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第2話 冬来りなば春遠すぎる

 おぼろげな意識の中、俺は心地いい温もりと子守歌を受け入れていた。幸せそうな女の声で紡がれる歌は、どんな歌詞だったか所々しか聞き取れなかったけれど。たしか「小さな星よ」とか「みんな小屋で眠ってる」とか「灯が揺れてる」とか言っていたはずだ。

 でも、途中から泣きそうな声で歌うようになっていた。俺がまどろんでいる間に、きっと何かがあったのだろう。 


 暫くして、俺は生まれた。雪が降り積もる寒い寒い冬の日。


 生まれてからは結構悲惨だった気がする。父さんはいなかったし、母さんは俺が父さん似だったのもあってかなり荒れた。強くてニューゲームどころか2週目縛りプレイって感じ。

 そんな俺に勿論名前は与えられなかったし、子守歌なんて歌われない。だんだん母さんは酒を浴びるようになっていって、最低限以下の食事で育った。風呂なんて昼間に近くの川で水浴びするくらいしかできない。寝床もないから、近所の家畜小屋から勝手にもらった藁の上で寝ることも多い。

 ハエの飛び回る汚れた藁は、現代日本を生きた人間が眠るには苦しいほど酷な場所。布団が恋しいな。


 それでも長く生活していたらなれるというもの。


 そんな生活に慣れながらも母さんは、俺が4歳になるころ遂に我慢できなくなって消えた。朝、目が覚めたら母さんはいなく、机に置かれた紙には読むことができない文字で短くなにか書かれていた。多分、さよなら、とかそんなかんじだと思っているけど、生憎生まれてから一切の学がない俺には何も読めない。語学堪能って何だったんだよ。

 神さまはきっと俺が嫌い……いや、神さまは人に興味が無いんだろうな。だからこそ俺や母さんはこんなに大変な生活を送っていた。世界について知るよりも前に、今日を生きるのが精いっぱいで苦労しているんだ。

 学ばなくては仕事は選べない。体力がなくては仕事がない。今の俺にはなにもない。生きていくために必要な栄養も何もあったものじゃないし今の俺はいつ死んでもおかしくないような容姿。


 さて、これからどうしようか。

 生きていくためにはご飯が欲しい。寝る場所は厩の一角で事足りるし風呂も川で十分……やっぱりご飯だ。やるしかない。気は進まないけど、背に腹は変えられないから……仕方がないんだ。そう、仕方がない。

 せーので行こう。嗚呼否、あの人が帰ったら。いやいや、あの女性が後ろに引っ込んだときに……。


 ひやり。


 首筋に冷たい何かが当たる。びっくりした、ビビったよ! 死ぬかと思った! 全く気配がしなくてまじで死ぬかと思った……! 急いで振り向くと神父服の男がそこにいた。


 雪みたいに真っ白い髪、満月みたいな瞳をにんまりと歪めて俺を見ている。神父服を着てるのに、僧侶だとか、司祭とか牧師とか、まったくそんな風に見えない男だ。とても美しい、男。手指を首にあてられていたらしい。氷のように冷たい手を。

 驚きで声も出せずに口を動かす俺の隣にしゃがみ込むと、ニマニマ笑いながら頬杖をついて俺がさっきまで狙ってた店を指さす。


「もし、小汚いがきんちょ。あそこの店はだめだよ、客が多くてバレやすい。店主も足が早くて気が荒い。」


「……アンタ、だれ」


「私? 私はこの町の少し外れにある教会の人間だよ。最近よく徘徊している小汚いがきんちょ、君の事だろう?」


 ニマニマと笑いながら見やる。まるでチェシャ猫の色違いだ。神父なのか? 神父に見える何かか?

 いや、そもそも俺今盗もうとしてるのがバレてるわけで、もしかしてちょっと危ない状態だったりする? これかなりやばいんじゃね?


「えっと、別に盗もうとしてたわけじゃ……」


「あんなに飢えた獣の様な瞳で? それは無理があると思うなぁ」


 急募、言い逃れの仕方。転生特典二枚舌とかでよかったかも。詰んだ気がする。マジでいい人であれ。


「ふふ、おびえた顔しなさんな。私はいい人だよ。なんせ神父の服を着ているからね。この服を着ている人に悪い人はいないのさ。……ほら、こちらにおいで。おいしいご飯とあたたかなお湯、それからふかふかの寝床を君に贈ろう。私たちはそういう人たちなんだ」


 孤児院の人だった! 俺、死なない! よかった!

 危うくこの世界についてミリも知る前に死んじゃうかと思ってたから、マジで嬉しい。なんならこの人は命の恩人過ぎる。いい人。胡散臭いけど美人でいい人。あと凄い良い匂いする。真横にいるだけでわかる。花の匂いだ、これ。しかも香水とかじゃなくて、花屋の匂い。安心できる、優しい匂い。


「いいの?」


「当たり前だろう? なぁにがきんちょが遠慮してるんだ。ああそうだ。がきんちょ、名前は?」


「……ない」


 両親からもらえるはずのプレゼント。それを、俺は持っていない。


「ほう。じゃあ親御さんからなんと?」


「……呼ばれたこと、ない。けど、これはあった。これ、多分ばいばいとか書いてると思うんだけど、名前がありそうなの、これだけ」


 母さんが置いていった置手紙。俺には読めない。まじ語学堪能ってなんだよ。

 男は紙をじっと眺めた後俺の頭を撫でてくれた。

 紙はそのまま男のポケットの中に吸い込まれてゆく。いや、それ俺のなんだけどな。返してもらいないのか、なんで? 嫌良いけど。中身覚えてるし。読めないけど文字の形とかは覚えてるし。いいけど、なぜに?


「それらしいものは書いてなかった! が、名前が無いのは不便だ、からがきんちょ。君は今から()()()だ。いいね」


「いや、まず返してよ、それ」


「それは大人の事情で無理なこった! がきんちょが大人になったら返してやる」


「えぇ……。まあ、返してくれるなら、いいけどさ。……テソロ、俺の名前かぁ」


 この世界で初めてもらったプレゼントだ。 テソロ。俺の名前。大切な宝物にしよう。

 嬉しくて思わず笑うと、男は驚いた顔をする。なんだ、俺の顔に何かついてたのか?


「がきんちょ君、笑ったのかい? 今。へったくそだねぇ、教会に行ったらまずは笑うことから覚えたほうがいい。ほら、早くいくよ。春が近いといってもまだ冬なんだ。風邪をひいてしまう」


「……うん」


 笑うの下手って言われた……! 悲しい。悲しいが仕方ない。実際ここ数年、生まれてからずっと、俺は笑えてなかったのだから。これぞ誠の初笑いってな。喧しいか。

 男は薄く笑った後、氷のように冷たい手が俺の頭を撫でてそのまま俺の手を引いた。冷たいのに優しくて、爪が少し長い細い指。子供なのにボロボロで骨みたいな俺の手とは大違いだなぁ……なんて。


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