3.ベルは王女様③
「はい、出来上がりですよ」
「ありがとう。……今日もすごく素敵だわ」
ゆるめに編み込まれた髪に、1輪の白百合を飾りつけた後頭部を合わせ鏡で確認する。ベルの好みに仕上がっていた。
「ご満足いただけたなら嬉しいです。では一旦失礼しますね」
「えぇっ……さっきの続きだけ聞かせて欲しいわ。その後、お姫様と不思議な少年はまた出会えたの?」
「ふふっ……ベル様は隔の国のお話が本当に好きですね」
「マリアの話が面白いんだもの……続きを教えて!」
同性のベルすらうっとりしてしまうような、妖艶な笑みをもつ赤い髪のメイドは、この春から新しくベルに付いたメイド兼魔法の家庭教師 マリアである。
第1大陸に留学経験のある彼女は隔の国……第1大陸西方に存在する【魔力の壁】で遮られた更に西方の、魔力のない世界についても詳しく その話はいつもベルの興味を強くひいた。
おかげで遅々として進まなかった攻撃魔法の授業が楽になったし、女っぷりの高いマリアに化粧の仕方を習うのも好きだ。
ベルはマリアのことを姉のように慕っていた。
ただし、どうしても好きになれない一点だけを除いて。
「失礼致します。マリア、遅いぞ」
簡易的に礼を取りウォルリアが部屋に入ってくる。
この春、騎士学校を卒業したウォルリアもまたベルの元に戻ってきていた。
3年の間に背を伸ばし、精悍さを増しすっかり少年から大人の男性になった彼にベルは戸惑い、未だに以前のように気軽に接せずにいる……というかむしろ気まずささえ感じていた。
(……似合うとか、可愛いとか言ってくれてもいいのに……)
礼はとれど、ろくにベルの方を見向きもしない今のウォルリアがそんなことを言うわけもない。
「あら、まだ時間には余裕があったと思ったけど?それともあなたが待ちきれなかったかしら?」
艶を帯びたマリアの返答に控えのメイドたちの空気がざわつく。
妖艶なマリアと精悍なウォルリア、恋人と噂される美男美女の2人が並んだ光景は、多くの市民が追い求める完璧な恋愛画と言えるだろう。
部屋を去り際にマリアがウォルリアの耳元で囁けば、ウォルリアの耳にほんのり朱が灯る。きっと愛の言葉だったのだろう。
見せつけは他所でやってほしい…そんなベルの気持ちとは裏腹に、周りのメイドは浮き足立つ。
「ウォルリア様とマリア様、本当にお似合いですね」
「騎士学校と魔術学校の主席同士……きっと凄いロマンスでしたわね」
同意を求められたベルは、不快感を表情に出さないよう注意しながら ただ無言に頷くしかできない。
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「私にまで嫉妬するなんて、本当に気持ち悪いったらありゃしないわ」
「……うるさい」
「ベル様に懐いて欲しいならせめてその仏頂面、どうにかすべきだと思うわよ?っていうか、幼馴染なんでしょ?もっと気楽に接したらいいじゃない」
「……それじゃあ『幼馴染のお兄ちゃん』と何も変わらないだろ」
幼馴染ではなく、一人の男として見て欲しい。そのために3年間もベルと会わずに鍛錬を積んできたのだ。
ウォルリアの回答に、思わずマリアは笑ってしまう。
「ふふふっ……でもそんな余裕あるのかしら?今度にいらっしゃるルビリエ国の第2王子様、ベル様と随分懇意にされているとか。……ちょっと、その怖い顔やめなさいよ」
「お前が変なことを言うからだろう」
「何が変なことだっていうのかしら?とにかく、最近は変な噂まで出回ってるんだから……ねぇ、ちょっと聞きなさいよ!……もうっ!」
もう話は聞きたくないとばかりに足を速めるウォルリアに、マリアは舌打ちした。
出会った頃と何も変わらない、ウォルリアのベルへの強い執着心。
マリアはそれを見込んで彼に協力を仰いだというのに、まさかこんなにもヘタレだとは思わなかった。
(これじゃ私、ただ犯罪の手伝いをしているだけじゃないの。かと言って、今からルビリエ国の第2王子に肩入れしたら……ダメね、ウォルリアに殺される気しかしないわ)
今は多少ギクシャクしていても、まだ間に合うはず。
ベルはまだ、ウォルリアが贈ったイヤーカフを肌身離さず着けている。
彼を憎からず思っている証だろう。
