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【完結】ルシィ・ブランシェットは思い出した。  作者: さき


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「おやすみなさ……早い!」

 小さく名前を呼べば鳴いて返してくる。だがあの時の猫らしい可愛い声ではなく、轟音とさえいえるものだ。

 それでも名を呼ばれたことが嬉しいといいたげに瞳を細めるところは変わらず、ルシィの頬を涙が伝った。


 可愛らしい灰色のリル。

 小さくて腕の中におさまったあの丸いシルエットは今はもうなく、やわらかな灰色の体はひび割れた地面のような硬い肌に覆われ、柔らかく時折キュウと握ってきた小さな手は鋭利な爪を光らせ、いったい誰がこの姿から元の愛らしい猫を想像できるというのだろうか。


 まったくの別物だ。面影なんて何一つない。

 だけどリルだ。目の前にいるのはリルなのだ。

 胸に沸くこの愛しさが何よりの証拠。今まで何を思い出してもそこにあった感情は伴わなかったのに、今だけはリルの思い出と共に当時抱いた感情が蘇る。何度も抱きしめ、ベッドの中で共に眠った、ゴロゴロという喉の音がうるさくて眠れないと笑って、起床時刻より随分と前に鼻を舐めて起こされた。その思い出と、そして日に日に増していった愛おしさ。


「そっか、失敗してその姿に……。私のこと探しに来てくれたんだね……」


 思い出せば、リルはいつも迎えに来てくれた。何度も忘れ、そのたびに「随分と人懐っこい猫だ」と抱き上げればニャーンと鳴いて鼻先を摺り寄せてきたのだ。

「あぁ、そうだ。私が飼っていたんだ。確か名前は……」と、そう告げれば右前脚を差し出してくる。そこに巻かれたベルトを見ていつも思い出し、名前を呼んでいた。


 それを思いだせば、まるで当時を再現するかのようにリルが右前脚を差し出してきた。

 だがそれはルシィまでは届かず、身体の近くで細く歪な脚が揺れるだけだ。ベルトが喰い込んで壊死したのか、それとも大きくなる過程で右前脚だけ不具合が生じたのか。

 どちらにせよその一本だけが不自然に細く、ベルトから先が無くなっている。


「痛かったでしょ……。噛み千切っちゃえばよかったのに」


 そうベルトがら下がる『リル』と書かれたチャームを眺めて告げれば、フンッと強い鼻息で返された。

 機嫌を損ねた時のリルの分かりやすい癖だ。昔は喉と鼻先をくすぐってやれば直ぐに機嫌が良くなった……そう思い出して見上げても今はもう届きそうにない。


 それでも、とルシィが手を伸ばそうとした瞬間、校舎の奥から人の声と足音が聞こえて来た。リル(ドラゴン)がいると知って警備が駆けつけてきたのだろう。リルがそれい対して警戒の色を見せ低く唸り、フルリと背を震わせると共に翼を広げた。まるで鳥のような、それでいてどこか歪な翼。

 まるでドラゴンのようだと、そんなことをルシィが思考の片隅で想う。「あぁリル、猫なのにに空を飛ぶなんて」と。もう猫ではないのに。

 そうしてリルは強く地を蹴ると空へと舞い上がり、古城と月を背負いゆっくりと翼を動かして夜闇に姿を消した。

 その光景は物語のように幻想的で現実感がない。だがそれに見入っているわけにもいかず、リルの姿が見えなくなるまで見届け、ルシィも警備に見つからないようにと周囲を窺いつつ寮へと戻った。




「……どうしたのよ」


 とは寮に戻ってきたルシィに告げられたオルテンシアの言葉。

 扉を開ければ玄関先で彼女が仁王立ちしていたのだ。だがてっきり怒鳴られると思いきやこの一言、ルシィが虚を突かれたと目を丸くさせ「どうとは?」と首を傾げた。


「……別に何でもないわ。さっさとお風呂に入って、そしてすぐに私のホットコーヒーを淹れなさい」

「は、はい」

「まったく、何かあったのかと思ったらケロっと帰って来て。これだから平民は嫌なのよ」


 不満げなオルテンシアの言葉にルシィが頭上に疑問符を浮かべれば、フンとしそっぽを向いてリビングへ戻ろうとしていた彼女が不服だと言いたげに数十分前のことを話し出した。

 曰く、許可がおりるまで自室から出るなと緊急の伝達があったらしい。そのうえルームメイトが不在の部屋は教師に連絡するようにと。これはリズテアナ魔法学院において異例の緊急警報である。きっとリル(ドラゴン)が学院内に入り込んだことを知り、生徒の安全を守るために発動させた伝令なのだろう。

 それを話し終え、オルテンシアがブツブツと「なんで私が」と文句を言いつつ伝書の鳥を出して飛ばす。聞けばルシィがまだ戻ってきていないことを先生達に知らせたらしく、それを撤回するための鳥なのだろう。美しい尾と羽を揺らした鳥だったが、魔力の無駄遣いだったと睨み付けてくるオルテンシアの不機嫌具合を見るに文面は棘があるかもしれない。


