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第1話 初夏の来訪者

 もう一度、寝ようにも暑すぎて辛い。最近はどうなっている。酷い暑さだ。暑すぎる。水を被りにでも行こうか。きっと落ちる水もすぐに汗になるのは分かるが、一瞬の快楽を味わうにはいいかもしれない。


それほどまでに暑さは苦しかった。



 梅雨の間は湿気るかもしれないと思って、売り物は蔵の中に置いている。この調子ならいくつか見繕って店の前に出してもいいだろうが、劣化するという可能性は考えないといけない。



 暑さに耐えきることが出来ずに水を被った。在庫確認も、書棚の掃除も暑さが優しくなってからにしよう。蔵の中で本をめくろうか。湧き水の流水につけた胡瓜でもかじろうかと思っていた矢先だった。


「ごめんください、ごめんください」


 人が胡瓜を取りに行こうとしているところに表からの高い声。営業時間は書いているだろう。字が読まなくても数字は読める。まさかそれも分からないのか、まさかそれはどの急用か。


 俺は替えの着物を持って足音が聞こえぬように母屋に向かおうとした。こんな時間に来るくらいだ。おそらくとても面倒な案件だろう。


 そっと体重移動をして、母屋へあと一踏のところで俺は金魚鉢に足を引っかけた。中には欧米で使われている硬貨が数枚、からんと鳴ったそれに勇気をもらったと思われる子どもの声がより一層響き渡る。


「ごめんください。暁月堂様じゃないとダメなのです。早く来てくださいませんか。奥様からの言いつけなのです。このままでは里に返されてしまいます。農家で働いている姉と病気の妹に体の弱い両親がいる故郷は」


 少年の言葉にハリはなくなり言葉尻も沈んでいく。どんどん断りづらい文言が飛び出してくる。病気の妹を見捨てて勝手にするのは気持ちが濁る。これは用件くらい聞いた方がよさそうだ。だが、こちらにも都合がある。



「営業時間は守る主義だ。あと三十分待て」


 出した声は小さくかすれていた。


「はい、待ちます。来てくださるなら幾分でも待たせていただきます」


 人情、親切心が足りない。そんな評価ならこれまでごまんとされてきた。いっそ雨にしてくれれば、あの丁稚も雨で店が開かなかったと言い、郷里に送られることはなくなるかもしれない。


 乾いた衣服を着て、俺は自分の肌をつかもうとして、皮だけであることに安心する。肉がつけば従姉妹の文音から山を走れと言われてしまうからだ。


 山を走ると汗をかく、膝を痛め、腰にビリビリとした嫌な感覚にあふれる。それよりか山を走らず、本を読み、山へ行かない清らかな体で眠る方が精神衛生上にいい。ただ、文音のあれは強制力を持ちすぎる。年が近い文音には何故かいつも逆らえない。


 面倒な仕事に間違いないと気は重い。小箱に筆記用具と紙とハンケチを入れた。後ろは山で少し高いがここから町は遠くない。丁稚だって二十分あれば来ただろう。水ぐらいやった方がいいかもしれないと思って、俺は薬缶から水を注ぎ、湯飲みと荷物を持って、店の出口に向かった。


「何用だ。どこから来た」


 気配が本当に丁稚一人か知る必要がある。この店はそれなりの物を扱っている。もし第三者がいれば、けして戸を開けてはならない。ここに閉じこもり、定期的に訪ねて来る文音に追い出してもらわないといけない。不幸なことに三日前に来たばかりである。


「高田屋の五と申します。暁月堂様にお力を貸していただけないかと」


 丁稚以外の気配はしない。


「入れ、五と言ったな。なぜ、五なんだ」


 遠慮がちに手が扉に少し触れて引っ込んだ音がする。それを数回繰り返してやっと開けた先にいたのは十くらいの坊主頭の子どもだった。手渡された水を丁稚はごくごく飲んだ。


「元々は千のつく名だったのですが、旦那様は自分より上なのは何事かと申されまして」


 五は店に入らずに暑い外で話を続けた。蝉の声がうるさい、中に入れようかと思ったが、うっかり知人に見られると、結婚しないと思ったらお前はそっちだったのかと言われかねない。話すとすれば文音を含めて三人、よく知る人物だらけだ。


 あそこの旦那は器量の狭いことをいう男だった。そして品も思い出した。ここ引き継ぐ時に帳簿、八鹿の物忘れを見た。


「ガラスの猿だな」


「そうです。確かにそうです」


 子どもの顔はパッと明るくなった。足は急いてパタパタしている。あとはもう俺を連れて行くだけだと興奮しているように見えた。売り物がどういう経緯で髙田屋にあるかを確かめないいといけない。

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