もっとも、それがウォルリアが欲望を満たすために贈った……ベルの居場所を常に彼に伝える発信機であるということなど知らないからだろうが。
魔力を使わずに対象者を追跡できる道具があるという話に、マリアも引いてしまうほどの勢いで食いついてきた彼のことを知ったら……ベルはどう思うのだろう。
マリアは、自分ならそんな粘着質な男は御免だと思った。
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「あの騎士は何なんだよ……人のこと殺気混じりで睨みつけやがって……」
ルビリエ国王の親書を携えやって来たシャルルが、随分とくたびれた顔をしていたのでお茶に誘ってみたのだが、どうやらイライラの方が勝るらしい。
あの騎士、とは間違いなくウォルリアのことだろう。殺気云々はともかく、険しい顔をしていたのはベルも確認していた。
(恋は盲目……とはよく言ったものね)
おおかたルビリエ国の使者が皆、マリアに見とれていたことが気に食わなかったんだろう。ベルはそう考えた。
「不快な思いをさせて本当に申しわけないわ……ごめんなさい」
王女として、幼馴染みとして、自分に出来ることは真摯に謝ることだけだろう。
深く頭を下げ続けるベルを目の前にして、シャルルは冷静さを取り戻す。
彼とて、国際問題など起こしたくない。
まして、殺気を込めて睨まれた なんて自分の体感ごときで騒ぎ立てるなど。
「ベル様、大丈夫ですよ。シャルル様は、根拠なき感情で事を荒立てるほど愚かではありません」
シャルルの心を読み、先んじてフォローに回ってくれるセルゲイほど優秀な従者は他にいないだろう。
セルゲイの言葉にシャルルは頷く。
「しかし……いくら警備中とは言え、随分と険しい表情でシャルル様を見ているとは思いましたがね」
「それはその……ウォル……いえ、その騎士の個人的な感情だと思うのですが……」
これは言ってしまっていい話なのだろうか?
個人的な感情で友好国の王族を不快にさせてしまう騎士の話など。
「……個人的な感情?俺に敵対心でもあんのか……?」
眉を顰めるシャルルには、やはり言うべきだろう。
友好国の王子に敵対心を持っている騎士を抱えているなど思われては、穏やかでないにも程がある。
「そんな大それた感情じゃありません。ほんの嫉妬?いえ、独占欲みたいなものかと……その……皆さん、私の新しい侍女を気にされていたみたいでしたから……」
「あぁ……あの妙に艶っぽい」
そこまで言いかけてシャルルはふと違和感を覚える。
確かに、肉感に溢れた新顔の侍女は目を引いた。
とはいえ、シャルルにしてみればただ目立った者を一瞥したに過ぎない。
もっと舐めまわすようにいやらしい視線を浴びせたジジィにこそ向けるべき敵意を、何故シャルルが受けなければならなかったのか?
使者団のトップだから?いや、違う。
嫉妬も独占欲も正解だ。ただ、騎士とベルとでは認識が違っているだけで。
「まぁ……彼女のような女性に目を奪われるのは、男性の本能のようなものですよ」
「おいセルゲイ、俺はそんなむっつり野郎じゃねーぞ」
シャルルに先程までの苛立ちはもうない。
まだ婚約者でも、ましてや恋仲でもないシャルルにあれほどの殺気を向けて嫉妬してきたのだ。
順調にベルと親しくなっていく様を見せつけたら……彼はどのように踊ってくれるのか。
シャルルの大好物である多少のトラブルに心踊らせた。
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仏頂面を辞める。もう少し気さくに話す。
……別にシャルル殿下の登場に焦ったわけじゃない。焦ったわけじゃない……。マリアの言うことにも一理あると思ったからだ。焦ったわけじゃない。
何か話題をふるタイミングがないかと、茶会を終えたベルの傍に控え、礼をとれば
「ウォルのむっつり」
不満げにベルに告げられ凍りつく。
視界の端には、してやったりと言わんばかりにニヤついたシャルル殿下……何か吹き込んだか?
いや……まさか……イヤーカフやその他諸々のことがバレた?まさか……そんな……
マリア経由で茶会の詳細を聞くまで、ウォルリアは落ち着かない日々を送った。