7 西堀さんとベトナム式サンドイッチ
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「ちょっと、何で進展してないのよ」西堀さんがベトナム式サンドイッチにレモンを掛けながら言う。「私、仕事辞めらんないじゃない」
「いやぁ、寄木から連絡がなくて」僕は所在ない気分でサンドイッチをかぶりついた。こんなにうまいサンドイッチを食べたのは初めてだった。燻製のチキンスライスと新鮮なレタスとトマトが旨いし、スイートチリソースとパクチーの刺激が斬新だ。具を挟んでいるのはフランスパンで、なかなか食べごたえがある。ベトナム式サンドイッチはちゃんと現地の正式名称があるのだけれど、メニュー表で一度目にした後すぐに忘れてしまった。
「げ、パクチー入ってる。抜いてって言ったのに」西堀さんは親指と小指でパクチーの破片を摘まみながら、トレーの端に落とした。美味しいのに、と僕は思う。
「寄木くんのペースに付き合ってちゃだめじゃない。彼はのんびりした草食獣なんだから、首輪付けて引っ張ってあげなきゃ」
「むちゃくちゃ言っちゃいけないよ。あいつコネ入社みたいだし、社内で相当肩身狭くても辞めづらいらしいんだ。辞めたら父親の顔に泥を塗るって。ほら、あいつ実家暮らしだし、毎年家族で旅行するくらい仲いいしさ」
「下山くんの暮らしぶりを語ってあげたんでしょ。私、夜起きて朝眠る生活なんて、たまらなくうらやましいけどな。寄木くん、うらやましがらなかった?」
「あ、いや、あんまり彼の状況が重いもんで、軽々しく誘惑できなかったよ」
「なんだ」西堀さんは落胆した様子でサンドイッチを口に運んだ。僕は店内の返却口横にある水入れポッドを持って、彼女と僕のカップに水を足した。しばらく、僕らは無言でサンドイッチを食べた。僕はすぐに食べ終わり、彼女のトレーを眺めていた。
「じゃあ、あなた実家でニートを続けるの」西堀さんは言う。「それとも、ひょっとして次の就職先探しているとか?」
「いや、今は正直なんにもしてない。引っ越しの用意も途中でやめちゃったし、バイト探しも情報誌を開くだけで何となくしそびれてるよ」
「ねぇ、下山くん、思うんだけど、君はそんなに怠惰じゃなかった気がするの。確かに寄木君の状況は良くないけれど、あなただって、そんな風に実家でニートしてもいられないんでしょ。らしくないというか、学生の時すぐに就職先を決めて、色々と遊びの計画を主導してくれたのは下山君だったじゃない。本当に寄木くんのペースが移ってきたんじゃない。怠けがちになったというか」
「そうかもしれないけど」僕は言う。後の言葉を継ぐことはできない。僕は仕事を辞める前から、パチンコ屋の立体駐車場でサボり続けていたんだ。だから寄木の怠惰さが移ったという事はないだろう。でも一方で、確かに自分は大学の頃よりも、怠惰な気持ちになる事が増えたかもしれない。
「私たち、ここらでいったん仕切り直しするべきなのよ。このまま擦り減ったら、自分が自分でなくなってしまうわ」西堀さんは言った。「罪悪感を持たない事よ。みんな本当は解放される事を望んでいるの。私もね。あなたの生活は、私たちの憧れなんだから」
そんなものだろうか、と僕は思う。でも反論する言葉を思いつくことができない。
西堀さんに会えるのは嬉しかったし、お洒落な場所で美味しいランチを食べる事が出来るのは面白い経験だった。彼女に恋心は抱いていない(ないと思う)にしろ、大学時代に後輩たちからモテモテだった女の子と二人きりで出かけられるのは、愉快だし貴重だった。相手から連絡が来るということは、僕と二人でいる事に抵抗がないという事だ。しばらく会社の女性陣からの軽蔑を受けていた傷が、癒える様な思いだった。要するに、効果的に尻を叩かれたという事だ。僕は寄木に連絡を取った。