第5章 それぞれの決意 ~その3~
すいません。第4章その3の一条くんの台詞を少し変更しました。
「俺が新葉学園に来たのは……」
を、
「檜山さんのことを大切に思っているから白状するけど、俺が新葉学園に来たのは……」
にしました。
辻褄が合わなくなってしまいましたので。
「普通の生活に、戻れる?」
親が夜逃げする前の自分に。
「今までの働きを考慮すれば、なんら問題無いハズだ。もし大学に行く予定なら奨学金も出させる。こちらは大学を卒業した後で返還してもらえばいい」
いやに具体的な提案にマリアの本気度が窺えた。言っていることは、嘘ではないのだろう。
「これまで宇宙怪獣と戦ってきたことに対する正当な報酬だ。一条に同情しての提案ではないし、負い目に感じる必要もない。どうする?」
「どうするって……」
和馬は自分の顔が強張っていくことがわかった。本来ならば迷うことなど何もない。すぐさま首を縦に振り、さっさと新葉市からオサラバしてしまえばいい。
そうすればヤクザや借金取りに怯えなくて済み、そして命を懸けなくとも平和な生活を送ることが可能なのだ。
しかし和馬は返答に……、窮してしまった。
胸の奥で何かが引っ掛かるのだ。その何かがは、わからないが。
「即、了承すると思っていたのだが?」
「あ、ああ。自分でも、不思議だ」
「別に、今すぐ答えを出す必要はない。ゆっくりと考えてみろ」
「そう、だな……」
口がうまく回らない。そんなに動転してしまうほどの事なのか?
「先輩なら、すぐに断るんだろうけど」
「また恋人の話か」
「うん。でも、よかったよ。もし一条が先輩に似ていたら、うっかり私の方が惚れてしまうからな」
マリアは優しさの滲んだ碧い瞳で和馬を見入る。
自分がどんな顔をしているのかを知るのが、和馬は怖かった。
「冗談だ、冗談。そんな顔するな」
笑いながらマリアは、ドンっと和馬の背中をど突く。
「でも、見つかるといいな」
「な、なにが……?」
和馬の声は上ずってしまっていた。
「他に戦う理由が、さ。一条の強さは、きっと大事な何かを守るためにあるんだよ。私はそう思う」
素面ではとても言えない台詞を、マリアは衒いなく言ってのける。
そして少し前を歩き、
「こんなサービス、滅多にしないんだからね!」
くるっと振り向き、今日1番の笑顔を披露した。それは確かに最高のサービスだった。
「嫌よ、こんなの嫌……」
信じられない、いや信じたくない光景を檜山は目撃してしまった。
「どうして……」
わずか数メートル先で繰り広げられている、一条とマリアのキスシーン。到底、受け入れられるものではなかった。
「行っちゃう! 一条くんが行っちゃう……」
キスを交わした後、2人は仲睦まじく肩を並べて神社の境内へ消えようとしていた。
檜山は千鳥足になりながらも、2人の後を追いかけようとした。ゆらゆらと、まるで陽炎のように。
「あかね! しっかりしなさい!!」
強い力で腕を掴まれた。見れば泉が心配そうにしている。
檜山は2人で縁日を回っていたことさえ、すっぽりと頭の中から抜け落ちていた。
そうこうしているうちに、一条とマリアの姿が視界から消えてしまう。
「あっ」
檜山は力無くうなだれた。
そのさまを泉は見ていられず無言で、しかし力強く檜山を牽引した。
「一条くん、一条くん……」
泉になされるがまま、うわごとのように幾度も一条の名を呼び、求める。そんな檜山のつぶらな瞳からは光沢が失われていた。
一体どれほど歩いたのだろうか?
檜山は自分がいつから、公演のベンチに座っていたのか覚えていない。
一条が自身の過去をつまびらかにした、あのベンチに。
「はい、あかね」
自販機で買った缶のミルクティーを泉が優しく手渡してくれた。そして黙って隣に腰掛ける。何があったのか、問い詰めるような真似は決してしない。
ただ、傍に居てくれる。
泉有希とは、そういう少女だった。
「有希、ありがとう」
その優しさが、身に染みた。
「いいわよ、別に」
茶目っ気タップリに泉はウインクをしてみせた。
つい、檜山は頬が綻んだ。手渡されたミルクティーを口に含む。
「美味しい」
仄かな甘味が口中に広がる。
それで張りつめていたものが解けてしまったのか、知らず知らずのうちに檜山の目から涙が零れ落ちる。
「あ、あれ……?」
檜山はしきりに両手で涙を拭った。
「ほんの少し前までは、一条くんの隣は、わたしの居場所だったのに……」
今は違う女性がいる。
そのことが、こんなに切ないなんて知らなかった。しかもその女性は、自分では到底勝ち目のない美人だ。そんな女性が、自分の大事な場所に収まってしまっている。絶望的だった。
「一方的に好きだったのは、わたしだったのに。一緒に居て舞い上がっていたのは、わたしだったのに。キスをせがんだのは、わたしだったのに」
檜山は血がにじみ出るほどに、唇をぎゅっと噛み締めた。
「一条くんを傷つけてしまったのは、わたしなのよ……」
