1話 結婚
こちらは『妹の身代わりで結婚したら、残虐公爵様に溺愛されています!』の改稿作品になります。
この世界で最恐と謳われる帝国、シルベリア。
何故最恐なのか。それは、残虐と名高い公爵が大きく関わっているかららしい。
戦場でオオカミのように素早く、確実に兵士を斬っていく。そんな彼はシルベリアの皇帝も恐れるほどの強さだと聞いた。
何故こんなことを細々と考えているのか。それは、私がその残虐公爵に嫁ぐことになったから。
*
私の名前はルチェット・アルベレア。
シルベリアよりも小さな国、カシエレ王国の貴族令嬢。
貴族といっても私の扱いはぞんざいであり、私はアルベレア家において邪魔者である。それでも今まで必死に生きてきた。
「痛いです! やめて……!」
「何言ってるの? 生かしてやってるだけ偉いでしょ?」
暴力、暴言は当たり前。使用人がするような雑務を押し付けられたり、縄で手首を固定され外に放置されたり。
そんな数々の仕打ちに少しでも抵抗すれば、こっぴどく"お仕置き"されるのだ。そのせいで、私の体は見るに堪えないほどに傷だらけだった。
私がこうしてひとりぼっちなのは、お母様が夜逃げをしたから。赤子だった私を置いてどこかへ消えてしまったから。
どこかで幸せに家庭を築いていてほしい。こんな人たちと一緒よりも、そのほうが断然いい。
それはいつもと何ら変わりない——はずだったある日のこと。
廊下をほうきで掃除していると、使用人の一人が慌ただしくこちらへ向かってくる。
「当主様がお呼びだよ!」
私は腕を掴まれ、引きずられるようにして廊下を進んでいく。お父様の私室の前に置き去りにされ、私は仕方なく二回ノックをした。
「入れ」
中から低い声が返ってきたので、ゆっくりと扉を開けて室内に踏み込む。煙草の咳き込みたくなるような匂いが鼻についた。
「単刀直入に言うが——お前はこれから結婚するんだ」
私なんかにそんな話が来るわけないと、嘘だろうと最初は思った。話を聞くと、妹が結婚したくないと駄々をこねたようだ。
母譲りの無駄に整った顔に、珍しい薄桃色の髪を持っている私が送られるそうだ——代わりとして。
しかし、問題なのは相手だった。
最恐と呼ばれるシルベリア帝国の、残虐な公爵と結婚しろと言うのだから。
「お前は母親と似て顔だけは良いからな、邪魔者が減ってシルベリアとも繋がれる」
お父様はすでに相手方と契約を交わしたそうで、私は明日にはこの場所に別れを告げなければならなかった。
*
何故こんな目に遭うのだろうか、私は何か間違えてしまったのだろうか。そんなことを考えながら、私は使用人に体を綺麗にされている。
私を洗う手はひどく丁寧で、それが結婚という二文字を実感させる。
明日結婚するからと部屋に戻され、何もするなと命じられた。することがないのも困ってしまうので、私は長年を共にした部屋をピカピカに掃除した。
ほこり一つ積もっていない、小さくて簡素な部屋。今までありがとう。
ベッドに寝転んで、ぼんやりと天井を見つめる。明日にはどうなってしまうのだろう。
そう考えている内に疲れが押し寄せてきて、私はいつの間にか眠ってしまっていた。
次の日の早朝、私は厨房に立って軽く食べられるサンドイッチを作った。きっとシルベリア帝国までは長いから。
サンドイッチを籠に詰めて部屋に戻る道中、廊下にはまだ誰もいなかった。
部屋の扉を閉めて、私はお父様がくださったドレスに着替える。豪華ではないが、落ち着いた印象のもの。
これで汚らしかった私も少しは綺麗になれただろうか。
——トントン。
鏡を見ながら全身を確認していると、軽いノックの音と聞き慣れた可愛らしい声が聞こえた。
「お姉様、いる?」
エレン——私の妹だ。
お父様の愛人との間に出来た妹は、特に私への当たりが強かった。
掃除をしている時、バケツの冷たい水を浴びせてきたり、母が置いていった宝石を私から奪ったり。
"お仕置き"の時には、お父様と一緒になって私を傷つけた。
