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4.

 異世界に召喚された三日後には、千花は寝台からおりられるまでに回復していた。もとは大怪我だったが、透の願いにより傷自体は完治していたためだろう。

 そうはいっても、千花の傷は身体よりも心の方が深刻なものだった。ゆえに、突然慣れぬ環境で生活する不安や地球、日本とはまったく違う常識に頭も心もついていかず、三日間も布団にもぐることになってしまった。

 右も左もわからない千花や透を、甲斐甲斐しく面倒みてくれた人々。召喚師という老人、侍女が身の回りの世話を焼いてくれ、騎士が部屋の扉の外で警備している。でもそれは、国の事情で千花や透を、有無を言わせず召喚してしまったことに対する責任と義務、そして罪悪感による行為かもしれない。

 透を召喚した理由ともいえる女王にはまだ面会は果たせていないが、国一の権力者だ。そうそう簡単に会えるものではないだろう。


 千花は寝台からおり、窓を開ける。

 晴れた空。朝日が部屋に射し込む。新鮮な空気を吸い込むように深呼吸していると、千花の寝ていた寝台から微睡んだ声がした。

「千花……?」

 寝台の上で、透が目をこすりながら上半身を起こす。

 異世界に来てから、透は千花の傍を離れなくなった。湯浴みなどの最低限のプライバシーは守られているものの、それは本当に最低限。日々過ごす時間も、食事の時間も、寝る時でさえ、彼は常に傍に在るのだ。

 結局、彼にも部屋が与えられているようだが、それはまだ一度も使われてはいないらしい。

 あまりの過保護ぶりに、違和感すら抱くことがある。しかし、透がそうしているのは、不安だからだと、千花は察している。今いる世界に来る前の千花も、気持ちはそうであったから。とはいっても、付き合いはじめた当初でも、四六時中一緒に過ごすことはなかったけれども。

「おはよう、透くん」

 寝台へと振り返って笑めば、彼はそそくさと千花に歩み寄り抱きしめた。

「おはよう、千花」

 彼は、幸せそうに笑い、千花のこめかみに唇を寄せた。


 その後、人が必要な時に、と渡された呼び鈴で侍女を呼ぶ。目覚めたら水を用意してもらい洗顔、食事をするというのがいつもの手順なのだ。

 ちなみに呼び鈴は、ハンドベルのように少し大きく、硝子でできているように見えた。原理はわからないが、それを揺らし音を出せば、音は遠く離れた場所でも十分届くらしい。

ただし、呼び出す際は呼びたい相手によって音の鳴らし方を変えねばならない不便はある。

侍女ならば”ちりりん”と小刻みに一回、神官ならば”ちりん、ちりん”と大きく二回、護衛が必要な場合は”ちりりんちりりん”というように、護衛の者が現れるまで断続的に鳴らすのだ。

 なので、今回は”ちりりん”と一回。


 千花の与えられた部屋は、義務教育の頃に一日の半分を過ごしていた教室と同じくらいの大きさをした一室。そこに、テーブルや寝台、装飾の入ったクローゼットまで生活できる一式が備わっている。

 見た目こそ中世や近世ヨーロッパの城を思いださせる造りだが、日常生活においてはすべてがすべて同じわけではないようだ。それは、歩んだ歴史の違いにあるのかもしれない。

 千花は、今いる世界を、もしかしたら地球のパラレル的存在という可能性を思う。千花や透に接する人々のマナーや服装、建物が多少違いはあれど、概ね同じなのだ。ともすれば、風土や生態等も地球の、おそらく昔のヨーロッパと近いと考えられる。

 その事実は、千花の心を安心させた。風土はともかく、生態の違いがもしあれば、異世界人である老人らは千花と透からすれば未知なる宇宙人やエイリアンとも等しい。透の親族が異世界人で、地球の女性と子を生せたことを思えばそれはそうだと納得はいくが、やはり数日を過ごすまでは不安があったのだ。

 大きな違いといえば、魔法や召喚の存在についてだろうか。地球にも、物語や神話では存在し人々を魅了してやまないが、それは自分にないものを求める心理、好奇心かもしれない。

