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ルシィ・ブランシェットは思い出した。 作者:さき
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「リル、リル……!」


 チチ、チチ……としきりに交わされる鳥の鳴き声にルシィが目を覚ました。

 それと同時に視界に映りこむのはオルテンシアの寝顔。色濃い瞳は閉じられ、薄く開かれた唇からは微かに寝息がもれる。普段の高飛車な雰囲気も今は鳴りを潜め、少女らしい愛らしさを感じさせる。金の髪が白いシーツに広がり、その美しさにルシィがそっと手を伸ばして一束掬い指に絡めた。

 柔らかくスルリと滑っていく、手入れのされた髪だ。その感触を楽しむように何度も指に絡めては滑らせてと繰り返していると、違和感を覚えたのかオルテンシアが眉を顰めて「んみ……」と小さく声をあげた。

 しまった起こしてしまった、とルシィがパッと手を離す。だがオルテンシアは瞳を閉じたままで、それでもノソと緩慢な動きで腕を動かすとベチンとルシィの頬に手を落とした。

 ベチン、ベチン、と数度上げ下げし、ムニムニと押してくる。

 痛くはないがなんとも言えない感触に、ルシィがさすがに声を掛けようとし、


「ルシィ、大丈夫……大丈夫、よ……」


 というオルテンシアの寝言に出かけた言葉を飲み込み、ようやく己の枕が濡れていることに気付いた。

 寝ている内に泣いていたのだ。それを自覚すれば再び瞳から涙があふれ、頬を押していたオルテンシアの手が乱暴に拭ってくる。

 きっと夜通しこの有様だったのだろう。気付かれ慰められていたのだと知れば気恥ずかしさと申し訳なさが湧くが、ベチベチムニムニと触れてくる手を拒否する気にならず、止まらぬ涙を零しながらルシィが小さく息を吐くと共にゆっくりと瞳を閉じた。



 ルシィの起床時間はオルテンシアより一時間ほど早い。

 自分の身支度に加えて彼女の朝食やホットコーヒーを用意しなくてはならないからだ。

 とりわけホットコーヒーに関しては未だに「苦い」と文句を言われており、ルシィはもうお手上げ状態であった。だが今朝は違う。以前から抱いていた「もしかしたら」という懸念を試そうと決意していたのだ。

 試して、その結果を書き残しておかなくてはならない。リルの件もあり自分がどうなるか分からないからだ。躊躇っている余裕も無い、下手すれば躊躇っていたことすらも忘れてしまうのだから。


 そう決意し、手元に用意したホットミルクとホットコーヒーに視線を向けた。もちろんホットミルクは適温――ぬるいとも言う――に冷ましており、ホットコーヒーはまだ湯気を放っている。

 まず二つのカップに砂糖を入れる、ホットミルクには少し多目に。次いでホットコーヒーを小匙スプーンで一杯分掬いとった。

 普段ならばこの小匙一杯のコーヒーに更に砂糖を増すのだ。そうして溶けきれずドロドロになったものを適量ホットミルクに入れて完成である。

 日々「苦い」と文句を言われてコーヒーの分量を減らしていき、最近では小匙スプーンの三分の一程度である。それでもオルテンシアには苦いらしく、昨日言われた「平民はコーヒーもまともに淹れられないのね!」という言葉を思い出してルシィが眉間に皺を寄せた。あの時は「いっぺんブラックのコーヒーを飲ましてやろうか」と良からぬ考えが浮かんだが、朝方の彼女の寝言を思い返せばその悪戯心も消え去ってしまう。


 そうして、小匙スプーンに掬いとったコーヒーをホットミルクに入れ……はせず、そのままコーヒーのカップに戻した。

 つまりホットミルクはホットミルクのままだ。一滴たりとも入っていない。正真正銘ホットミルクである。

 バレたらさぞや文句を言われることだろう、そんなことを考えながら待てばガチャンとルシィの部屋の扉が開いた。出てきたのは「ぷみぃ……」と目を擦りながら寝癖のついた金糸の髪を揺らすオルテンシア。


「オルテンシア様、おはようございます」

「みっ、みぷー」

「鳥の鳴き声がうるさくて起きた? さすがにそれは私に言われても」

「み゛いー」

「え、文句を言ってくる? 鳥にですか? まぁ、構いませんけど……」


 どうやって鳥に文句を言うつもりなのか定かではないが、やりたいと言うのであれば止める理由も無い。

 そうルシィがオルテンシアに告げれば、彼女は眠たげに眼を擦りつつも再びルシィの部屋へと戻って行った。

 ガチャと窓が開く音がする。もちろん寮の窓には落下防止の魔法がかけられているため、寝ぼけ眼でも落ちる心配はない。だからこそ放っておこうとルシィが朝食の準備を続けていると、部屋から「み゛っ!」と声が聞こえてきた。