あの高らかな笑い声がどうしようもなく怖い。
他の人が聞いたらとても可愛いと思うのだろうけど、私にとっては悪魔が笑うような音でしかなかった。
——そんなエレンが、私の狭い部屋の前にいる。
「な、何ですか?」
私は震える声をできるだけ平たくして返事をする。それを聞いたエレンは、扉の奥でくすくすと笑っていた。
「お姉様、あの残虐公爵のところに行くんでしょ? 可哀想だから最後に顔を見ておこうと思って!」
そう言うと、私の許可を得ずに部屋の中に入ってきた。ヒールで床の木が軋んでいる。
「きっと今より酷い目に遭うんじゃない?私が遊びに行った時には死んでたりして」
怖い。
エレンは私が居なくなっても変わらないのだろう。けれど、私にとっては居ても居なくても同じなのだ。
「ていうか何その服。お姉様にしては豪華だね」
上から下に視線を動かして、品定めをするように私を見つめるエレン。手は何故か後ろに回されている。
私は恐怖を押し殺しながらも必死に答える。
「お父様が見た目を整えろとくれたんです。」
「ふーん」
その相槌を聞いた瞬間、嫌な予感がして咄嗟に後ろへと下がった。
しかし、後ろは私の部屋の窓しかない。完全な袋小路になってしまった。
私は今、追い詰められたネズミと変わらない。
「じゃあ、もっと可愛くしてあげよっか!」
エレンは手を前に持ってくると、ハサミを見せつけるようにひらひら振った。
ちょき、ちょき。
刃を鳴らしながらこちらへ近づいてきて、私の着ているドレスをずたずたに切り刻んでいく。
「や、やめてください!!」
「何でやめなきゃいけないの? お姉様ごときが指図しないでよ」
ドレスは裾がギザギザになって、見るも無残な姿になってしまった。
床に落ちたドレスの切れ端を拾っていく。唇を噛んで涙を堪えているのを見て、エレンは高らかに笑っていた。
「あら、随分可愛くなっちゃって! せいぜい殺されないように媚びることね!」
呪いのようにそう言い残して、エレンは金髪を翻し去っていく。
私は安堵から小さく息を吐き、両手を胸元に抱え込んだ。
仕方がないので汚れの少ない質素な服に着替え、お父様からいただいた分厚い上着を取った。
シルベリアの冬はとても寒いことで有名だ。上着がないと凍えてしまう。
「……ふぅ、これでよし。」
私はお気に入りの服を何着か入れたカバンと、先程作った軽食のサンドイッチのカゴを持った。
広い廊下を一人で歩いていき、外の馬車へ向かう。
玄関の扉を開けると同時に冷たい風に吹かれた。
馬車はすでに用意されていて、あとは私が乗るのを待つだけ。
エレンの件で着替えがあったから少し遅れてしまった。御者に何も言われなかったのが幸いだった。
そうして私は誰にも見送られることなく、今まで暮らしてきた家と呼べるのかも分からない家を出た。
初めての馬車の乗り心地はあまり良くないし、とても揺れていておしりが痛い。
それでも、私はアルベレア家にいなくてもいいという嬉しさでいっぱいで。
それでも不安は簡単に消えてくれない。
シルベリア帝国の残虐公爵は、はたしてどんな人なのだろう。
きっとその名の通りに冷酷で、感情を捨ててしまったような人間なのだろうか。
気に入らない人間を殺すような人間なのだろうか。
私は——何もない人間だから、殺されてしまうかもしれない。
……ほんの少しでもいいから、一瞬でもいいから、幸せだと思えるような場所だといいな。
カーテンが閉め切られた馬車に揺られながら、私は言葉では言い表せない複雑な感情に揺さぶられていた。
◆◆◆
「んふ、ずっと目障りだったのよねぇ。」
一方その頃、エレンは綺麗に片付けられた部屋の中で、チェスの駒を動かしながらそう呟いていた。
「私の言う事はみーんな聞いてくれる……あの御者、失敗したら許さないんだから」
クイーンの駒を盤の中心に置いて、いたずらをする子供のようにくすくすと笑う。
これからルチェットに起こるであろう悲劇に、エレンは胸を躍らせていた。