 千花も透もまだこの世界の理や魔法、召喚について詳しく聞けたわけではない。真実は隠されることもあるかもしれない。

 それらを目の当たりにしながらも、結局二人はこの世界で生きるしかすべはないのだから、やがて千花も悩むことに面倒くさくなった。


 テーブルに用意された朝食に手をつけながら、千花は向かい席に座る透に尋ねる。

「願い、私に使ってよかったの?」

 魔法や召喚について考えていたら、ふと気になったのだ。

 目を瞬いた透は、どこか切なく目を細めながら肯定する。

「千花が一番大切なんだ。ずっと昔から。だから、かまわない」

「でも、浮気相手の女性が、私がいるから辛そうにしてるって言ってた」

 刹那、透は悔いるように顔を歪める。躊躇うような、後悔するような吐息をつく。

「――ごめん。もう、二度としない。本当に」

 その言葉を、何度聴いただろうか。千花はぼんやりと思った。

「千花にとって、自分がどれくらい大切な存在か、知りたかったんだ。社会に出て、千花がどんどん離れていっている気がして……。だから、不安になった時の確認だった」

 千花はなにも答えない。そんな理由だったの? と怒りか悲しみか切なさか、よくわからない感情が心に浮かぶ。けれど、痛みだけは感じない。こんなに透を愛しいと思うのに。

 透は席から立つと、千花の隣に移動して腰を屈めた。次いで、彼女の両頬を手で包む。正面から、真剣な眼差しで見つめるその瞳には、恋情と一途さが宿っていた。

「もう、どこにもいかないでくれ。――大切に、するから。幸せにするから」

 透の緊張した面持ちは、これまで滅多に見る機会がなかった気がする。それを今目にして、彼がどれほど本気で、真剣なのかがわかる。

 千花の心が弾んだ。自然と、花のような笑みを浮かべる。「嬉しい」と言葉を紡ぎながら。

 ――嬉しかった。

 ――ずっと待っていた言葉だった。

(幸せだなぁ)

 そう、思った。でも、と千花は心内呟く。

 幸せなど、いつまで続くかわからない。彼がいつまで求めてくれるかわからない。

 女王と透の血が必要だという。それは、なにを意味しているのか。

 きっと透に近寄る女は、これまで以上に増える。将来、王族の母になれるのだ。

 もしかしたら、女王が透を望むかもしれない。その時、彼は絶対に拒むといえるだろうか。

 未来のことなど、誰にもわからない。おそらく、魔法が蔓延るこの世界の住人であったとしても。


 ――決まった。願い事。

 ――壊れかけていた、千花の心。

 ――今、はっきりと、わかった。




***   ***   ***




 窓から見える漆黒の空には、満天の星が輝く。違う世界でも、夜は暗く、星が輝いているのが不思議だ。

 その空を、千花は部屋で、一人眺めていた。

 まるで母に甘える幼子のように、千花の傍から離れなかった透は、現在、湯浴みしているため部屋にはいない。やっと千花に訪れた独りの時間だった。

 千花はこの時間を見計らったかのように、窓辺に背を向け、テーブルまで歩む。

 そうして、テーブルの上に置かれた呼び鈴を手にとった。揺らせば、”ちりん、ちりん”と音がする。それは、召喚師の老人を呼ぶ音色。

 それから、五分せずして老人は現れた。

 コンコン、と扉が叩かれ、千花は扉まで小走りに進む。

 扉を開けると、老人は目元を和ませた。

「いかがなさいましたか、チカ様」

 千花は満面の笑みで答えた。

「願い、叶えていただけますか?」



 願いを叶えるためには、書のある神殿まで行かねばならない。従って、老人に促されながら回廊を歩く。

 千花と透が滞在しているのは、離宮のような建物であった。部屋からあまり出ることのなかった千花は、階の中心部らしい踊り場に出て、今更ながら自分がどのような場所に滞在していたのか知った。

 階には、複数部屋があるようだ。中心部には踊り場、そこから上下階に繋がる螺旋階段がある。白地の壁には模様が掘りこまれ、絵画が飾られる。

 神殿までの道のりで階段をおり、千花は自分が使っている部屋が三階に位置していたことに気づく。よく窓から外を眺めていたから、一階に部屋があったわけではないことはわかっていたものの、何階かまで意識していなかったのだ。

 やがて、建物を出ると、夜の帳がすっかりおりた庭園が広がっていた。宵が色味を呑み込んで、花や植物がどうなっているのかまで判じられない。

 そうして、視界に長く尖った屋根の建物が現れる。それは、ゴシック建築を思い起こさせる外観だった。装飾の施された真白な壁と、その国の神話か伝承を表したステンドグラスの高窓が美しい。

 中に入れば、窓から射し込む淡い光がステンドグラスの絵を床石に映し、光の絵画を描いていた。その神々しさに恐縮しながら、さらに老人の後に続いて進む。

 大きな扉に到達すると、老人が呪文を唱え、扉を開く。魔法という魔法を初めて目の当たりにした千花にとって、本当に自分が異世界にいるのだと実感させた。

 老人は千花を室内に導く。

 その部屋は、ひどく天井が高い。ステンドグラスの窓と壁の装飾は外観同様凄まじいものがあり、厳かな雰囲気が支配する空間だった。

 唯一部屋にあるのは、祭壇のような豪華な台と一冊の書物、そしてしっかりとした羽とインクである。羽は羽ペン、ということだろうか。

 千花が中央に立った時、老人が祭壇上の書物を開きながら、声をかけた。

「そこが、トオル様とチカ様がはじめてこの世界に現れた場所にございます」

「……ここが」

 その場所に、もう血は残っていない。反射するほどに磨かれた石床だけだ。

 天井を見上げれば、気が遠くなるほど高かった。長く尖ったの屋根部分の内側、ということだろう。その先の先まで絵画で彩られている。絵画の人物が神か、王か。千花にはわからない。ただ、崇められ祀られていることだけは確かだ。

 老人は羽ペンを握る。

 千花も書物へと歩み寄り、覗きこんだ。そこには、ミミズの這ったような字が並ぶ。なぜか、その知らないはずの文字を、千花は読むことができた。

(……アンドウチカの命を救う)

