第五話 手に入れた日常 5
自己紹介を含む最初のホームルームが終わり休み時間となった。
クラス全体が再び喧騒に包まれる。
自己紹介をしたためか先程よりも積極的に話をし合っているようだ。
そんな喧騒の中唯人の前に立つ人影がいた。
「はぁ~い。あ・い・ざ・わ・た・だ・ひ・と・君?」
唯人の机に両手をつき、乗り出すように席に就いた唯人に顔を近づけ一文字ずつ左右に首をかしげながら名前を呼ぶ。最後にはバチンと音がしそうなウインクまで付けてだ。
この高校生離れした美貌を持つ女にこんなことされたなら他の男子であれば一発KOだろう。
しかし、唯人にとってはただの嫌味な女にしか映らない。
「あれだけ呼ばれても気付かないなんてよっぽど緊張してたのかな~?」
「…」
「大体出席番号一番なんだから予想できそうなものなのに、ねぇ?」
そうなのだ。唯人は出席番号と言うものの存在は知っていたがそれが名前順で自分が一番だと言うことがすっぽり頭から抜けてしまっていたのだ。
「…緊張してたんだよ…」
唯人は緊張自体はしていなかったが本来の調子が出ていなかったことには違いないので些細な違いであり、あながち嘘とも言えない。
「そう?そんな風には見えなかったけど?そもそも今のこの状況でまったく動揺が見られない時点で大分肝が据わってると思うんだけど?」
どうやらもっと驚くとか恥ずかしがると言った反応を期待していたようで彼女は不満そうだ。
「それじゃあいったいなんだって言うんだよ?」
このままではペースに巻き込まれると思い切り返すが逆に核心を突かれる。
「そうね~、例えば…名前を忘れた、とか?」
「!!!」
「な~んてね。さすがに冗談よ」
(…何だこの女。確か名前は…)
「ああ、名前を覚えるのが苦手なんだよ。自分の名前も忘れちまうくらいにな。だから二度手間で悪いがもう一度自己紹介してもらっても良いか?たしか切り裂きジャックみたいな名前だったよな?」
当然だが唯人はこのクラスメイトの名前も知っている。
「ふふっ、なかなか面白い事言うわね~。いいわ。本当は同じことを二度も言わなきゃいけないのは無駄なんだけどね~」
ここでようやく彼女は上体を起こし背筋を伸ばし、胸に手を当て改めて自己紹介する。
「私は霧崎風香。大体普通私みたいな美少女の名前を忘れるとかありえないと思うんだけど?」
「そうか、そういうことなら覚えておこう」
「何がそういうことなのかわかんないけどちゃんと覚えるならまあ良いわ」
もちろんそういうこととは『普通なら』ということだ。
「で、その美少女がいったい何の用なんだ?」
いまいちからかう以外の用件が思い当たらない唯人は素直に尋ねる。
「ん~、一言で言うなら面白そうなのがいるな~って思ったから見に来たってところ?」
目を閉じ眉間にしわを寄せ、こめかみに人差し指を当てつつ若干自分でも悩みながら風香が答える。
「俺は珍獣か何かか?」
「ちょっと違うんだけど…、まぁそれでいいわ」
「…おい」
さすがに若干呆れだす唯人だったがまだまだ風香は唯人を付き合わすようだ。
「でさ、もう一人の珍獣に声掛けようと思うんだけど一緒に行かない?」
そう言って唯人の席から対角に位置する席を指差す。それは出席番号三十七番、湧澄玲奈の席だった。
「ああ、確か湧澄玲奈、だったか?特に珍獣って感じはしないと思うが…」
資料にも彼女のような人物はいたが大体がクラス委員長のような存在であり珍獣という捉え方になる理由が唯人にはいまひとつ理解できない。
そのあたりを尋ねようとした唯人だったが返ってきたのは全く関係のない答えだった。
「…名前を覚えるのは苦手なんじゃなかったかしら?」
(あ~、やはりとってつけたような言い訳では無理があるか)
先ほど自分で言ったことを自分で全否定してしまった唯人は何とかうまいこと切り返そうと思考をフル回転させる。
そして導き出した答えは…
「ああ、美少女の名前を覚えてるのは普通なんだろ?」
どう考えても風香の神経を逆なでするような回答だった。
――ダンッ!!