悔恨、などという生易しいものではない。その手に握り締めていた大事なものを、自ら手放してしまったのである。
「わたし、どうしたらいいの?」
すすり泣く檜山を前にして、泉はなんと声をかけていいかわからなかった。
「あのときの、一条くんの顔……」
まさに、このベンチで浮かべていた一条の苦悶の表情。
思い出す度に、檜山は胸が締めつけられた。しかし、そんな顔にしてしまったのは、他ならぬ自分なのだ。
その上、
大切に思っているから
と和馬が差し伸べてくれた手を、あろうことか振り払ってしまった。
それなのに他の女性とキスしていたからといって、こんな風に泣き喚くのは、傷つくのは、身勝手にもほどがある。
そんなこと、檜山は重々承知していた。
「金で買われたって聞いて、一条くんのこと汚いって思った。醜いって思った。でも違う。本当に汚くて醜いのは、私の方よ……」
檜山は慟哭した。
子供の頃、川原で大きな石をひっくり返したことを思い出す。表面は何ともなかったのに、その裏側にはミミズやムカデや見たこともない醜悪な虫たちが蠢いていた。
自分もきっとそうなのだ。
一皮むけば醜く汚い、何かおぞましいモノが心と体を蝕んでいるに違いない。
「あかね……」
ぎゅっと泉は檜山を抱きしめた。
「突然そんなことを言われたら、誰だってどうしていいか、わからないわよ」
「そ、そうかな」
「きっとそうよ。それに借金の件は、むしろ一条君が被害者なのは、わかっているのよね?」
「うん」
「そして、あかねはまだ一条君のことが好きなことも」
「……うん」
檜山の胸がずきっと痛んだ。
はっきりと言われ、改めて確認できた。自分は本当に一条のことが好きだという気持ちに。
「じゃあ、もう何をすればいいのか、それもわかってるハズよ?」
「有希、ありがとう」
檜山は心の底から、泉が友達でいてくれることに感謝した。
和馬にとって3日ぶりの新葉学園だった。
その昼休み。
「なんだあ、一条。今日は学食かよ」
授業が終わると同時に席を離れ、学食へ向かおうとした和馬を二階堂が呼び止めた。バカなわりに、勘が良い。
すぐ近くの泉の表情が渋いものに変わる。
「それに3日も休んで、さては檜山さんとナニかあったな?」
本人からすれば、軽い冗談のつもりなのだろう。
それに和馬は授業中や放課の間、二階堂をずっと無視し続けたというのこともあった。
しかし、和馬が二階堂の冗談に付き合う必然性は全くなかった。
瞳が、みるみる酷薄なモノを帯びていく。
「ちょうどいい。二階堂、表出ろ」
和馬は感情を抑えた、抑揚のない声を出す。
「確かここへ来た初日に、どっちが上か白黒つけるとか言ってたよなあ?」
片頬を歪めた凄絶な笑みを浮かべながら、右手の人差し指で二階堂を指差した。
「今から、やるぞ」
沈黙。
まるで1年前の再現だった。
あのときは、あの場にいた全ての男達を全てのした後、二階堂にまで襲いかかった。
そして二階堂は全く歯が立たなかったのである。
和馬の纏う空気に呑まれてしまった、というのは言い訳だった。
とにかく殺す気で繰り出してきた攻撃の前に、為す術がなかった。そこらの喧嘩や道場での稽古試合とは違ったのだ。
いつしか二階堂の額に、玉のような汗が浮かんでいた。
「別に、ここでも構わんか」
和馬はイスを片手で持ち上げ、竦んで動けない二階堂に叩きつけようとした。
相手を倒すのに手段を選ばないし、躊躇もしない。そして、何の感情も抱かない。
ただ淡々と作業のようにこなすだけだ。さながら機械のごとく。
「あ、あの!」
イスを振り上げた状態の和馬と二階堂の間に、檜山は飛び込んだ。
「ううっ」
和馬の酷薄な眼に射すくめられ、檜山は一瞬心臓が停止したかと思った。
二階堂でさえ震え上がってしまうほどの、威圧感なのだ。かよわい女子が耐えられるハズがない。
それでも、檜山はありったけの勇気を振り絞って、懸命に踏みとどまる。
すっと両手に持った弁当箱を突き出した。
「よ、よかったら……、ぐすん。一緒に……、ひっく。食べ……、えぐっ。お願い……」
涙ながらに檜山は乞い願った。
無論こんなことで、全てを取り戻せるなんて思っていない。
だが少しずつ、少しずつでも積み重ねていかなくては、叶わない。
「檜山さん」
すうっと和馬の瞳の色が元に戻った。イスも丁寧に床に置く。
「屋上で、2人きりで食べようか?」
その、たった一言で檜山の胸は充足感でいっぱいになった。
「う、うん。ありがとう!」
どうにか檜山は笑顔を創ろうとするも、顔がごわついてしまう。
「あ、あれ?」
涙で顔がぐしゃぐしゃになっていることに思い至り、檜山はかあっと体が火照った。
「更衣室行って、顔洗ってくる」
「待ってるから、急がなくていいよ」
「ううん。すぐ戻ってくる」
駆け足で檜山は女子更衣室へ向かう。
これは仲直りのサインかな?
なんてことを思いながら、和馬はゆっくり後を追いかけた。
女子更衣室の外で待つためだ。
当然、バカのことは放置して。