 間違いなく、透の願い事。彼の世界の引き換えとなった――。

 そういえば、と思った。

「どうして言葉が通じるんですか?」

 間違いなく、言語は異なるだろう。けれど千花も透も、なんの支障もなく老人らと会話ができる。

 老人は好奇心を滲ませる千花に、口元を綻ばせた。

「トオル様とチカ様が現れた折、言語の共有という魔法をかけました。魔法の発動には必要なものがありますけれども、ご安心ください。生成ではなく”共有”という分かち合う方法を用いましたので、代償という失う形ではありません」

 ふふ、と老人が茶目っ気を含んで笑声を漏らす。

「ゆえ、わたくしも日本語がつかえるようになりました」

 おどけた彼に、千花もつられて笑った。日本語が、一体この世界のどこで使えるというのか。そうは思うものの、老人の笑みを見ていると、いたずらにでもつかうのかもしれない、と思ってしまう。それくらい、邪気あどけない笑みだった。

 最後に、千花は問う。願いの前に一つだけ、確認せねばならないこと。

「今後、私はどのように生きる道がありますか?」

 透のように、その世界に必要とされているわけではない。むしろ、彼の利用を目論む者からすれば、邪魔な存在に他ならない。

 老人は千花の目をまっすぐに見つめて、言葉を紡いだ。

「貴女様の生活の保障は、こちらでいたします。その責がある。後のことは、その時々で異なってくるとは思いますが、現状ではこの世界の理について勉強をしていただくことになるかと。貴女様のことは、必ずお守りします。ゆえ、ご安心くださいませ」

 柔和な顔立ちに、頼もしさが宿る。

 千花は心から安堵するように、「はい」と頷いた。


 ――これで、憂いはなくなった。

 千花は満足気に口尻を上げるが、その意味を老人は察することができなかった。彼は不思議そうな、どこか訝るような顔をしながら千花へと視線を向け、告げる。もしかしたら、それは忠告だったのかもしれない。それも、見当違いだったが。

「願いは、あらかじめこの書によって制限されております。国や世界の崩壊、支配は叶えることができません。また、この書に残る、以前誰かが願った、まったく同じ願いは叶えられません。その願いの反故も。引き換えは、人一人分の価値のあるものでございます」

 それにも、千花は「はい」と楽しげに答えた。


 ――壊れかけていた、千花の心。

 ――あの時、はっきりとわかったのだ。


「では、願いをお教えくださいませ」

 老人が、インクをつけたペン先を書の白紙頁にあてる。

 千花は、願いを、口にした。

早瀬はやせ透に関する記憶を、安藤あんどう千花からすべて消してください」

 数拍後、願いの意味を咀嚼した老人は瞠目する。

「……それは……」と躊躇う彼に、千花は強く言い放つ。

「それが――それだけが、私の願いです」


 ――千花の心は、壊れかけていたのではない。

 既に、壊れていた。歩道橋から飛び降りた、その時に。もしかしたら、二人の部屋から女性が現れた、その時に。

 ――透は、千花を大切にすると言った。幸せにする、と。

 嬉しかった。そう、確かに嬉しかったのだ。心が歓喜に震えるほど。

 透なしではいられないくらい、愛しているから。

(でもね)

 ――千花は、透を傷つけたくてたまらない。

 愛しているのに、それだけではない負の感情が胸に渦巻く。ドロドロとした感情が、願いに変わる。

 忘れないでほしい。苦しんでほしい。後悔、してほしい。

 ――そのために、傷ついて。深く、深く。

(その傷が一生癒えないものならば――)


 千花は、にっこりと笑った。かつてないほどの、凄絶に艶やかな笑みで。


(貴方の一番大切なひとを奪ったら、きっと貴方は私を憎んでくれるでしょう? そうしたら、私のことを、きっと貴方は忘れない)


 願いは、透との出逢いから、今の今まで。

(貴方が大切だと言った”今の私”を、”私”が殺すの)

 ――愛する貴方に、華麗なる復讐を。




***   ***   ***




 老人と千花は、透の待つ部屋へと戻る。

 願いを叶えた千花の足取りは、軽かった。

 老人がなぜか千花の様子を窺うようにちらちらと視線を向けてくるが、千花は目を瞬くだけ。その意味がわからないのだ。彼女が世界を奪われた引き換えに、願ったことすら忘れてしまったから。

 扉を開け、部屋に一歩踏み込めば、透が千花に駆け寄った。吐息がかかるほど近い距離。湯上りの、彼のまだ濡れた髪先から、水滴が落ちる。

 彼は安堵するように、口元を緩ませて微笑む。愛しむ対象を見つめる眼差しには、熱がこもっていた。

「千花。湯浴みから戻ったらいなくなっていたから、心配した」

 千花の両頬を手のひらで挟み、こつん、と軽く額を合わせる。

 はたで二人の様子を見ていた老人は、白銀の睫毛を伏せ、すべてを説明するため「トオル様」と声をかけた。

 顔を上げた透に、老人が語ろうとした時。

 透の目の前で、千花が小首を傾げて囁く。

「――貴方、誰?」と。




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