその装備はこの国のものとは少し変わっていて、造りや留め具がどことなく東の国を彷彿とさせた。

 東の……そうだ、とルシィが浮かび上がった記憶の欠片を繋ぐ。


 あれは東の国の研究所の警備服だ。

 きっと彼等はリルを追ってきたに違いない、そしてリルは私を探していて……。

 なら私は? なんでここに居るんだっけ……。魔法を使うこの学院に、記憶を忘れるリスクを背負ってまで入学した理由は……。


「学院長とエレンナさんに聞いた。ルシィ、君はこの学院に逃げて来たんだろう」


 そうクラウディオに答えを突き付けられ、ルシィが僅かに目を丸くさせ……そして思い出した。

 寮や色に関わらず魔力を持つ者が集い、そして未熟がゆえに魔力を押さえられずにいる。そのうえ子息令嬢を預かっているため常に強い魔法で外部からの干渉を弾いている。混濁としたこの地は、だからこそ身を隠すには最適だと思えたのだ。

 この学院で過ごし、卒業までに魔力を押さえる方法を学んでまたどこかに逃げよう……そう考えていた。


 研究所から逃げて、あちこちを旅するように逃げまわって、時には逃げるために時には匿ってくれた人達を守るために魔法を使って、そして忘れた。


「彼等の狙いはあのドラゴンだ、君じゃない。辛いだろうが今は我慢するんだ」

「でもリルが……ようやく会えたのに」


 訴えるようにクラウディオを見上げ、ルシィが胸元の本に手を添えた。

 この本を書き始めたのもリルの為だ。幾度となく忘れその度に鳴いて擦り寄ってくれた愛しい子を、はじめて『忘れたくない』と思った。だけどその時既に『忘れない』ということが無理になっていて、だからこそ思い出せるように書き残すことにしたのだ。

 いつ忘れてしまうか分からないから常に身につけて、全てを書き残して読み直すことは出来ないから大事なことだけを……。

 あぁ、それすらも忘れていた……。


「クラウディオさんごめんなさい、私……今度こそリルのそばに居なきゃ」

「ルシィ、駄目だ……!」


 強く掴んでくる腕をそれでも振り払い、ルシィがリルの元へと駆け出した。

 クラウディオが追いかけようとし、それを横から現れた重装備の男達に羽交い絞めにして止められる。抗う声は普段の彼とは思えないほど荒々しく、怒鳴ると共に魔法を使ったことが分かる。だが異質な研究を前にはいかに王族の魔法といえど拘束を解くほどの威力は与えられないのだろう。

 オルテンシアとコンラドも同様、腕や体を取り押さえられながらも必死に呼んでくる。

 それでもルシィは叫ぶように謝罪の言葉を口にし、リルの足元へと駆け寄った。


 リルの瞳がルシィを捉える。

 その瞬間にブルリと体を震わせ、灰色の背に巨大な翼を生やした。猫とはとうてい思えないシルエットに、どうしてそばに居てやらなかったのだろうと己への怒りが湧く。

 身体が変わっていくのはさぞや怖かっただろう、苦しかっただろう、心細かっただろう……その間も自分は全て忘れて生きていたのだ。


「リル、ごめんね……もう居なくならないから」


 震える声でルシィがリルに近付けば、唸りをあげていた巨体がゆっくりと顔を摺り寄せてきた。

 ニャーン、と、高く鳴くその鳴き声は以前のままだ。本を読むより話に聞くより鮮明に過去を思い出し、ルシィの頬を大粒の涙が伝う。両腕を伸ばせば甘えるように鼻先を摺りよせてきて、抱きかかえる程の大きさにバランスを崩しかけるがそれでも抱き付く様に腕を回した。

 だが次の瞬間リルの体が大きく動き、獰猛さすら感じさせる低い唸りをあげた。ルシィが現れたことにより一時的とはいえ攻撃の手を止めていた男達がゆっくりと歩み寄ってきたのだ。

 リルが唸りを強めて身を低く構えた。バサッと豪快な音をたてて翼が一度大きく震え、飛び立とうとしているのが分かる。

 男達の顔に焦りが浮かび、今まで放っていた炎とは比べ物にならないほどの強い光を手に宿し始めた。逃がすくらいならば殺そうと考えたのだろう、肌に感じかねないほどの敵意と殺意にルシィが小さく体を震わせれば、リルが左の前足でグイと体を掴んできた。

 このまま連れて飛ぼうとしているのだ。それを察してルシィがクラウディオ達に視線をやれば、立ち尽くし呆然としながらこちらを見つめているクラウディオと目が合った。金糸の髪が乱れ、普段の優しく爽やかな笑みも子供のような悪戯気な笑みもなく、ただ目の前の出来事すべてが信じられないと言いたげである。


 それでも小さく「ルシィ」と、この場でその声が届くわけがないのにはっきりと彼の声が聞こえた。

 戻って来いと、行くなと、彼の青い瞳がそう訴えている。

 それが分かっていても戻れないのは、リルの前足がしっかりと体を掴んでいるからだ。太く硬い左前足、そして細く先の丸くなった短い右前脚も必死に寄せてくる。

 これを振り払うなんて出来ない……。ごめんなさい、とルシィが彼等に告げ、リルの腕を優しく撫でた。


 その瞬間グイと体が吊られ、爪先が地面を掠める。

 元居た場所が一瞬にして眼下に遠ざかり、こちらを見上げる者達を見下ろしてようやく自分が空にいるのだと知った。遮るものがなくなり風が直に頬を撫でる。あれほど高いと感じていた校舎の屋根も手を伸ばせば届きそうなほどだ。