「ご心配おかけして申し訳ありませんでした」

「みっ!? し、心配なんかしてないわ! 報告は寮で生活する者の義務よ!」

「そうですか」

「そ、そうよ……。それに心配かけて申し訳ないと思ってるなら明日クラウディオ様に謝罪なさい」

「クラウディオさんに?」

「貴女が帰ってきていないと知って探しに行くとまで言い出したらしいわ。コンラドが止めてくれたけど、まだ戻ってこないのかってひっきりなしに伝書の猫が来て大変だったんだから」

「……それはご迷惑をおかけしました」


 ポツリと呟くようなルシィの謝罪に、オルテンシアもまた「みぃ」と小さく呟いた。

 それ以降は互いに黙りこくってしまい、妙な沈黙が漂う。耐え切れないとルシィが視線をそらし、風呂に入ってきますとオルテンシアの横を通り抜けた。

 日頃高飛車に我儘を言われみぃみぃと喚かれてはいたが、こんな風に気まずさを感じて居た堪れなくなったのは初めてなのだ。去り際に「ルシィ」と小さく名前を呼ばれたが、聞こえないふりをして浴室へと逃げ込んだ。



 手早く入浴を済ませ、オルテンシアのためにホットコーヒーを淹れる。もちろん寝る前のホットコーヒーなのでコーヒー抜きなのだが、今日に限ってはそれに一言いってやる気も起きず、ただ黙って彼女に差し出した。

 そうして自室へと戻れば、机の上にちょこんと一匹の猫が座っていた。後ろの壁紙が空けているあたり伝書の動物だということは一目で分かる。だというのに一瞬だがドキリとしてしまい、これはリルではないと自分に言い聞かせて心を落ち着かせると猫へと近付いた。


 長毛の綺麗な顔つきの猫だ。

 以前、伝書の動物の見た目は主の魔力に比例すると聞いた。

 魔力が高ければ高いほど猫ならば毛並みが美しく身体つきはしなやかで、鳥ならば美しい羽を持ち軽やかに空を飛ぶのだという。

 ちなみにその話をした際に試しにとコンラドが出した伝書の猫は、耳が垂れて少しばかり胴の比率が高い――手足が短いとも言う――猫であった。それもクラウディオやオルテンシアの出した伝書の動物のように大人しく座ってはおらず、なぜか引っくり返って足を広げた状態で出てきた。おまけに尻尾は鍵尻尾である。

 コンラドが「恥かしくて誰にも伝書を出せない」と嘆いていた……が、この猫にルシィとオルテンシアが歓喜の声をあげたのは言うまでもなく、クラウディオもコンラドを冷やかしつつも「これはこれで趣がある」と愛でていた。

 とにかく、魔力と動物の見た目が比例するというのならこれほど美しい猫は……とルシィが鼻先を撫でれば、猫が嬉しそうに瞳を細めてポンと便箋に変わった。



『無事でよかった。おやすみルシィ、また明日。 fromクラウディオ 追伸:返信不要』



 その文面を読み終えれば、便箋が再びポンと音をたてて消えた。

 だが文面はルシィの胸に残っている。なんともクラウディオらしい文面ではないか。柔らかく笑って頭を軽く叩きながら告げてくる彼の姿を想像し、ルシィが小さく笑みを零した。


 彼を想う度に胸を甘く灯らせるこの感情は紛れもなく恋だ。

 彼が好きだ。優しくて暖かい、それでいて時に悪戯気に笑う、愛しい人……。


 だけどこれは初恋だろうか?

 それすらも思い出せない。


「……クラウディオさん」


 小さく彼の名前を呼んでも返事は無い。

 だがまるでタイミングを計ったかのようにコンコンとノック音が部屋に響き、ルシィがはたと我に返った。扉を開ければそこには金糸の王子様……ではなく、金糸の御姫様の姿。

 もちろんオルテンシアである。質の良い寝間着を纏い、大き目の枕を抱えている。


「どうしました?」

「一緒に寝てあげる」

「……え?」


 頼んでも無いことを恩着せがましく言われ、ルシィが首を傾げる。

 だがそんなルシィを無視してオルテンシアは遠慮なしに部屋に入ってくると、そのままベッドに登った。それどころか、自分の枕を置くためにルシィの枕を隅に追いやっている。

 そうしてゴロンと布団の中で横になってしまうのだ。有無を言わさぬ強引さにルシィが目を丸くさせる。


「……また何か怖い話でも聞いたんですか?」

「違うわ」

「なら何があったんですか?」

「『何があった』はこっちの台詞(セリフ)よ。でも聞かないであげるから、そんな顔するんじゃないわよ」


 辛気臭い、と最後に毒を吐いてオルテンシアが深く息を吐いた。そうしてゆっくりと瞳を閉じるのはこれ以上話す気はないということなのだろう。

 その彼女らしい強引さに、ルシィが苦笑を浮かべて彼女の横に寝転がった。


 リルをどうにかしなくては。そしてクラウディオにこの気持ちを伝えて、それに……。

 やらなくてはいけないことがいっぱいある。だけど今は気持も意識も休ませよう、そう自分に言い聞かせて微睡みに任せるように瞳を閉じた。



 忘れないうちにやっておこう。

 眠る間際、溶けるような意識でそんなことを考えた。




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