 あいにくとこの「み゛」の意味は分からないが、叱咤の「み゛」か威嚇の「み゛」かどちらかなのだろう。現に部屋から出てきたオルテンシアはスッキリとした顔をしており、それどころか一仕事やり終えた雰囲気さえ漂わせていた。


「窓の縁にとまって鳴くのは止めるよう言い聞かせてやったわ」

「それは有難い。では朝食をどうぞ」


 促せばオルテンシアが席に着く。

 そうしてルシィが「ホットコーヒーです」とカップを彼女の前に置いた。中は真っ白、コーヒーが一滴たりとも入っていないのだから白いのも当然である。

 それを受け取りオルテンシアがコクと一口飲み込む。見守るルシィの緊張といったらないがオルテンシアはそんなこと気付きもせず、フゥと一息つくと、


「ようやくローズドット家の味になったわね」


 と満足そうに頷いた。

 ルシィが膝から崩れ落ちたのは言うまでもない。


「今まで指導してきたかいがあったわ。覚えが悪くて困ったけれど、これで毎朝満足のいくコーヒーを飲める……み? ルシィ、どうして頭を抱えているの?」


 み?み?と尋ねてくるオルテンシアに、ルシィが盛大な溜息と共に「なんでもございません」と返した。



 そうして二人揃ってテーブルに着き朝食とホットコーヒーを――もちろんオルテンシアのカップにはコーヒーの成分が一切入っていないのだが――堪能することしばらく、カタと小さく聞こえた音に顔を見合わせた。それも一度ではなくカタカタと小さな音と振動が続き、テーブルの上では白と黒のホットコーヒーが微かな波紋を作っている。

 といっても慌てたり悲鳴をあげるほどの揺れではなく、二人とも座ったまま不思議そうに周囲を見回した。だが続いて聞こえてきた低く唸るような声には流石にビクリと体を震わせ立ち上がる。

 人の声ではない。獣の雄叫びとも思えない。もっと巨体な生き物の威嚇の声……。

 まさかとルシィの額に汗が伝い、ほぼ同時にヴンと室内に微かな唸りが走った。


『全校生徒に告ぐ。外に居る者は至急寮に戻り、許可が下りるまで自室で待機すること。ルームメイトが戻らない者は……』


 緊急性の高い伝言を数度繰り返すのは学院長の声だ。だが普段の気さくさはなく、緊迫した空気が声のみでも漂ってくる。よっぽどの事態だと察したのか、みぃ……とオルテンシアが不安そうに周囲を見回し、次いで彼女の手の中に銀色の小鳥が一羽現れた。偵察の魔法なのだろう、見れば何羽かの鳥が窓の外を飛んでおり、オルテンシアが放った一羽も窓をすり抜けてその中に加わり風を切るように飛んでいった。

 その間も揺れは途切れることなく、時折は甲高い鳴き声が混ざる。

 そんな中、オルテンシアが「まぁ」と声をあげた。先程放った小鳥から早速情報を得たのだろう、驚愕と言いたげなその表情にルシィが先を促すように視線を向ける。


 願わくばどうか先程の唸り声がリルではありませんように。

 例えば森に生息する狂暴な熊が学院内に入り込んできたとか、そんな無関係な事件でありますように……。


 そう願いつつも心臓は痛い程に鼓動を刻み喉が渇き、最悪なパターンしか思い浮かばない。

 落ち着けと自分に言い聞かせつつ、ルシィが困惑の表情を浮かべるオルテンシアの次の言葉を待る。瞳に恐怖の色を宿した彼女は信じられないと言いたげに口元を手で覆い、そうしてポツリと呟いた。


「……ドラゴン」


 その瞬間ルシィがかつて愛した飼い猫の名を叫ぶように口にし、オルテンシアの制止も聞かずに部屋を飛び出した。

 ガタと机が揺れてカップが倒れ、まだ残っていたコーヒーが零れてテーブルを伝う。だが今のルシィにはそれを気にかけている余裕もましてや片す余裕も無く、今朝淹れたホットコーヒーの分量をノートに書き残しておく余裕も無かった。





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