と再び唯人の机に両手をつき、俯きながら背中を震わせている。
見ようによっては泣いている様にも見えなくはないが、真正面にいる唯人にはどす黒い不穏な空気が感じ取れ、とても泣いている様には思えない。
それを裏付けるように、
「…ふっ、ふふふっ、…いいわぁ、やっぱり思ったとおり…。この私をこんなに笑わせてくれるなんて、…ねぇ?」
地の底から聞こえるような笑い声とともに彼女は顔を上げる。
その顔は確かに笑っていた。
その笑顔は、
喜び――獲物を見つけた喜び――
楽しみ――このオモチャでどうやって遊ぼう――
そういった感情に溢れていた。
そしてその笑顔を貼り付けたまま
「じゃあ行くわよ」
そう短く告げ、流れるような動作で唯人の腕を掴むと、無理矢理立ち上がらせ引っ張り出す。
無論、唯人は抵抗することもできたがこれ以上余計なことをしないほうがいいと判断し、彼女に引きずられるまま湧澄玲奈の席へと向かっていった。
騒がしい教室の一角。
まるでその空間だけが切り取られ、まるで物音ひとつしない図書室のような静寂を感じさせる席で、湧澄玲奈は一人配布されたプリントに目を通していた。
その独特の雰囲気に気圧されてか彼女に話し掛けようとする者はいなかった。
しかしそんなものは関係ないとばかりに彼女に近づく人影が二つ。
「ど~も~、湧澄さん。さっきはご苦労だったわね~」
その場の雰囲気――と言っても彼女らの周辺だけだが――にそぐわない調子の声が掛けられる。
手に持っていたプリントを一旦机の上に置きつつ玲奈が応える。
「えっ…と、確か霧崎さん、だったかしら?」
「ええ、そう。霧崎風香。どっかの誰かさんと違ってちゃんと名前を覚えていてくれてうれしいわね」
ここに来てようやく唯人を引きずっていた手を離し、
「で、こっちが自分の名前も忘れちゃってた相澤ね」
唯人の紹介もする。
「大変だったわね。相澤君。最初と言うのはやっぱり緊張するでしょうし気にしないほうが良いわ」
と、玲奈はフォローしてくれるが…
「いやいやいや、普通名前呼ばれれば気付くでしょ?湧澄さんも自分の名前だと遠くとか小さい声でも結構聞こえたりしない?例えば…」
そうしてゆっくりと振り返り、
「そこでこそこそと陰口たたいてる連中の話とか、さぁ」
…話はとんでもない方へ飛び火していった。
もはや説明する必要もないかもしれないが唯人はもちろんその陰口云々には気付いていた。
内容としては
「なんかあいつ偉そうじゃね?」
「生意気じゃね?」
「調子乗ってね?」
といったところだ。
どうやら先ほどの委員長的発言が気に入らなかったらしい。
しかし風香が気付いていたことには正直驚いていた。
彼女らの声は陰口をたたくのに相応しいほどには小さく、この騒がしい今日室内では容易に聞き取れる音量ではない。
それこそ本人でなければ。
驚いていたのは唯人だけではない。
指摘された連中はもちろん玲奈もまさかこんなに堂々と指摘する(される)とは思っても見なかったようで驚きを隠せない様子だ。
「ちょ!?別にあたし達湧澄さんの悪口なんて言ってないし!?」
「そーだし!言ってないし!」
「てかあんたなに人の話盗み聞きしてんだよ!」
指摘された彼女達は知り合いなのだろう。四人でこそこそと話をしていたがいきなり指摘されて動揺したのかあわてて反論してくる。
(…ほとんど白状したようなもんだな)
唯人がそう思っていると
「誰もあんたたちとは言ってないんだけど?ついでに言うと湧澄さんのとも言ってないんだけどね~?」
風香が失言を見逃さず更に指摘する。
(こっちはこっちでほとんど言ったようなものなんだけどな)
唯人は心の中でツッコミを入れるがわざわざ声に出したりはしない。
指摘されたほうは動揺しているせいか素なのかは知らないがそのことについては言及せずに押し黙ってしまう。
風香は勝ち誇ったように彼女らを見つめ、更なる追撃を浴びせようと口を開く。
…が、次に声を発したのは玲奈だった。
「別に気にしてないわ」
これには唯人や陰口's、そして風香でさえも驚いて玲奈のほうを振り返っていた。
「根も葉もない噂っていうなら遠慮してもらいたいところだけれど、さっきの私の行動が気に障ったというこのなら事実ですもの。受け取った側が不快に思ったのならむしろ謝るのはこちらだわ」
そして玲奈はわざわざ立ち上がり
「ごめんなさいね」
そう言って頭を下げる。
陰口'sもここまでされるとは思ってもみなかったようで、