 もう一人では降りられない、そう考えてルシィがリルの腕を撫でれば、グルルと低く喉を鳴らしながらリルがゆっくりと羽を揺らして空を飛び……、


 地上から打ち上げられた炎の球を腹に喰らい、上空で大きくバランスを崩した。


 リルの腕の中にいたルシィの体を熱風が覆う。次いで襲うのは落下の感覚。胃を下から押し上げられているかのような不快感にルシィが耐え切れず悲鳴をあげれば、リルの腕がより強く体を包み、そして体中に打ち付けるような衝撃が伝った。



 木々がへし折れる音と鳥が一斉に飛び立つ音、それらが鳴り響き一瞬にして静まり返る。

 そんな音の根源にいたルシィは体中を襲った衝撃に呻きつつも、ゆっくりと瞳を開くと共に周囲を窺った。先程まで眼下に広がっていた森が今は頭上で生い茂っている。その一部が無残に開けて木々が折れて散乱しているあたり、そこに落ちてきたのだろう。

 ……リルと共に。体を丸めたリルに守られながら。


「……リル」


 落下の衝撃でいまだクラクラと視界が揺らぐが、それでもゆっくりと体を起こす。あれほど体を強く掴んでいたというのに灰色の腕には今は力が入っておらず、重さこそあるが容易に押しのけることが出来た。

 それが不安を誘い、力の抜けた足でなんとかリルの頭へと近付いて顔を覗く。ダランと力なく下がった頭が更に不安を増させ、ルシィがそっと額に触れた。

 硬い。昔のような柔らかな毛はなく、まるで岩肌に触れているかのように感じる。それでも額を撫でれば瞳を細め、耳をピクと揺らした。浅い呼吸を繰り返し、虚ろな瞳でジッとルシィを見つめてくる。

 呼ぼうとしたのだろう、開いた口には鋭利な牙が生え揃い、その隙間からヒュッと掠れた音と血が溢れた。


「リル、どこか怪我してるの? 大丈夫?」


 緩慢な瞬きを繰り返すリルの意識を呼び戻すように名を呼び続け、ルシィが頭から首を擦り胴へと手を伸ばす。そうして腹部に視線をやり息を呑んだ。

 折れた大木が灰色の皮膚を突き破り痛々しいまでに深く刺さっている。塗りたくられたかのように赤い血で覆われ、滴り落ちて地面を暗く湿らす。


「……だ、大丈夫だからね……今、私が」


 真っ赤に染まったリルの腹と生気を失っていく瞳を交互に見つめ、ルシィがそっと己の胸元に触れた。本があれば……と、だがそこではじめて常に肌身離さず持っていたはずの本が無いことに気付いた。胸元にいくら触れても、指先が布越しに肌を撫でるだけなのだ。

 服を揺すっても落ちてくるのは切れた銀の鎖だけ……。落下の衝撃でどこかに落としたのか、だが周囲を見回しても見当たらず、木々を見上げても引っかかってはいない。

 その間もリルの灰色の体は赤く染まり、呼吸が浅くなる。数秒瞳を閉じては微かに開き、また閉じて……と、その緩慢さが事態の深刻さを物語っている。

 それを見て、ルシィがそっとリルの頭に触れた。優しく撫でれば浅い呼吸の中で微かにニャーンと高い音がする。


「リル、大丈夫だからね。今治してあげるから」


 そう告げてルシィがリルの腹に触れ、己の手元に意識を集中させた。

 脳がジンワリと揺らぎ縮むような不快感が湧く。今までのことが緩やかに蘇っては端から崩れ落ちて吸い取られていく……。

 コンラドと一般階級の料理を食べながら話をして、負けず嫌いなオルテンシアとボードゲームを楽しんだ。二人の声が記憶に蘇り脳の奥底に沈んでいく、そこからポタポタと水滴のように落ちていき、ついさっき思い出した言葉が出てこなくなる。


『ルシィ、俺とパーティーに行ってくれないか?』


 あぁ、この声は誰のものだったか……。今はもう思い出せず、ボンヤリと浮かんだ誰かの顔も記憶の中に崩れていく。

 そうして最後の一欠けら、優しく頭を叩かれる柔らかな感触がフツと音を立てるかのように消え、ルシィの意識が白く瞬いた。




 そうして数分後、ルシィは目を丸くさせてその場に尻もちをついていた。

 なにせ目の前には灰色のドラゴンがいるのだ。見上げるほどの巨体、鋭利な爪、捕食する気はないのかそれでもジッと見つめてくる。

 いったいどうしてこんな森の中でドラゴンと向き合っているのか、さっぱり分からない。そのうえ体中が痛くてあちこち小さな傷がついている。これで混乱するなという方が無理な話だ。

 この状況も、この状況に陥るまでの過程も何一つ分からない。

 ……分からないが、どうしてか涙が止まらず、震える唇でゆっくりと口を開いた。

 誰かの名前を呼びたい、誰かに伝えたいことがあった。だけどそれが誰のことなのかが分からない。

 混乱する意識の中、癖なのか胸元に手を添える。だがそこには何もなく、布越しに指が肌を撫でるだけだ。


 胸元に何があったのかも、己が誰の名前を呼びたがっているのかも、誰に何を伝えたかったのかも、


 ルシィ・ブランシェットは何一つ思い出せずにいた。




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