「いや、その、あたし達も悪かった…し?」
「そうそう!ただ話しのネタにしたってだけで本気で思ってたわけじゃないし!」
「こ、今回はお互い様ってことで、ね?」
「ご、ごめんなさい!!」
そうそれぞれが告げると気まずくなったのか教室を出て行ってしまった。
(ふぅ、やれやれ)
唯人は面倒なことにならずに済んで安堵のため息をつく。
(これじゃ資料でスルーしていた部分みたいな展開じゃないか)
その資料の様に面倒ごとを起こして家庭訪問やら親の呼び出しなどされてしまうと更に面倒なことになってしまうだろう。
そんな唯人とは対照的に風香は物足りない様子だ。
「な~んか思ったよりあっけないと言うか小物だったと言うかそこまでのクズじゃなかったって感じね~。正直物足りないわ」
(物足りないって言っちゃったよ…)
(こいつといるとまた面倒ごとに巻き込まれそうな――)
などと唯人が思っていると
「―-と、まぁこんな具合に自分の名前って言うのは割りと耳に入ってくるわけよ」
さて本題、と言わんばかりに風香が話し始める。
「…は?」
「…え?」
いきなり数分前の会話に戻り玲奈は完全に思考が追いついていない。
一方の唯人は聞き返しはしたものの風香の言っていることを概ね理解していた。
つまり、先の一件は風香にとってこの話の前振りに過ぎず、ひいては唯人を弄るための前振りであったということだ。
「いくら緊張していたとはいえ、いや、むしろ緊張していたからこそ名前に反応できないなんておかしいでしょ?」
「名前を呼ばれて、『うひゃあっ』とか奇声をあげるって言うならまだわかるわ。でもあんたみたいに全く反応しないなんて変じゃない?」
湧澄さんもそう思わない?と同意を求め、さらに、
「そういうわけで私達が納得する説明を要求するわ!」
そういって指を突きつける。
その姿はまるで真犯人を追い詰める名探偵のようだ。
中身は迷(惑)探偵だが…。
こうなった以上何か理由を聞くまでは引き下がりそうにない。
そこで唯人は本当のことを話すことにした。
「…実は、俺が相澤唯人になったのはごく最近なんだ」
嘘をつく場合本当のことを混ぜろ、というのは詐欺師などをはじめとする犯罪者はおろか、一般市民にも浸透してきているいわば常識といってもいい技法だ。
見破るのが難しい上見破ったところでわずかな嘘であるため言い間違いや勘違いといった言い訳もきくからだ。
が、今回の唯人の場合は少々異なる。
「親が再婚して苗字が相澤になったばかりでまだあまり自分が呼ばれてるって感覚がないんだよ」
(『相澤さん』すまんが設定追加だ。)
そもそも唯人は嘘を本当としてここにいるためある程度なら嘘で塗り固めても本当とすることができる。
いわば嘘のリフォームだ。
匠もこの国では最高といって差し支えないのでバレる心配はないと言ってよい。
さらに唯人は意識していなかったが、日本では家族の生き死に、親の離婚再婚などの家庭の事情にはあまり踏み込まないという風潮があるため、
「あ~、なんか悪いこと聞いた?…かな?」
さすがの風香も戸惑っているようだ。
当然というかなんと言うか玲奈も気まずそうな表情を浮かべている。
「いや?どっちにしろ二人とも海外を飛び回る仕事でめったに会わないし別に確執があったりするわけでもないから気にしなくていい」
あまり気を揉ませるのも悪いと思いフォローを入れる。
するとすぐさま風香は調子を取り戻し、
「そかそか~。そういうことならしょうがないか~」
玲奈も唯人が不快な思いをしていないと知り
「そうだったの。そういえば私からは挨拶してなかったわね。湧澄玲奈よ」
改めて自己紹介をする。
唯人も風香に変な紹介のされ方をしたのでこちらも改めて名乗る。
「相澤唯人だ。よろしく。さっき言ったみたいに相澤は呼ばれなれてないしできれば唯人で頼む」
唯人になったのも最近だが自分でつけた名前だしきちんと意味もあるのでこちらで呼ばれればきちんと反応できる自信があった。
風香は
「おっけーおっけー。唯人ね。私のことも風香でいいわよ」
とあっさり了承し玲奈は
「そういうことなら、唯人君、で。私も玲奈でいいわ。ふふっ。男子と名前で呼び合うなんて小学校以来ね」
少々恥ずかしそうに了承してくれた。
風香と玲奈もお互いを名前で――こちらは呼び捨てで――呼び合うことにしたようだ。
ある程度話も落ち着いたところで彼らに声を掛ける者がいた。
「あっ、あのっ」
声のほうに目をやるとそこには先ほどの陰口'Sの一人、いや、彼女は陰口を言ってはいなかったので陰口'Sの友人というのが正しいだろうか。
ちなみに最後にちゃんと謝っていたのも彼女だ。
「さっきはすみませんでしたっ」
そう言うとショートボブの前髪を留めたヘアピンがはじけ飛びそうな勢いで頭を下げた。
「英ちゃんも美ちゃんも椎ちゃんも悪い娘じゃないんです。ただやっぱり初めて会う人ばっかりだったから怖かっただけなんです。それに私も止められなかったし…」
頭を下げたまま一気に捲くし立てる。
最初は友人達のフォローだと思っていたら、最終的に全部自分が悪かったんですといったことを強調しだす。
唯人たちは思わず顔を見合わせどうしたものかと視線を交わすがいずれにしろ一旦落ち着いてもらわなければ話もできないので自分が如何にダメなのかを延々と語っている彼女に声を掛ける。
「――で、ほんと私いつも皆に迷惑掛けてばかりで、「あ~、桜木さん?」ひょえっ!」
なぜ彼女の名前を知っているのかはもう説明不要だろう――風香がジト目で唯人を睨み付けているが唯人はスルーしている――。
その彼女は声を掛けられて驚いたのか飛び上がるように頭を上げる。
その顔は心底驚いた、というように目を見開いて口も開いてしまっている。
「一旦落ち着いてもらえるか?」
中腰になりながら桜木さんに語りかける。
なぜ中腰になるのかというとそうしないと目線が遭わないからだ。
一言で言うと彼女は小さい。
どこが、という問題ではなく全体的に。
中学生はもとより大きめの小学生と間違われてもぜんぜん不思議ではないレベルで小さいのだ。
彼女を動物に例えるならハムスターやらネザーランドドワーフ(小さいウサギ)あたり。大きく見ても子犬や子猫といった子供か赤ちゃんの動物に例えられるだろう。
それは単に小さいからというだけではなくどことなく庇護欲を誘うその容姿も重要なファクターといえよう。
「よし、まず深呼吸しようか」
そんな彼女と目を合わせながら一緒に何回か深呼吸したところで改めて
「俺達今まで自己紹介してたんだ。せっかくだし桜木さんも自己紹介していかないか?」
と提案する。
「あ、はい。そうですね」
そう了承すると自己紹介を始める。
「えと、桜木 梢です」
続けて唯人たちも自己紹介し先ほどと同じ流れでお互いを名前で呼び合うことを了承する。
呼び方については以下のとおり
風香さん⇔梢
玲奈さん⇔梢さん
唯人さん⇔梢
自己紹介も一段落したところで本題に入るために声を掛ける。
「少しは落ち着いたか?」
と声を掛ける。
「はい、ありがとうございます」
十分に落ち着いた様子で彼女が答える。
唯人は
「それはよかった」
そういいつつ乱れてしまっていた彼女の髪をなでつけ整えてやる。
「あうあうぁ~」
今度は別の理由で落ち着いていないようにも見えるが先ほどよりはましなので話を進める。
「どうしてまたあんなふうに謝り始めたんだ?」
唯人は欲の絡まない感情を察するのが苦手なため率直に尋ねてみる。
「えっと、それはですね――」
要約するとこうだ。
陰口'Sは同じ中学出身の友人でああいった軽口を言ってしまう事もあるけど、本心からそういったことを思っているわけじゃないこと。
多くの人がそうであるように始めての環境で弱みを見せたくないため虚勢を張ってしまっていること。
そして、彼女の気持ちとしては中学の友人と新しいクラスメイトがギクシャクしてしまうのが耐えられない。
といった理由で改めて謝罪をしに来たというのだ。
が、唯人たちからすれば先ほどの件はもはや話の前振りでしかなく陰口を言われた玲奈自身も全く気にしていないためどうでもいいと言っては悪いが必要のないものではあった。
とはいえ、世の中にはきっかけと言うものがあり、このある意味『無駄』とも言える謝罪をきっかけとしてこの四人は親しくなっていくこととなる。
それは人によっては運命と呼ぶほどのものかもしれない。
事実彼らはあまりにも現実離れした数奇な運命をたどることとなる。
が、それはこれより一年半ほど先に起こるためこのときの彼らには知る由もないのだが…。
中途半端ですが一旦ここで区切ります。
いい加減に日常編を終わらせたいのでこの回は相当カットが入っています。
いずれ外伝や回想で補完しようとは思っていますが、少々駆け足になってしまったのはひとえに技量不足としかいいようがありません。
※美ちゃんは無理があるのでみぃちゃんで。彼女達は当然ですがモブキャラです。
自身の中ではもう登場する予定はありません。